2025年9月号
特集
人生は挑戦なり
対談
  • アイ・ケイ・ケイホールディングス会長兼社長CEO金子和斗志
  • 九州旅客鉄道相談役唐池恒二

挑戦で
切り開いてきた
人生と経営

ゲストハウス型の婚礼施設を展開するアイ・ケイ・ケイを創業し、就職人気ランキングで3年連続九州・沖縄一に選ばれる人気企業へと発展させてきた金子和斗志氏。日本初の豪華寝台列車「ななつ星㏌九州」をはじめとした鉄道事業の改革と事業の多角化を推進し、JR九州を完全民営化へと導いた唐池恒二氏。共に九州の地から東証プライム上場を果たし、日本を代表する企業へと育て上げてきたお二人に、絶えざる挑戦を重ねてきた足跡について語り合っていただいた。そこから見えてくるリーダーの条件とは――。

    この記事は約28分でお読みいただけます

    就職人気ランキングで3年連続九州・沖縄一に選出

    唐池 どうも、金子さん。きょうはお会いできるのを楽しみにしてきました。

    金子 私もです。唐池さんは九州を代表する経営者であり、現在は九州観光機構の会長として九州全体の観光を盛り上げている。人生や会社経営についていろいろ伺いたいと思っていたんです。

    唐池 お手柔らかにお願いします。

    金子 こちらこそ。唐池さんと最初に出逢ったのは、千数百人規模の唐池さんの講演会に一聴衆として参加した時でした。
    唐池さんのお話はユーモアにあふれながらも、論理的で非常に分かりやすい。千数百人全員がき込まれ、納得していたんですね。「私もこういう人になりたい」と感銘を受けたのを鮮明に覚えています。あれはいつ頃でしたかね?

    唐池 確か10数年前、年の始めに東京で行った講演だと思います。それからお会いする機会も度々ありましたけど、頻繁にお話しするようになったのはこの2年ぐらいですよね?

    金子 そうでした。2年前の唐池さんの古希を祝う会に参列したところ、何と私までお祝いしていただいて、大変感激しました。
    実は、私の生まれは1952年3月26日で、唐池さんは1953年4月2日。私のほうが1歳ちょっと先輩なんですね(笑)。

    唐池 学年は2学年違いますかね。先輩には頭が上がらない(笑)。
    古希を祝う会ですっかり意気投合して、それから数週間後には再び会食しましたものね。

    金子 唐池さんはJR九州を今日の発展へと導いてきた経営手腕はもちろんのこと、人間として器が大きい。それに秘めた情熱を持っていて、自然と人を惹きつける。まさに傑物だと私は思っています。

    唐池 いえいえ、とんでもない。それにしても、御社の躍進は目を見張るものがありますね。

    金子 佐賀県伊万里いまり市で父親が手掛けていた家業のホテルと結婚式場を受け継ぎ、アイ・ケイ・ケイを設立して今年(2025年)でちょうど30年になります。おかげさまで現在では、全国18都市で20の婚礼施設を運営しながら介護事業や海外婚礼事業等を展開し、グループ全体の従業員は1,000名を超えるまでになりました。前期(2024年10月)売上高232億円、営業利益24億円は共に過去最高でした。
    とはいえ、まだまだこれからです。婚礼事業では施行組数減少といった逆風が吹いています。そこで2020年には食品事業を手掛ける明徳庵を立ち上げるなど、新規事業開発に力を注いでいます。
    「誠実であれ! 情熱をもって 挑戦する!」。この当社の理念を旨とし、前進し続けているんです。

    唐池 絶えず挑戦を重ねている。いまや九州で働きたい会社ナンバーワンですものね。

    金子 今年4月にマイナビと日本経済新聞社が発表した「大学生就職企業人気ランキング」の九州・沖縄地区において1位になりました。これで3年連続1位、業種別の「冠婚葬祭」では11年連続1位に選ばれたことになります。
    学生が就職活動をする時って、その会社に勤める大学のOB・OGに話を聞きに行くことが多いんですね。「実際どうですか」って。その意味で、当社が九州の就職ランキング1位になったということは、社員が後輩に「うちはいい会社だよ」と本音で語ってくれているってことじゃないでしょうか。
    実際、面接に訪れる約2,000名のうち、約半数は婚礼事業を志望する子たちで、もう半分は「先輩にあこがれて」「社風に惹かれて」という理由でやってくるんですよ。

    唐池 ああ、社風に惹かれて。

    金子 当社の人事理念では、「チャレンジすることなく成果を上げた人財より、高い目標にチャレンジしたが失敗した人財の方を評価する」という挑戦に重きを置いた人事評価基準を明示しています。さらに我々は大きな夢も語っている。その夢に共感し、若いうちから自分の力を思う存分発揮したいと考える若者が入ってくるんです。
    そういう挑戦の社風を築けていることこそ、1位に選ばれた最大の要因だと思っています。

    アイ・ケイ・ケイホールディングス会長兼社長CEO

    金子和斗志

    かねこ・かつし

    昭和27年佐賀県生まれ。佐賀県立伊万里高校卒業後、靴販売店での営業などを経て家業のホテルを継ぐ。平成7年アイ・ケイ・ケイ設立、社長に就任。22年大証JASDAQ市場に上場。24年東証二部に鞍替えし、25年東証一部(現・プライム)指定。令和3年より現職。著書に『サービスの精神はありがとうから生まれる』(コスモ教育出版)がある。

    餃子300人前がトレードマネーに

    金子 唐池さんの「私の履歴書」(『日本経済新聞』)は興味深く読ませていただきました。元々鉄道が好きではなかったそうですね。

    唐池 鉄道、観光、アウトドア。この3つはいまでも嫌いです(笑)。

    金子 全部本業だ(笑)。

    唐池 こんな調子ですから、鉄道の道に進む気はまったくありませんでした。おまけに学生時代は柔道一筋の生活で、就職活動のことなんか考えてもいなかった。ただ、京都大学柔道部の10年上の先輩が当時国鉄に勤めていまして、その方が誘ってくれたんですよ。
    一番の決め手は大学最後の大会が札幌で開かれた7月、先輩が我々柔道部員約30人にぎょう300人前を差し入れしてくれたことです。「ああ、借りができた。これは行かなあかんな」と。餃子が私のトレードマネーとなって、国鉄に入社を決めました。

    金子 先輩の行為をいきに感じられたわけですね。

    唐池 粋というよりは、義務のように感じましたけど(笑)。
    私が入社した1977年頃の国鉄はむちゃくちゃな組織だったんですよ。労使関係の悪化で職場規律は乱れ、毎年1兆円ほどの赤字を垂れ流している。そんなことも知らずに入ってしまったんです。
    入社11年目には経営たんに陥り、中曽根内閣によってJRに分社化されました。大阪出身だから配属は西日本だろうと思っていたんですが、優等生じゃなかったので人事担当者が意地悪したんでしょうね。縁もゆかりもないJR九州に入ることになりました。結果的にのびのび仕事ができたので、JR九州でよかったと思います。

    金子 唐池さんの経営者としての原点はどこにあるのですか?

    唐池 私はJR九州の社長になるまで、本業の鉄道事業に計4年しかたずさわっていません。その中で何が自分のかてになったのかを振り返ると、主に4つあります。
    1つは、入社2年目で国鉄当局側の団体交渉員を務めたこと。たとえ敵対関係にあっても、うそをついたり、ごまかしたりせず、一度した約束は絶対に守る。その積み重ねが信頼につながると学びました。
    2つ目は、30代半ばで百貨店大手の丸井に出向したことです。わずか4か月の短い間でしたが、経営戦略から挨拶や掃除の徹底といった職場の慣習に至るまで、ありとあらゆることを教わりました。
    3つ目は、JR九州発足後に携わった船舶事業で、日本と韓国間の国際航路を立ち上げるために、韓国政府と粘り強く交渉した経験は非常に勉強になりました。
    そして4つ目が、外食事業です。1993年に外食事業部次長を拝命し、のちにJR九州フードサービスの社長も務めました。これらの経験が私の基礎をつくってくれたような気がします。

    九州旅客鉄道相談役

    唐池恒二

    からいけ・こうじ

    昭和28年大阪府生まれ。52年京都大学法学部卒業後、日本国有鉄道(国鉄)入社。62年国鉄分割民営化に伴い、九州旅客鉄道(JR九州)総務部勤労課副長。外食事業部長、経営企画部長、2度のJR九州フードサービス社長などを経て、平成21年社長に就任。26年会長に就任。令和5年より現職。著書に『ななつ星への道』(PHP研究所)『感動経営』(ダイヤモンド社)など多数。