2023年6月号
特集
わが人生のうた
対談
  • 駒澤大学陸上競技部総監督大八木弘明
  • 岡山学芸館高等学校サッカー部監督高原良明

日本一への軌跡きせきうた

誰もが日本一を目指して鎬を削る中、勝利の栄冠に輝くチームに共通するものはあるのだろうか。
今年(2023年)1月、共に初の栄光を掴んだチームがある。駒澤大学陸上競技部は歴代5校目、悲願の大学駅伝3冠を達成。岡山学芸館高校サッカー部は岡山県勢として初の全国制覇。それぞれ指導に当たった大八木弘明氏と高原良明氏に、日本一への軌跡、人生を貫くものを語っていただいた。

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駒澤大学陸上競技部初の3冠達成を振り返って

大八木 1月に行われた全国高校サッカー選手権大会での優勝、おめでとうございます。

高原 大八木監督も大学駅伝での3冠達成、誠におめでとうございます。実は、今回の選手権で活躍したうちの部員2名が、この春から駒澤大学に進学させていただきました。

大八木 サッカー部の岡田誠史コーチから聞いていますよ。

高原 僕も何度か駒澤大学に選手を連れて伺っているんですけど、サッカー場の周りで陸上部の指導をされる大八木監督のお姿を遠目で拝見したことがあります。すごく厳しい指導をされていたのできょうは大変緊張しております(笑)。

大八木 普段は違いますから(笑)。現場はやっぱり、選手たちが本気で来ているのでどうしても厳しい指導になってしまいます。

高原 それにしても今回の3冠達成には、並々ならぬ思いがあったのではないでしょうか?

大八木 昨年(2022年)の箱根駅伝が終わった時点で、選手層が厚くなってきているので来年度は3大大学駅伝〔出雲駅伝(10月)、全日本大学駅伝(11月)、箱根駅伝(1月)〕で3冠を狙えるかもしれないという話を選手たちにしました。すると4月に入って選手のほうから今年1年間のスローガンは何が何でも3冠を取ることだと掲げてきてくれたんです。これまで28年間駒澤大学で指導をしてきて、選手自身が自ら発心して3冠を目指すと公言してきたのは初めてでした。強い決意を感じて、私もその思いに全力で応えようと覚悟を持って挑んだ1年となりました。
私は結構欲張りなところがありまして、駅伝だけではなく個人種目でも結果を出させてあげたいと常々考えています。昨年は世界陸上が開催された年でしたので、世界の舞台にも連れて行きたかった。結果的に2人を出場させることができたものの、試合を終えて帰国すると体調を崩す選手が出てしまい、夏合宿時のチームの状態はあまりよくありませんでした。
ここで一度切り替え、子供たちのやる気を引き出さなければと危機感を抱き、本当はもっと後に伝えるつもりでしたが、今年度で監督を引退する旨を選手たちに初めて打ち明けました。「もう俺は今年で辞めるんだ。そのつもりで死ぬ気でやっている。だからお前たちもその気持ちで打ち込んでほしい」と。その思いに上級生、特に4年生が本気になってくれました。

高原 監督に有終の美を飾ってほしいという思いが選手たちの根底にあったのでしょうね。

大八木 それもあったかもしれませんが、女房が寮母として朝夕と食事をつくっていましたから、子供たちは女房のためにという思いも強かったと思います。
これまでに3冠は2度チャレンジしています。でもできなかったのはスタミナの差なんですね。スピードは他に負けないけれど、走り込みが足りなかった。ですから今年は年間を通してスタミナを意識して準備を重ねてきました。この準備の徹底が、最終的な選手層の厚さにつながりました。
箱根駅伝で走れるのは10名です。ですが、上から14番手くらいは誰が走ってもいいくらいの選手が揃っていました。大会直前の12月、エース2人がコロナにかかり、年末の30日には他のメンバーが胃腸炎になりました。それでも他のメンバーが常にいつでも走れる状態で待機していたので、急なアクシデントに見舞われながらも動揺することなく試合に臨め、日本一をつかむことができました。

駒澤大学陸上競技部総監督

大八木弘明

おおやぎ・ひろあき

昭和33年福島県生まれ。52年高校卒業後、小森印刷(現・小森コーポレーション)入社。58年24歳で駒澤大学夜間部に進学。3度の箱根駅伝出場(2度の区間賞)を果たす。平成7年駒澤大学陸上競技部コーチに就任。14年助監督、16年監督に就任。令和3年箱根駅伝で13年ぶり7度目の優勝に輝く。令和4年度の大学3大駅伝で3冠達成。5年3月監督を勇退し総監督へ。コーチ時代も含め「大学3大駅伝」で通算27回優勝に導いた。著書に『必ずできる、もっとできる。』(青春出版社)など。

岡山学芸館高校サッカー部 初の全国制覇の舞台裏

高原 うちは逆で、そんなに選手層が厚いわけではありませんでした。今回の選手権大会も30名の選手登録ができますが、当日は20名のエントリー。初戦からスターティングイレブンがほぼ同じメンバーで、交代枠は5人までありますが、ほぼスタートのメンバーで戦い抜きました。その中で勝利できたのは、最後まで走り抜くチーム力があったからだと思います。
選手たちに自発的に目標を立てさせるのはうちのサッカー部も同じで、毎年新チームになった頃に必ずミーティングをして、1年間の目標を自分たちで決めさせています。駒澤大学さんの全国3冠と比べるとうちはまだ県レベルですが、昨年度は新人戦、インターハイ、選手権大会の岡山県内大会で3冠を取ることを目標に掲げてスタートしました。
ですから今回優勝できた選手権では、恥ずかしながら初めから明確に日本一を目指していたわけではありませんし、当然、優勝候補にさえ挙がっていませんでした。夏のインターハイで2年連続ベスト8に入りましたので、とにかくこのベスト8の壁を越えてベスト4に入ろうと。
いま思えば、3回戦で戦った國學院大學久我山高校(東京)との試合が転機になりました。ずっと押され気味の戦いを続けながらも、最後しっかりと守り抜き、PK戦で勝った試合ですけど、この1戦が日本一に向かっていくスタートになったと感じています。この戦いで、体を張って守備を粘り抜く自分たちらしい戦いができ、自信に繋がりました。
3回戦以降は、相手が格上だろうがとにかくいままで積み上げてきたものをしっかり出し切るしかない。そう選手たちを鼓舞して、毎試合毎試合、目の前の戦いだけを考え全力で挑んできました。

大八木 見事なPK戦がメディアでも話題になっていました。

高原 今回の選手権ではPKを蹴った全員が1度も外しませんでした。僕は蹴るコースを一切指示しておらず、選手たちが自ら自信を持って蹴ってくれた結果です。
とにかく練習の時には、「皆の思いを背負って蹴るPKだから、軽い蹴り方をするな。キーパーに予測され弾かれたとしても、その手を弾いてでもネットに突き刺すくらいの強さで自分の狙ったところに決めろ」、そう指導していました。
PKにはもちろん運もあるのでしょうが、やっぱり練習を積み重ねてきた力は大きいと思います。
準決勝で戦った神村学園(鹿児島)はプロ内定の選手が2人もいるトップレベルのチームでしたが、ここでもPK戦を制して勝利を手にできました。

大八木 今回の優勝は岡山勢としても初の快挙で、先生にとっても指導に携わって20年目にして掴んだ栄光だったそうですね。

高原 といっても、優勝した瞬間もいまも、あまり日本一という実感はありません。決勝戦の直前も不思議と緊張感はなく、ロッカールームで選手も僕も非常にリラックスして臨むことができました。
今回のリーグ戦が始まる前、選手たちに以前『致知』に掲載されていた"博多の歴女"と呼ばれるしらこまさんの「天命追求型の生き方・目標達成型の生き方」という考えについて話しました。
天命追求型とは将来の目標に縛られることなく、いま自分の置かれた環境でベストを尽くすという考え方です。それを続けていくと天命に運ばれ、自分では予想もしなかった高みに到達できる。
初めはベスト4を目標に戦っていたため、無事にベスト4入りが確定した日の夜のミーティングで、この話を再度共有しました。目標達成はしたけれど、もう1つ天命に従って戦うならば、とにかく次の一戦、目の前の試合に全力で戦うしかないよなと。

大八木 その考えがチームの共通認識になっていたからこそ、ベスト4で満足せず日本一まで上り詰めることができたのでしょうね。

岡山学芸館高等学校サッカー部監督

高原良明

たかはら・よしあき

昭和54年福岡県生まれ。東海大学3年次に総理大臣杯優勝。卒業後、岡山国体を見据えた強化選手に選ばれ、Jリーグ加盟前のファジアーノ岡山でプレー。平成15年現役を続ける傍ら、岡山学芸館高校サッカー部コーチに就任。20年現役を引退し、22年同部監督に就任。24年初めてインターハイに出場。令和4年度の全国高校サッカー選手権大会にて初優勝を掴む。