2016年10月号
特集
人生の要訣
インタビュー①
  • ユニフロー社長石橋さゆみ

父がつくった会社を
守り抜きたい

スイングドアでシェア80%のユニフロー。同社を率いる石橋さゆみさんは、創業者である父親亡き後、経営を知らない主婦の立場から社長に転じた異色の経営者である。危機に陥った会社をいかに立て直したのか、自身を突き動かす思いを交えて語っていただいた。

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死に物狂いでやれば何とかなる

──石橋さんは、主婦から転じて御社の経営に携わっていらっしゃるそうですね。

そうなんです。27年前に創業者の父が急逝しましてね。父が命を懸けてつくった会社を何とか守りたいという気持ちを強く持っていたんですけど、当時は結婚して関西に住んでいて、幼い2人の子供を抱えていたものですから、その時は、社内から選んだ方に社長をお任せしました。
その後主人が東京に転勤になり、子育ても一段落したので、私も上京して会社に少しずつ出るようになったんですが、その社長が事情があって急遽退任することになったんです。それで、次を託せる人をヘッドハンティングしようとも考えたんですけど、2、3回会ったくらいの人に会社と従業員を任せる決断がどうしてもできなかったんです。それで従業員の気持ちを知りたくて、一人ひとりと面接する中で、何人もの人から「あなたがやったらどうですか?」と言われたんです。
他の会社の経営に携わっている主人からは、中途半端な気持ちで引き受けてはいけないと言われたんですけど、とにかく父の会社を守り抜きたいという思いのほうが強くて。それになぜか私、すごく自信があったんです(笑)。死に物狂いでやればできるんじゃないかと考えて、平成19年に社長に就任したんです。

──それまでに経営のご経験は?

いえ、全く(笑)。それまでは専業主婦でしたし、バックグラウンドを挙げるとすれば、アメリカの大学でマーケティングを学んだことくらいですね。
子供の頃、両親が非常に忙しかったので、中学生の時に2年間ほどアメリカの伯母の家に預けられたんです。それまではとても大人しい、引っ込み思案な子だったんですけど、アメリカに行ったおかげで、相手の目を見て大きな声で話すことや、新しいことにチャレンジする習慣が身についたことは、いま経営に携わる上でとてもよかったと思います。
その後日本に戻ったんですが、アメリカの生活が忘れられなくて、サンタクララ大学に留学してマーケティングを勉強しました。けれども、経営に関してはほとんど知識がなかったんですね。

──手掛けていらっしゃるのは、主にスイングドアの製造販売だそうですね。

はい。スイングドアというのは、コンビニエンスストアとか、スーパーマーケット、工場、ホテル、レストランなどで、従業員の方がキッチンや倉庫などのバックルームに出入りするためのドアです。手を使わずに台車をドーンとぶつけて開けるので、非常に耐久性が求められるんですが、このスイングドアを40年前に日本で初めて販売したのが当社で、現在もシェア80%を占めるパイオニアなんです。
創業当初は製氷機の輸入販売を手掛けていたんですが、日本でスーパー業界が成長してスイングドアの需要が生じてきたので、父が輸入を手掛けたのが始まりです。それまでのドアとは勝手が違うので、最初は非常に苦戦したんですけれども、ダイエーの中内㓛さんが導入を決断してくださったことで評判になって、一時期は営業に出なくてもファクスでどんどん注文が入ってくるくらい引き合いがあったんです。
ただそうなると、そこに安住して売り方を忘れてしまうんですよね。それまでの急激な伸びが一服して、新しいお客様を見つけに行かなければならない時に、なかなか外に行かなくなるという弊害が出てきていたんです。

ユニフロー社長

石橋さゆみ

いしばし・さゆみ

東京都生まれ。米国サンタクララ大学卒業。ユニフロー創業者である父親の遺志を継ぎ、平成元年に同社取締役。18年副社長。19年社長に就任。