7歳の時に失明しながら学問を志し、40年の歳月をかけて670冊に及ぶ『群書類従』の編纂・刊行を成し遂げた塙 保己一。その76年の人生はまさに苦難や悲しみの連続だが、保己一は決して志を諦めることはなかった。ライフワークとして保己一の顕彰活動を続ける元教師・堺 正一氏に、保己一を支えた人物に焦点を当てつつ、感謝と報恩に生きた人生を語っていただいた。
【写真=塙保己一総検校正装画像(温故学会所蔵)】
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塙 保己一
はなわ・ほきいち
延享3(1746)年~文政4(1821)年。7歳で失明し、検校雨富須賀一に入門。隣屋敷の旗本松平乗尹の勧めで萩原宗固に入門し、さらに宗固の勧めで賀茂真淵に学ぶ。1793年幕府の支援を受けて和学講談所を開設し、『群書類従』『武家名目抄』などを編集・刊行した。 【写真=塙保己一総検校正装画像(温故学会所蔵)】
埼玉県立盲学校元校長
堺 正一
さかい・しょういち
昭和18年埼玉県生まれ。早稲田大学法学部・同教育学部卒業。県立高校の教員を経て、心身に障害のある子どもたちの教育に携わる。埼玉県教育委員会、各種養護学校、盲学校の校長、立正大学教授などを歴任。手作り紙芝居「生きているってすばらしい! 塙保己一の青春」の公演、読み物の執筆・講演を30年来続けている。著書に『塙保己一とともに(正・続)』(はる書房)『素顔の塙保己一』(埼玉新聞社)など多数。