2026年1月号
特集
拓く進む
対談
  • 浜松市花みどり振興財団理事長塚本こなみ
  • 新江ノ島水族館社長堀 一久

かくしてV字回復は
成し遂げられた

バブル経済崩壊後の不況をはじめとする様々な困難と向き合い、見事、大型施設のV字回復を果たした立役者がいる。あしかがフラワーパーク、はままつフラワーパークを再建した塚本こなみ氏、新江ノ島水族館を全国屈指の人気を誇る水族館に育て上げた堀一久氏である。共に強固な信念と高い志を抱きながら厳しい改革に臨んだお二人の歩みは、仕事や人生の知恵に溢れている。

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    地域と共に歩み続けて

    塚本 初めてお目にかかります。きょうは堀さんのお話を伺うことを楽しみにしていました。

     こちらこそ。2つのフラワーパークを再建し好業績に導かれた塚本さんのご活躍は以前から存じ上げておりました。今回、10年ほど前に出られた『致知』の記事を拝見していて「感動分岐点を超えた時、人も経営も変わる」という言葉に、とても感動したんです。そのことも含めていろいろとご教授賜りたいと思っています。

    塚本 とんでもないことです。よろしくお願い申し上げます。

     塚本さんは人生や経営の大先輩でいらっしゃるわけですが、いまも理事長として「はままつフラワーパーク」の運営に当たられているそうですね。

    塚本 はい。簡単にご紹介させていただきますと、「はままつフラワーパーク」は浜名湖畔はまなこはんにある植物園で、東京ドーム6.4個分の広大な敷地に3,000種類の草花が植えられています。2020年、コロナの時でしたけれども開園50周年を迎えまして、それ以降は特に園内の景観や芸術性、快適性を高めることに力を入れていて、日本一、世界一のガーデンミュージアムを目指していま頑張っているところなんです。
    個人的には、名古屋市の海沿いにある中部電力さんの庭園施設が来年、「メグラスガーデン名古屋」としてリニューアルオープンするに当たって、そのプロデュースを務めさせていただいている他、長野県のほうでは、八ヶ岳やつがたけ農業大学校ガーデンプロジェクトのお手伝いをしています。
    堀さんが社長を務められる新江ノ島水族館も昨年(2024年)、リニューアルオープンから20年の節目を迎えられたと伺いました。

     ええ。旧館の江の島水族館のオープンからは、今年でちょうと70周年になります。新江ノ島水族館(以下、「えのすい」)は神奈川県の湘南しょうなん地域の観光施設と位置づけられていますので、地元の藤沢市や観光協会、商工会議所、小田急電鉄、江ノ島電鉄などと官民一体となりながら、いかに地域の価値を高めるか、が問われています。次の10年に向けて、その大きな課題にスタッフと共に取り組んでいるところです。

    塚本 いまおっしゃった「地域と共に」ということはとても大事ですね。この浜名湖地域は花の施設が多くございまして、2019年から一緒にガーデンツーリズムを推進してまいりました。浜松城公園や日本庭園で知られるりょうたん、浜名湖ガーデンパークなど七施設をつないで国内外からお客様をお呼びしようという取り組みなのですが、これからの時代は自分の施設だけでなく地域と一体となって歩んでこそ当園の道もひらけていくと考えています。

     私どももブランドという点で湘南の知名度が高いことはありがたいのですが、江の島が藤沢市にあるということはあまり浸透していない。「茅ヶ崎ちがさきでしょう?」「えっ、鎌倉じゃないの」というイメージなんですね。加えてゴールデンウイークや海水浴シーズンだけでなく、いかに1年を通して観光客を安定的に呼び込むかという課題もあります。その意味でも「えのすい」の果たすべき役割は大きいと感じているんです。

    浜松市花みどり振興財団理事長

    塚本こなみ

    つかもと・こなみ

    昭和24年静岡県生まれ。造園家であるご主人の仕事を手伝った後、グリーンメンテナンス、環境緑化研究所の2社を設立。樹木医になり、足利の大藤を移植・デザインを担当。造園指導などを続ける傍ら平成11年あしかがフラワーパーク園長に就任。25年はままつフラワーパーク理事長に就任。卓越したアイデアと努力により赤字に陥っていた両園のV字回復を果たす。

    女性樹木医第1号の道へ

     そもそも塚本さんは、どのようにして植物と関わるようになられたのですか。

    塚本 夫が浜松で造園業を営んでおりましたから、きっかけといえばそれですね。結婚と同時に庭屋のおかみさんになり、住み込みの8人の内弟子の食事の世話をしながら、3人の子を育てました。そのかたわら経理や営業を担当するようになり、少しずつ造園の世界に入っていったんです。
    当時、造園業は男性の世界で、周りは新たな仕事の受注ばかりに一所懸命でいらっしゃいました。それを見ながら、これからはできあがった庭を維持管理する業務が必要になると思いましたから、35歳の時、主人と相談して庭を管理する会社を私自身が立ち上げました。その立ち上げと同時に、女性の感性を生かした公園や緑化工事の仕事を受けてほしいという声も多くなり、もう一つ別の会社をつくることになりました。
    その時、ご依頼いただいた仕事の一つに、樹齢千年の大木の移植工事がありました。「何とかやってみます」と言って社員たちと共に無事に成功させました。それをきっかけにして移植の仕事が多く舞い込むようになったんです。

     男性ばかりの世界に身を置いて、必死に頑張ってこられたお姿が伝わってきます。

    塚本 それで1991年でしたか。林野庁が樹木医制度を創設したんです。樹齢千年の木を移植した経験を論文にして受験したら合格しましてね。合格通知と一緒についてきたのが「女性樹木医第1号」という肩書でした。

     いや、素晴らしい。

    塚本 そんなこともあって、いろいろなメディアに取り上げられたのですが、その1本の記事が栃木県の「あしかがフラワーパーク」の関係者の目に留まってご連絡をいただいたんです。「大きな藤があって、その藤をフラワーパークに移植して新たな藤の公園をつくりたい。もう4年もの間、移植してくれる人を探しているけれども、何十社となく断られて困っている。何とか移植してもらえませんか」というご相談でした。
    私は一人で栃木に足を運び、藤の木の下に立った瞬間、なぜか「できる」と思ったんですね。「分かりました。お受けしましょう」とお伝えして、いろいろな困難の末に大藤の木を動かせたことが、私の人生の大きな分岐点となりました。

    新江ノ島水族館社長

    堀 一久

    ほり・かずひさ

    昭和41年東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、平成元年に住友信託銀行(現・三井住友信託銀行)に入社。14年江の島水族館に専務取締役として入社。16年江ノ島マリンコーポレーション(江の島水族館から商号変更)の社長に就任。26年新江ノ島水族館社長に就任。