2021年2月号
特集
自靖自献じせいじけん
  • 元高校教師中村正和

後世に継いでいきたい
日本の心

相次ぐ災害に、コロナ禍、そして緊迫する国際情勢。試練の続く我が国が、今後長きにわたり安寧を維持していくために大切にすべきものは何か。戦後の変質してしまった学校現場で奮闘し、本物の教育を追求し続けてきた中村正和氏に、自身の足跡を交え、私たちが取り戻すべき日本の心の本質についてお話しいただいた。

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「僕よりお腹をすかせてる人がいるから」

神奈川県で高校教師を務めていた私が、東北の被災地へおもむいたのは、東日本大震災が起きた2011年の夏休みでした。県のボランティアに申し込み、岩手県の陸前高田市と大槌おおつち町で瓦礫がれきを拾う作業に参加させていただいたのです。

被害の大きさはテレビや新聞で理解したつもりでいましたが、実際に自分の目で見た現地の有りさまは、想像を絶するものでした。

陸前高田市は、津波で町のすべてが押し流され、壊滅状態でした。海辺にあった缶詰工場は跡形もなく、冷凍庫に保管されていた大量の魚はすべて押し流され、地面はヘドロ状になって猛烈な悪臭を放っていました。未だにその時のショックはぬぐい去れませんが、一帯に多くのご遺体が埋まっていた震災直後の惨状は、とてもその比ではなかったそうです。

大槌町は、住宅街に大型船が打ち寄せられ、家々は土台だけを残してすべて持ち去られていました。あちこちに花が置かれており、逃げ遅れた方々がそこで亡くなったことが分かりました。

現地には毎日たくさんの方がボランティアに来て活動していました。懸命に作業する高校生や中学生、外国人の方々の姿もあり、心の底から感謝の念がいてきました。私たちボランティアは、釘やガラスの破片が刺さって破傷風はしょうふうにならないよう、靴底に鉄板を入れ、眼にはゴーグルを当てて瓦礫を拾いました。瓦礫の中には写真や衣類もあり、「一つひとつが被災者の大切な遺品なので、丁寧に扱ってください」と教えられました。

私は、被災地で得た体験を、ぜひとも生徒たちと共有したいと考え、震災にまつわる様々な情報を集めて授業を行いました。その際、拙著『天皇の祈りと道』の序文に書いた「9歳の男の子」の話を知って、私は衝撃を受けたのです。

それは、ユーチューブで紹介されていたベトナムから日本へ帰化した警察官が語った話でした。震災直後のある夜、その警察官は食料を配る手伝いのために避難所へ向かいました。そこにはようやく届けられた食料を受け取るために、たくさんの被災者が列をつくっていました。その最後尾に目をやると、9歳ほどの男の子が厳寒の中をTシャツ・短パンという軽装でたたずんでいます。気になって声を掛けた警察官は、その子が語り出した悲惨な体験に言葉を失いました。

地震の後、お父さんが小学校に車で迎えに来てくれた。けれどもその時、大きな津波が来て、お父さんを車ごと呑み込んでいくのを3階のベランダから見た。海の近くの自宅にいた母親や弟妹もたぶん助からないと思う……。

その9歳の男の子は、不安を打ち消そうと涙を拭いながら、悔しさと寒さに震えながら、必死に話してくれたのです。

不憫に思った警察官は、男の子に自分のコートを掛けてやり、用意していた食料のパックを渡しました。きっと喜んで食べてくれるだろうと思ったのです。ところが、その男の子はどうしたか?

何と、彼はその食料パックを配給用の箱に置きに行ったのです。そして、戻ってきた男の子は、警察官にポツリと言いました。

「僕よりお腹をすかせてる人がたくさんいるだろうから……」と。

何ということだ! 警察官は、もう涙で少年を見ることができませんでした。両親も弟妹も行方不明で、不安と悲しみに打ちひしがれ、空腹と寒さの中で絶望している9歳の少年が、それでもその困難に耐え、自分のことよりも他人を思いやることができる。

このような悲惨な境遇に置かれた幼い少年でも、己を捨て、人のために生きようとする。日本人は何と偉大な民族なのだろう。

その話は警察官の口からベトナムに広まり、現地の新聞でも紹介されました。新聞は「人情と強固な意志を象徴する男の子の話に、我々ベトナム人は涙を流さずにはいられなかった」とつづり、こう問い掛けています。

「我が国にはこんな子がいるだろうか」

この話を知ったベトナムの人々は、男の子と日本に称賛を惜しまず、裕福とは言えない人々からも多くの義捐金ぎえんきんが寄せられました。

この「9歳の男の子」の話を、私が授業で生徒たちに語り聞かせた時、彼らは口々に「私も同じようにします」と答えてくれました。生徒たちのその答えを聞いて、日本はまだ大丈夫だと、国の行く末を憂う私の心に希望の光が射したのを鮮明に覚えています。

元高校教師

中村正和

なかむら・まさかず

昭和30年北海道生まれ。法政大学大学院修士課程修了。神奈川県下で高等学校教諭を歴任。退職後、執筆と筆禅道に専念。筆禅会幹事、勉強会「獅士の会」を共催。著書に『天皇の祈りと道』(展転社)がある。