先日、『致知』の愛読者から弊社のお客様係に一通の手紙が届いた。差出人は長崎県在住の吉村光子さん、御年100歳。便箋5枚、直筆で力強くびっしりと綴られた文章はまるで長編の詩のようだった。その一部を6月号の特集総リードで紹介したところ、大変な反響をいただいた。22歳の時に被爆し、九死に一生を得た吉村さんの人生は、まさに悲愁を越えて歩み来た100年である。長崎のご自宅を訪ね、健康長寿の秘訣、人格形成の原点、幾多の試練に直面する中で支えになった信条、よりよい人生を送る心得に迫った。
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吉村光子
よしむら・みつこ
大正12年東京生まれ。生後間もなく関東大震災で被災。女学校を卒業後、父親の転勤により上海へ移住するも、16歳で父親と、17歳で母親と死別する。その後、長崎の叔母の家に預けられる。昭和20年8月9日、三菱兵器製作所に勤務中に被爆し、九死に一生を得る。22年に見合い結婚、仕事をしながら家計を支える。2回の流産と1回の死産を経験。平成19年には60年連れ添った夫が病死。以後、現在まで1人暮らしの生活を続けている。