2025年12月号
特集
涙を流す
一人称
  • 埼玉県立盲学校元校長堺 正一

はなわ いち
生き方が教えるもの

7歳の時に失明しながら学問を志し、40年の歳月をかけて670冊に及ぶ『群書類従』の編纂・刊行を成し遂げた塙 保己一。その76年の人生はまさに苦難や悲しみの連続だが、保己一は決して志を諦めることはなかった。ライフワークとして保己一の顕彰活動を続ける元教師・堺 正一氏に、保己一を支えた人物に焦点を当てつつ、感謝と報恩に生きた人生を語っていただいた。
【写真=塙保己一総検校正装画像(温故学会所蔵)】

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    ヘレン・ケラーが心の支えとした日本人

    もうろうの障害のあるヘレン・ケラーが初来日し、東京渋谷のおん学会で講演したのは1937年4月。会場に詰めかけた人たちを前に、ヘレンは指文字による通訳を介して語りかけました。

    「わたしは幼い時から、母に『日本のはなわいち先生はあなたのお手本になるお方ですよ』と言い聞かされて育ちました。日本にはまだ点字のない時代、幼くして失明したのに、努力して立派な学者になった塙先生の話をしてくれました。私はどんなに苦しく、挫折しそうになった時も先生を思い出して耐えることができました。そしていまの私があるのです」

    東京渋谷の温故学会は、保己一の功績や人物を後世に伝えるために渋沢栄一たちによって設立された史料館で、1万8,000枚もの版木はんぎを所蔵しています。ヘレンは展示された版木や保己一のブロンズ像、質素な愛用の机を感慨深そうに両手でで、保己一への敬愛の情を募らせたのです。

    ヘレンが人生の目標、心の支えとした塙保己一とはどんな人物なのでしょうか。江戸時代後期に活躍した学者です。点字のない時代に、盲目の身で学問の道へ進もうと志し、多くの人に支えられ、血のにじむような努力をし、人間としても、学者としても誰からも尊敬される人物になったのです。

    先人が残してくれた日本古来の固有の文化を後世に確実に継承することを自身の使命とし、さんいつしそうな1冊、2冊といった小部の書物を集め、40年もの歳月をかけて大文献集『ぐんしょるいじゅう』670冊を完成させました。

    私は保己一の故郷である埼玉県に生まれ、高校教師でしたが、この人物に関心をもつようになったのは心身に障害のある子供たちとの出会いがきっかけです。親しく交流するなかで、養護学校に異動しました。いろいろな障害のある子どもが学ぶ学校を経て、盲学校に赴任したのです。

    この学校の校歌はほかの学校とは少し違うのです。著名な詩人が作詞したものではなく、生徒会と同窓会が協力して、みんなでつくった校歌で、郷土の盲目の偉人・塙保己一への生徒たちの思いがこもっています。どんなことにもくじけずに生きる力、たくましく生きる勇気、進むべき道が歌われています。

    校門の脇に同窓会から寄贈された校歌の碑があるのですが、どういうわけか、あまり歌われていないことに気づきました。

    そこで、この人物をもう一度振り返ってみたのです。すると、ヘレン・ケラーが初来日の折、浦和市で講演し、詰めかけたもう学校の生徒や県民に向かってこう話しかけたのです。

    「私は苦しい時、悲しい時、挫折しそうになった時、塙保己一先生のことを思い出して、弱気になっている自分を奮い立たせることができました。塙先生は私の心の支えなのです」

    これを聞いた参加者からざわめきの声が起こりました。誰もがヘレン・ケラーのことは知っていましたが、塙保己一のことは盲目の学者というだけで、それ以上のことは知らなかったからです。

    この時、私は生徒や教師たちにも、塙保己一のありのままの姿、生き方や業績を正しく伝えなければ……と感じたのです。

    そして、「ヘレン・ケラーが人生の目標、心の支えとした日本人」のエピソードや多くの人たちの協力で創立されたこの盲学校の歴史を冊子にまとめてみました。初めて知った話に生徒や教職員も興味を持ってくれました。その時から今日まで、塙保己一という人物を多くの人に知ってほしいとの願いから、顕彰活動を続けてきました。

    82歳になる私ですが、塙先生を紹介する講演会や書籍の執筆、手作り紙芝居公演の機会が与えられ、その度に私自身が包容力の大きな先生の姿に気づかされ、生きる知恵や勇気を与えられました。

    塙 保己一

    はなわ・ほきいち

    延享3(1746)年~文政4(1821)年。7歳で失明し、検校雨富須賀一に入門。隣屋敷の旗本松平乗尹の勧めで萩原宗固に入門し、さらに宗固の勧めで賀茂真淵に学ぶ。1793年幕府の支援を受けて和学講談所を開設し、『群書類従』『武家名目抄』などを編集・刊行した。 【写真=塙保己一総検校正装画像(温故学会所蔵)】

    埼玉県立盲学校元校長

    堺 正一

    さかい・しょういち

    昭和18年埼玉県生まれ。早稲田大学法学部・同教育学部卒業。県立高校の教員を経て、心身に障害のある子どもたちの教育に携わる。埼玉県教育委員会、各種養護学校、盲学校の校長、立正大学教授などを歴任。手作り紙芝居「生きているってすばらしい! 塙保己一の青春」の公演、読み物の執筆・講演を30年来続けている。著書に『塙保己一とともに(正・続)』(はる書房)『素顔の塙保己一』(埼玉新聞社)など多数。