2016年10月号
特集
人生の要訣
特別講話
  • 志ネットワーク「青年塾」代表上甲 晃

自らを省みて
自ら変わる

松下幸之助に学んだ
人生の要訣

松下政経塾の塾頭として、経営の神様・松下幸之助氏の謦咳に接し、現在は自ら主宰する「青年塾」で日本の若者の訓育に尽力する上甲 晃氏。松下氏から得た学びや、いまの日本の若者の実態を交え、1人ひとりが心に刻むべき人生の要訣について語っていただいた。

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「これからの日本を考えたら、心配で眠れんのや」

私は今年(2016年)75歳になりますが、年を取るというのはいいものだな、とこの頃特に実感するようになりました。

先日ベトナムへ行き、重い荷物を抱えてバスに乗り込んだ時、私の肩を叩く人がありました。こんな所に知り合いなどいないはずだが、と思いながら振り返ると、何とベトナムの若い人が席を譲ってくれるというのです。自分が年を取ったことを改めて自覚するとともに、異国の地で席を譲られたことに大きな感動を覚えました。

その時胸に去来したのが、私がかつて仕えた松下電器産業(現・パナソニック)創業者の松下幸之助の言葉でした。経営の神様と謳われた松下幸之助は90歳の頃、

「この世の中は、目に見えない力、宇宙根源の力の働きによって動かされていて、その根源の力に素直に従ったら物事は上手くいく。そして根源の力は生成発展の法則で働いているんや」

と言いました。私が「生成発展の法則が働いているなら、なぜ人間は死ぬのですか?」と質問すると、松下幸之助は、

「死もまた発展や」

と言うのです。「滅びであるはずの死が、なぜ発展なのですか?」と続けて尋ねると、松下幸之助は、「確かに人が死ぬことは寂しいけれども、死なんかったら人類は滅びるで」と笑いながら、

「一枚の木の葉がハラハラと落ちてくるのを見ると切ない思いがする。けれどもその落ちた葉が土に還れば、栄養になり、木はまた発展していく。だから死もまた発展なんや」

と答えたのです。

死が発展であれば、老いもまた発展の姿です。

松下幸之助が、我が国を導く真のリーダーの育成を目指して「松下政経塾」を立ち上げたのは、85歳の時でした。当時の私は、いかに経営の神様といえ85歳の老人がやる仕事ではない、と批判的に見ていました。ところが自分が年を重ねていくにつれ、いや大したものだと考えを改めるようになったのです。

松下幸之助は、「いまのような政治が続いたら、日本は必ず行き詰まる」と繰り返していました。国民が奮い立つような将来の国のあるべき姿を示して、実現するために段取りを組み、着実に実行に移していく政治家が、日本に1人もいないことを憂えて松下政経塾を立ち上げたのです。

私がもし85歳だとしたら、恐らく自分が生きることで精いっぱいでしょう。ところが松下幸之助という人は、85歳の時に21世紀の日本を本気で憂えて松下政経塾を立ち上げたのです。

いまから27年前に亡くなった松下幸之助にとって、21世紀は自分の死んだ後です。自分の死んだ後の、我が肉親のことでも我が社のことでもなく、日本のことを本気で心配する。自分で結果を見届けられないことに本気になる。これこそまさしく、志だと思うのです。

いまも松下政経塾の卒業生の間で語りぐさになっているエピソードがあります。

泊まり込みで塾生を指導していた松下幸之助がある朝、目を真っ赤にしているのを見て心配すると、

「僕はな、これからの日本を考えたら、心配で眠れんのや」

と答えたのです。このひと言の中に我われは、松下幸之助の強い志を感じ取ったのです。

志ネットワーク「青年塾」代表

上甲 晃

じょうこう・あきら

昭和16年大阪府生まれ。40年京都大学卒業と同時に松下電器産業(現・パナソニック)入社。広報、電子レンジ販売などを担当し、56年松下政経塾に出向。理事・塾頭、常務理事・副塾長を歴任。平成8年松下電器産業を退職、志ネットワーク社を設立。翌年、「青年塾」を創設。著書に『志のみ持参』『志を教える』など多数。最新刊に『志を継ぐ』(いずれも致知出版社)がある。