涙にもいろいろな涙がある。嬉しい時も悲しい時も、人は泣く。
口惜し涙、無念の涙もあれば、喜びの涙、感動のあまり流す涙もある。人の生は常に涙と共にあるといってもよい。
心しなければならないのは悲しみの涙である。悲しみの餌食になって、人生を誤る人も多いからである。
悲しみの涙といえば、忘れられない話が2つある。
釈迦の時代に生きた人に、キサーゴータミーという若い母親がいた。
ゴータミーは赤ん坊を産んだが1週間もしないうちに死んでしまった。悲しみに打ちひしがれた彼女は赤ちゃんを抱きしめて「私の赤ちゃんを生き返らせる薬を下さい」と村中を歩き回った。気の毒に思った村人が「お釈迦さんなら薬を持っているかもしれないから行ってごらん」と教えた。ゴータミーは森の中にいた釈迦を訪ね、生き返らせる薬をと頼んだ。釈迦はいった。
「わかった。その薬をあげよう。しかしその薬を作るには白い芥子の種が必要だから、それをもらっておいで。ただし、その芥子の種は今まで1人も死者を出していない家の芥子でなければだめですよ」
ゴータミーは急いで村へ帰り、家々を訪ねお願いした。どこの家も芥子をくれようとしたが、死者を出していない家は一軒もなかった。その時、彼女ははっと気づいた。