2026年1月号
特集
拓く進む
インタビュー②
  • 初代WKBA世界スーパーバンタム級チャンピオン江幡 塁

人生で大切なことは
すべて格闘技に
教わった

12歳の頃からキックボクシングを始め、23歳で世界チャンピオンにまで上り詰めた江幡塁氏。しかし、デビュー当初は同じ道に進み、いち早く日本チャンピオンに輝いた双子の兄との比較に悩まされ、32歳の時には大病を患うなど、その道のりは決して平坦ではなかった。絶えざる挑戦で山坂を越えてきた格闘技人生から見えてくる、未来を切り拓く要諦――。

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    引退は終わりではなく始まり

    ──江幡さんはキックボクシングWKBA世界スーパーバンタム級王者として、長年世界の強豪と死闘を繰り広げました。2024年の引退式には大勢のファンが後楽園ホールに詰めかけたそうですね。
    17歳でプロデビューしてからの現役生活を振り返ると、あっという間の17年でした。引退式には「始まりの10カウント」というテーマを持っていました。
    引退式って、惜しまれながらもグローブを置いて去っていくというイメージがあるじゃないですか。でも、僕の場合はまだまだ戦いたいと思っていたにもかかわらず、大病をわずらって引退を余儀なくされてしまった。だからこそ、これからが本当の勝負だと思ったんです。
    僕は対戦相手に勝つことではなく、強さとは何かを探求するために格闘技をやってきました。そんな僕にできるのは、格闘技で学んだことを次世代に伝えることではないか。ならば、引退は終わりではなく始まりだと発表する場にしようと、引退式を執り行いました。

    ──ああ、終わりではなく始まり。

    式にはファンの方々のみならず、40名の子供たちを招待しました。残念ながらドクターストップで試合はできませんでしたが、試合に臨むつもりで懸命にトレーニングを重ねた姿を見せることで、挑戦し続けるプロセスにこそ意味があるのだと伝えられたように思います。僕にとっては忘れられない引退式になりましたね。

    ──挑戦することに意味があると。

    僕はお世話になっている方に勧められたことを機に、20代の頃から『致知』を愛読してきましたけど、成功された方々は決してあきらめない。勝ち負けという結果を超えて、挑戦すること自体に価値を置いているんです。
    世界チャンピオンを目指して戦っていると、たくさんの人が応援してくれました。その声援に感謝する半面、自分はファンの方々に恩返しできているのだろうかと悩んだ時期がありました。
    そんな折、『致知』で安岡正篤先生の「いっとうしょうぐう ばんとうしょうこく」という言葉に出逢って、「ああ、これだ」と。リングで一所懸命戦い、「俺も頑張ろう」と見ている人の心に炎を燃やすことが、僕が戦う理由なんだとに落ちたんです。以来、「一燈照隅 萬燈照国」を胸に掲げ、一燈を灯せるような人間になりたいとひたむきに努力を重ねたことが、世界チャンピオンになれた1つの要因だと考えています。

    初代WKBA世界スーパーバンタム級チャンピオン

    江幡 塁

    えばた・るい

    平成3年茨城県生まれ。12歳からキックボクシングを始め、17歳の時に双子の兄・江幡睦と共に高校を退学しプロデビュー。23年MAGNUM25バンタム級王座獲得。26年初代WKBA世界スーパーバンタム級王座獲得。令和元年初代KING OF KNOCK OUTスーパーバンタム級王座獲得。6年現役引退。現在はアカデミーを立ち上げ、「自身の経験を社会で挑戦していく人々の背中を押す力にする」という想いのもと、キックボクシングレッスンプログラム開発・実施、子供の運動教室、講演活動、ワークショップを通して、後進の育成・子供たちの教育にも取り組んでいる。