2018年7月号
特集
人間の花
  • 東海市立平洲記念館館長立松 彰

細井平洲の目指したもの

名君・上杉鷹山の師として知られる儒学者・細井平洲。藩の再興に貢献するとともに、藩主から庶民まで幅広い層の人たちに親しまれ、その人生を花開かせてきた平洲の人生と教えを、東海市立平洲記念館館長・立松 彰氏にお話しいただいた。

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全国から平洲の故郷に

名古屋駅から名鉄の急行電車で20分余りで太田川駅に。そこから車で20分ほど走った小高い丘の上に東海市立平洲記念館はあります。記念館一帯はかつて平島村ひらしまむらと呼ばれ、細井平洲こと細井甚三郎じんざぶろうはこの地で生まれ育ちました。平洲という後年の号も、この平島という故郷の地名にあやかったものです。

決して交通の便がよいとは言えない地方都市の記念館ですが、1974年のオープン以来、全国から多くの方々が訪ねてこられています。戦前の「修身」の授業で平洲について教わった人たち、ベストセラーになった童門冬二先生の『小説・上杉鷹山ようざん』を読んで平洲を慕って来られる方、またバブル崩壊後、鷹山の藩政改革が広く注目を集めるようになってからは名門企業のトップが忙しいスケジュールの合間にわざわざ来訪くださるケースも多くなりました。

地元・東海市でも1980年に小中学生の道徳の副読本に採用されて以来、今日まで授業の一環として平洲の逸話をとおして公徳心の大切さなどの道徳を学ぶようになっています。グローバル化の波の中で、青少年の郷土愛をいかにはぐくむかを考えた時、市はそのりどころを平洲に求めたのです。

学校教育の他にも、1995年以降、上杉鷹山や群馬県太田市の高山彦九郎、熊本県人吉市の相良さがら長寛ながひろなど平洲とつながりがあった人物ゆかりの自治体が会して平洲を顕彰する「平洲フォーラム」(現在は郷土の偉人を顕彰する人たちが互いに切磋琢磨せっさたくまする「嚶鳴おうめいフォーラム」)を開催してきました。

全国の人々が平洲に注目することで、地元市民にその偉業を再認識してもらう〝逆輸入〟が狙いの一つでしたが、おかげさまで平洲に対する市民の関心は高まってきています。

私は長年、東海市役所に奉職してきました。大学で歴史学を専攻していたこともあって平洲に関する事業に携わるようになり、現在まで15年間、記念館館長を務めさせていただいています。平洲に特別に深い思い入れがあったわけではない私が平洲の語り部を務めるようになったわけですから、これも何かのご縁なのでしょうが、細井平洲研究者の小野重伃しげよ先生の研究成果に学ぶ中でそのスケールの大きさに魅せられていきました。現在は多くの人にその魅力を知っていただくべく、啓発活動に力を入れる毎日です。

東海市立平洲記念館館長

立松 彰

たてまつ・あきら

昭和24年愛知県生まれ。國學院大学文学部卒業後、東海市に奉職。教育委員会に籍を置き平成15年東海市立平洲記念館館・郷土資料館館長に就任。