2025年9月号
特集
人生は挑戦なり
一人称
  • 東京大学特任教授福島 智

奇跡の人
ヘレン・ケラーの
生涯が教えるもの

突然の病によって生まれて間もなく光(視力)と音(聴力)を失うという過酷な状況にも決して屈することなく、すさまじい努力と挑戦心で自らの人生を切り拓き、多くの人に生きる希望と勇気を与え続けたヘレン・ケラー。同じ盲ろう者としてヘレン・ケラーを心の支えとしてきた福島智氏に、〝奇跡の人〟と呼ばれたヘレン・ケラーの生涯と挑戦の軌跡を、実体験を交えて紐解いていただいた。【写真=ⓒ時事/米ニューイングランド歴史系図協会提供】

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    光と音を失っていく中で――ヘレン・ケラーとの出逢い

    病気によって私が右目を失明したのは1966年、3歳の時のことです。ただ、左目は見えていたこと、幼かったこともあり、右目を失明した実感はあまりありませんでした。ところが、小学校に入学する頃、左目にも炎症が出て、学校を休みがちになりました。

    それでも、もともと楽天的な性格の私は、視力を失ってもまだ音の世界があると考え、音楽や落語などに夢中になっていました。

    しかし、小学校入学後、その聴力にも異常を感じるようになったのです。私がヘレン・ケラーの存在を知ったのは、まさにそのような時でした。近所の耳鼻科を受診した帰り道に、母が子供向けの伝記『少女ヘレン・ケラー』を買い与えてくれました。1970年の1月、小学1年生の3学期のことです。

    私は視力の残る左目で、『少女ヘレン・ケラー』を夢中で読みました。目が見えない、耳も聞こえないぜんもうろう者でありながら、自らの人生をこんなにもたくましく生き抜いた人がいたのかと、感動を覚えました。これがヘレン・ケラーとの最初の出逢いでした。

    この読書の2年後、私は左目を失明して全盲となり、さらに14歳の時に右耳の聴力まで失ったのです。やがてヘレン・ケラーとの第二の出逢いが訪れました。

    進学した筑波大学附属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)高等部の1年生の時、ある授業で、ビデオを流す場面があったのですが、先生が流す映像を間違えて、見知らぬ女性が日本語で挨拶する音声が流れました。「日本の皆さん、こん、にちは」。先生がすぐ止めてしまったため、10秒ほどの時間でしたが、それがヘレン・ケラーが来日した時の肉声だったのです。

    先天的に耳が聞こえない、あるいはヘレン・ケラーのように生まれてまもなく耳が聞こえなくなった人は、どうしても独特な話し方になってしまうものです。ところが、ヘレン・ケラーの言葉はとても聞き取りやすく、自伝で読んだように発音・発声のものすごい努力、訓練を重ねたことが伝わってきました。しかも慣れない日本語での挨拶ですから、なおさらです。

    そしてヘレン・ケラーの肉声を聞いた1年後、私は最後に残っていた左耳の聴力を失いました。

    当時、私は盲学校の寄宿舎で生活していたのですが、2年生の冬休みに神戸の実家に帰っている間に、左耳の状態が悪化し、それからわずか3か月で聞こえなくなってしまったのです。左耳が聞こえなくなっていくこの時期が人生で最も苦しかったように思います。

    盲ろう者となったことで、ヘレン・ケラーの存在は私の中でますます大きなものになっていきました。これが彼女との第三の出逢いだと言えるでしょう。というのも、当時、私の身近には目が見えない人、耳が聞こえない人はいても、目も見えず耳も聞こえない盲ろう者は誰もいなかったからです。

    以後、「ヘレン・ケラーだったらどうするだろう」と、人生の折々に考えたり、調べたりするようになりました。その問いは、いまも変わることなく続いています。

    ヘレン・ケラー

    1880年米国生まれ。熱病のため、1歳7カ月で聴覚と視覚を失うが、6歳からアン・M・サリバンによって教育を受け、20歳でハーバード大学ラドクリフ・カレッジに合格。三重の障害を抱えながら大学教育を修了した世界最初の人となった。全米及び海外各地で講演を行い、福祉活動に貢献。3度の来日を果たし、1948年には身体障害者福祉法制定の動きに影響を与えた。1968年死去。【写真=ⓒ時事/米ニューイングランド歴史系図協会提供】

    東京大学特任教授

    福島 智

    ふくしま・さとし

    1962年兵庫県生まれ。3歳で右目を、9歳で左目を失明。18歳で失聴し、全盲ろうとなる。1983年東京都立大学に合格し、盲ろう者として初の大学進学。金沢大学助教授などを経て、2008年より東京大学教授。2023年4月より現職。盲ろう者として常勤の大学教員になったのは世界初とされる。社会福祉法人全国盲ろう者協会理事、世界盲ろう者連盟アジア地域代表などを務める。著書に『ぼくの命は言葉とともにある』(致知出版社)、電子書籍に『渡辺荘の宇宙人』(素朴社)などがある。2022年11月、その半生を描いた映画『桜色の風が咲く』が公開され大きな反響を呼んだ。