2016年5月号
特集
視座を高める
対談
  • JT生命誌研究館館長中村桂子
  • ふじ内科クリニック院長内藤いづみ

いのちを
愛でる

生命誌という新たな分野を切りひらき、科学者として独自の視点からいのちを見つめる、JT生命誌研究館館長・中村桂子さん。片や在宅ホスピス医としていのちと向き合う、ふじ内科クリニック院長・内藤いづみさん。ともに20年以上にわたって現場を通じて得たいのちの学びを、縦横に語り合っていただいた。

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生き物たちが突然消えていく

中村 本当にお久しぶり。お忙しいのにわざわざ甲府から大阪まで来ていただいて、ありがとうございます。

内藤 先生はお変わりないというか、とてもお若いですよね。9年前にこのJT生命誌研究館で先生と対談をしたのがご縁の始まりでしたけど、その時は先生のお年のことは全然念頭になかったんです。ところが今回の対談に先立って先生が80歳だと聞いてもうびっくりしました。でも先生、私も今年(2016年)で還暦なんです。

中村 あら本当? 大きくなりましたね(笑)。それに大活躍。

内藤 いよいよ、これからだと思っています(笑)。ところで前にこちらに伺った時に、ビオトープ(小規模の生息空間)がすごく印象的で……。

中村 あれはビオトープというか、食草園といって、チョウのための庭なんですよ。

内藤 実はちょっと先生にお伺いしたいことがありましてね。食草園を見た後に、私も家の前にある2坪くらいの前庭に同じような空間をつくったんですよ。
そこには、例えば子供たちが蒔いたグレープフルーツの種が芽を出して、いまでは2mくらいの太い木に育っているんです。そうすると、その木の葉っぱにチョウチョが来るようになって。

中村 グレープフルーツはアゲハチョウね。

内藤 そうです。夥しいくらいの卵を葉っぱに産んでいくので、毎年木が丸裸になっていました。ところが、去年(2015年)は何かおかしいなと思ったら、葉っぱが綺麗に残っていたんです。つまり1匹も来なかった。これって何だろうって。それから毎年12月に咲いていたクリスマス・カクタスが、去年(2015年)は10月に咲いちゃったんですよ。
もしかしたら、いまの時代を100年後の世界から見ると、「あの時に変わったよね」ってことになるのではないかと感じているんですけど、先生いかがですか。

中村 21世紀に入ってから、気候と生き物の動きが変化してますね。うちでもカエルが突然来なくなりました。数年前は池が真っ黒になるくらいオタマジャクシがいたのに。それからハチもある日突然に消えて。
温暖化などいろいろ言われますけれど、本当の原因は簡単には分からない。人間の体のことも分からないことだらけでしょう。地球全体のことなんてもっと分かりませんでしょう。大きな流れとしては、地球は氷河期に向かっていますしね。
この前、地球という星の特徴を専門家にお聞きしたら、プレートでできていること、だからこの生態系もあると言われました。そのプレートが動いているから地震が起きたり、津波が起きたりするわけで、地球46億年の歴史は、そういうものであり、その中では、いまは優しい気候なんですね。

内藤 安定していますよね。

中村 もっとも地球の温度が上昇していることは確かで、変化は滑らかなものではなく大きな振れ幅がある。急に寒くなったり、暑くなったりしますね。そこではチョウやカエルは大変だと思いますよ。
ただ、大きな問題は、いまの地球環境の変化には人間が関わっていることですね。生命の誕生から38億年の間、常にいろいろなことがありましたけれど、それはすべて自然の動きでした。ところがいまの変化は人間が原因をつくっているところがあるのが問題ですね。

内藤 そうですね。

中村 人間も生き物なのだから、生き物の一つとして、どうすればよいかを仲間たちのことも思いながら考えなければと思うのです。でも実際は内藤さんみたいに、チョウが来なくなったことにきちんと気づける人がどれだけいるか。

内藤 皆さんどこ吹く風という感じで(笑)。

中村 なーんにも感じていない人のほうがほとんどでしょうね。

JT生命誌研究館館長

中村桂子

なかむら・けいこ

昭和11年東京生まれ。お茶の水女子大学付属高等学校卒業後、東京大学理学部化学科に入学。同大学院生物化学科修了後、46年三菱化成生命科学研究所入所。早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授を経て、平成5年からJT生命誌研究館副館長に。14年同館長に就任して現在に至る。著書に『知の発見』(朝日出版社)など多数。

毛虫の中に生命の本質がある

内藤 ところできょうは先生と久しぶりにお会いするので、その間に私ちゃんと成長したかどうかを先生に見てもらわなきゃと思っていて、ちょっとドキドキしながら来たんです(笑)。

中村 十分でしょう(笑)。私は内藤さんの在宅ホスピス医としての活動は本当に素晴らしいと思って、心から尊敬しているんです。

内藤 いえいえ、そんなこと。ただ、山や谷はありましたけど、前線から離れないで頑張れたのはよかったかなと思います。

中村 やはり現場で仕事をすることが大事ですよね。

内藤 そうですね。これは何も私だけじゃなくて、現場に踏みとどまって、いのちと向き合おうとする女性の看護師さんやケアマネジャーさんたちが最近随分増えてきました。

中村 時代も少し変わってきましたね。皆さんの気持ちも。

内藤 ただ肝心の当事者がまだ弱い。皆さんの死生観がきちんと確立されていないものだから、医療の世界が総崩れになりそうなくらい、いま多くの現場で困っているんじゃないかと思います。

中村 死生観というのは、大人になって急に持ってくださいと言われても無理でしょう。生命誌の立場からは、小さい時から、どれだけ自然と向き合ってきたかどうかだと思うのです。
夏休みにサマースクールに行くとか、稲刈り体験に参加するとか、そういうことで子供たちに素晴らしい体験をさせていますと言うけれど、もっと日常を大切にしてほしいと思うの。この話をすると皆さんに笑われるのですが、孫が二歳くらいになった頃、一緒に外を歩いていると、道の端っこを指さして「あっ、ダンゴムシ」って言うの(笑)。時代が変わっても、やっぱり子供はダンゴムシなんだなと。

内藤 そうです。かわいいんですよ(笑)。アリもいますね。

中村 子供たちはそれを必ず見つけますからね。もちろん自然豊かな地方で育つのが一番よいけれど、そんなに大きな自然である必要はなくて、都会に住んでいても日常生活の中で接するような、ダンゴムシとか、小さなお花が咲いていますとかいうことはありますでしょう。
でもこの頃のお母様たちは、お稽古に子供を連れて行くにも、車に乗せてしまう。これだと子供と小さな自然との接点がなくなってしまいます。

内藤 本当はその時にしかない、子供の時間というのがあるじゃないですか。大事なことは、大人の時間に当てはめないことだと思います。

中村 そうね。おそらくそれだけでも、生きることと死ぬことを受け止められるような成長ができるようになっていくと思いますけどね。
研究館の開館10周年に「いのち愛づる姫」というミュージカルをつくって公演したんですけれど、そのもとになったのが平安時代に書かれた『堤中納言物語』にある「蟲愛づる姫君」です。そこでは毛虫が好きで飼っていて、皆に気味悪がられている13歳のお姫様がこう言うんです。
「汚い毛虫が成長して綺麗な蝶になる。よく見ているとこの毛虫の中に生命の本質があることが分かり、毛虫を愛づる気持ちが生まれるのよ」
子供の視点は、物事の本質を見抜く力を持っているんですよ。それを大事に育ててあげたいですね。

ふじ内科クリニック院長

内藤いづみ

ないとう・いづみ

昭和31年山梨県生まれ。福島県立医科大学卒業後、三井記念病院内科、東京女子医科大学病院第一内科等を経て、61年英国に移住。英国のホスピスムーブメントに学ぶ。平成3年に帰国後、7年ふじ内科クリニックを開設、院長に就任。日本ホスピス在宅ケア研究会理事。著書に『いのちの不思議な物語』(佼成出版社)など多数。