2025年9月号
特集
人生は挑戦なり
対談
  • 大橋ボクシングジム会長大橋秀行
  • WBO世界バンタム級王者武居由樹

どん底から
2つの世界一へ

ボクシング世界4階級を制覇し、史上2人目となる2階級4団体統一王者の井上尚弥選手をはじめ、これまで5人の世界チャンピオンを輩出してきた大橋ボクシングジム会長・大橋秀行氏、60歳。その5人目の世界チャンピオンにして、キックボクシングとボクシングの双方で初めて頂点に立ったWBO世界バンタム級王者・武居由樹氏、28歳。家庭環境に恵まれず辛苦の幼少期を経て、恩師との邂逅を果たし、人生のどん底から世界一に至る道のりは、まさに挑戦の日々だった。いかなる鍛錬によって自己を磨いてきたのか。勝利を掴む者の条件とは何か。

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    この対談取材は、5月28日のWBO世界バンタム級タイトルマッチが終わって間もない6月10日に、横浜の大橋ボクシングジムで行われた。

    2度目の王座防衛は自分の心との闘いだった

    本誌 2度目の王座防衛、おめでとうございます。わずか127秒での見事なTKO勝利でした。

    武居 、ありがとうございます。もともと1月に組まれていたのですが、11月末に右肩関節しん損傷というを負い、延期してもらった経緯がありました。

    大橋 本当はもう少し調整期間を設けたかったんですけど、協会のルールで王座をはくだつされてしまうので、治ると想定して強行で試合を組みました。本人も不安だっただろうし、こっちも不安でしたね。
    だから、試合が長引いたらどうなっていたか分かりません。速いゲームで終わったのは本当によかったです。一部には相手が弱いんじゃないかと言われていますが、ムエタイの殿堂ラジャダムナン・スタジアムでチャンピオンになっているし、オリンピックを連覇しているラミレス選手に勝っていて、むしろなんでこんな強敵と組んでしまったのかと思ったほどです。

    武居 怪我をしたこと自体もそうですけど、対戦相手やいろいろな方に迷惑をかけてしまったので、当初は結構落ち込んでいました。そんな中、周りの人たちがすごく励ましてくれて、背中を押してくれたことで力を得て、年明けくらいに気持ちを切り替えることができたんです。そこからできる練習を少しずつコツコツと続け、4月にはほぼ完治しました。
    ただ、どこでまた痛めるか分からないという不安や恐れは心の片隅にあって、そういう意味では常に自分の心との闘いでもあったのかなと思います。

    大橋 スパーリング(実戦形式の練習)に入ったのも遅かったね。

    武居 はい。結構ギリギリでゴールデンウイーク前後でした。

    大橋 そこで怪我をしたら終わりなので、かなり慎重に万全を期してやりました。スパーリングしていても、あんまり調子よくなさそうだったから、不安しかなかったです(笑)。何とか判定で逃げ切って勝てればいいかなと。実際にはまったく違う展開だったので、びっくりしました。

    WBO世界バンタム級王者

    武居由樹

    たけい・よしき

    平成8年東京都足立区生まれ。10歳でキックボクシングを始め、足立東高校時代はボクシング部でも活躍。26年11月にKrushでキックボクシングデビューし、29年4月に第2代K-1 WORLD GPスーパーバンタム級王座を獲得。23勝(16KO)2敗の戦績を残し、令和2年12月に王座返上とボクシング転向を発表。3年3月のデビュー戦を1回TKO勝利で飾る。6年5月6日、WBO世界バンタム級王者ジェーソン・モロニーに3-0で判定勝ちし、日本ボクシングコミッション公認の日本ジム所属100人目の世界王者となる。ここまでの戦績は11戦11勝(9KO)。

    ギリギリの状況で勝ち切れた2つの要因

    武居 スパーリングも最初は不安があって、右肩を気にして左ばかりで打っていました。でも、試合が近づくにつれて、いい意味で開き直れたんです。ここまで来たらもうやれることをやるだけだと。減量も順調にできて、試合当日も過去最高くらいに調子がよかったです。直前のアップの時もキレがよすぎて、逆に怖いくらい(笑)。

    大橋 ボクサーってそういうのがあるんですよ。前日まですごく調子がよくても、当日のアップの段階でなんか重いな、力が入らない、息がすぐ上がっちゃうとか。
    真剣勝負というか命懸けの戦いだから、ギリギリまで本当に分からないですね。よく心技体と言いますけど、フィジカルとメンタルがみ合わないと、よいパフォーマンスは発揮できない。ちょっとでもずれるとダメになっちゃう。こればっかりは何十年やっても、難しいですね。
    今回は結果的には1ラウンドで勝負がつきましたけど、2度目のダウンを奪った時も相打ちでしたから。何回か合わされて、こっちが倒れてもおかしくない、というくらいかみひとでした。

    武居 試合中のことはあまり覚えていないのですが、改めて映像を見返してみると、本当に危なかったなと思います。
    そういうギリギリの状況の中で勝ち切れたのは、怪我も含めて自分としっかり向き合うことができましたし、日々の練習やトレーニングの中でできることはずっとやってきたので、それを自信に変えてリングに上がれたこと。あと、世界戦では初めてチームの皆で円陣を組んだことも大きかったです。

    大橋 ああ、初めてだったんだ。確かにいつも井上(なお)の直前の試合だからできない。

    武居 円陣を組んでパッと周りを見回すと、大橋会長やトレーナーのがしあきら)さん、(井上)尚弥さん、(井上)たくさんなど、世界チャンピオンばかりでこんなに強いチームなんだから、絶対に負けるわけないと思ってリングに上がれました。これは本当に心強かったですし、力になりましたね。

    大橋ボクシングジム会長

    大橋秀行

    おおはし・ひでゆき

    昭和40年神奈川県生まれ。小学生の時、兄からボクシングの手ほどきを受け、中学生からジムに通う。高校時代にアマチュアの全日本タイトルを獲得。大学時代、ロサンゼルス五輪の代表選考試合に決勝で敗れ、プロに転向。アマ通算44勝(27KO)3敗。60年プロデビュー。その後世界タイトルに2度挑戦するも敗退。平成2年3度目の挑戦で世界チャンピオンとなり、日本人の世界挑戦連続失敗を21で止めた。6年引退。プロ戦績は24戦19勝(12KO)5敗。同年大橋ボクシングジムを開設。これまで輩出した世界チャンピオンは最多タイとなる5人に及ぶ。