2018年3月号
特集
てん ざいしょうずる
かならようあり
インタビュー①
  • 日本ラグビーフットボール協会副会長坂田好弘

ラグビーの神様に導かれて

日本ラグビー史上、最高の選手と称される伝説のラガーマン・坂田好弘氏。かつて「世界のサカタ」「空飛ぶウイング」としてその名を轟かせ、2012年に東洋人として初となるラグビー殿堂入りの栄冠を手にした。ラグビー一筋に懸けてきた60年、その中で掴んだ指導哲学とはいかなるものか。

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51人目にして東洋人初の殿堂入り

——坂田さんは現役時代、「世界のサカタ」「空飛ぶウイング」の異名を取り、2012年に東洋人として初めてラグビー殿堂入りを果たされましたね。

ラグビーと共に人生を歩んできた私にとって殿堂入りは大変名誉なことであり、心から感謝しています。
実は最初、IRB(国際ラグビーボード)の方からメールが来たんですけど、その時はよく分からなかったんです。で、読んでいくと「Hall of Fame」と書いてある。そこで初めてラグビー殿堂というものがあることを知りました。
歴史を調べたら、びっくりしましたよ。ラグビーの考案者であるウィリアム・ウェッブ・エリスと、ラグビーが生まれたパブリックスクールのラグビー校が第1号で、その次は近代オリンピックの創始者でラグビーのレフェリーだったピエール・ド・クーベルタン。
  
—— 錚々そうそうたる人たちが名を連ねていたと。

私は51人目の殿堂入りだったんですけど、そもそも東洋の国の選手が選ばれるというのは考えられないことで、ワールドカップ最多優勝のニュージーランドをはじめオーストラリア、南アフリカ共和国、イングランドなどの強豪と違って、選考の土俵にさえ乗らないと思っていました。
でも、非常に平等に見てくれて、私が1969年版ニュージーランドラグビー年鑑で「ファイブプレーヤーズ・オブ・ザ・イヤー」に輝いたことや、ニュージーランドで最も強いカンタベリー州代表に選出されたことなど、その活躍をきちんと評価してくれたっていうのはありがたかったですね。

日本ラグビーフットボール協会副会長

坂田好弘

さかた・よしひろ

昭和17年大阪府生まれ。京都府立洛北高校でラグビーを始め、3年連続で全国大会出場。36年同志社大学に入学し、1年次と3年次に全国制覇。40年同大学卒業後、近畿日本鉄道入社。現役10年間で4度の日本一に貢献。52年大阪体育大学ラグビー部監督に就任。在任36年間で関西学生Aリーグ5度の優勝に導く。平成24年IRBよりラグビー殿堂入りの表彰を受ける。