2025年1月号
特集
万事修養
対談
  • 公益財団法人いのちの森文化財団代表理事塩澤研一
  • 公益財団法人いのちの森文化財団副代表理事塩澤みどり

それでも
人生に微笑む

消えそうないのちを
守り続けて50年

標高1000メートルの信州・飯綱高原に広がる癒やし、気づき、学びのコミュニティ「いのちの森『水輪』」。
夫婦で代表を務める塩澤研一氏とみどり氏の活動の原点は、出産時のトラブルで最重度の障碍を負った愛娘の誕生だった。
このいのちを授かった意味は何なのだろうか──。消えそうないのちを懸命に守りつつ、答えを求めて歩み続けてきた二人が見出したものとは。

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マイナスの考え方をプラスに

2024年10月31日、木々の葉が色づく信州のいいづな高原に塩澤ご夫婦が営む「いのちの森『すいりん』」を訪ねた。対談に先立ち、ここで生活を共にしながら学ぶ若者たちが、歌、太鼓、演舞を披露。一人ひとりのいのちが躍動する圧巻のパフォーマンスであった。
塩澤研一(以下、研一) この子たちは、「水輪」の青少年育成事業の一環で運営する全寮制のフリースクール「生き方と働き方学校」に在籍していましてね。学校では総勢30人の仲間と24時間、365日生活を共にしながら、実社会の中で各々の人生をしっかり切り開いていける人間力を養っていくことを目指しているんです。

塩澤みどり(以下、みどり)皆それぞれに挫折を味わってきた子たちなんですよ。学校でいじめられて自殺未遂みすいを起こしたり、職場にめずに心の病をわずらったり、難しい問題を抱えた子が、それぞれの課題を乗り越えるためにここで一緒に学んでいるんです。

研一 活動は朝6時の朝礼から始まります。コミュニケーション力やリーダーシップ、仕事力を含めた生きる力を養うために、日中は座学ばかりでなく、館内のメンテナンスや食事づくり、風呂掃除、庭木の手入れ、農作業など、生活力、仕事力、人間力をつけるための様々な実習を行っています。そして夕食後のグループミーティングで一日を振り返り、各々の気づきや学びを分かち合います。

みどり 重い心の病や覚醒剤かくせいざいの後遺症などで、最初はまともに歩くこともできなかったり、寝たきり状態のような子も来ます。そういう子には、食事の改善や様々なセラピーを施して体を回復させます。さらに「畑づくりは人づくり」という理念で行っている畑実習にも参加して、大自然の中で汗を流すことで体も徐々にしっかりしてくるんです。
マイナスの考え方で生きてきた彼らに、考え方を変えれば人生も変わることに気づいてもらいたくて、活動を通じてものの考え方についても教えます。どうせ人生なんか変わりっこないと思い込んでいた子が、いろんな学びや実践を通して考え方が少しずつプラスになっていく様子を見られるのは、とても嬉しいですね。
「いのちの森『水輪』」は、4万3,000坪の緑豊かな敷地で自然農園や宿泊施設、自然食レストラン、クリニックなどを運営し、人類の意識の進化をテーマに様々なセミナーやイベントを開催。世界中から数多くの人々が訪れている。
研一 時代は1,000年単位の大転換期にあると感じています。これまでのモノを中心とした時代から、心の時代、意識の時代に大きく転換を遂げている最中ではないでしょうか。このことを踏まえて水輪では、一人ひとりが自己を深め、意識を高めていくための学びの場を提供しているんです。
この活動を始める前の僕らは、社会や経済、医療を変革するなど、外側の仕組みを変えていけば世の中がよくなるんじゃないかと考えていました。けれどもいまは外側よりも内側、自分の精神性とか魂、意識のあり方を変えていくことのほうが大事だということに気づきましてね。「いのちの大学構想」と銘打って教育、文化、医療、経済など、人間のあらゆる営みをホリスティック(包括的)に学ぶ場を提供しています。

みどり ここには元々いろんな悩みを抱えた方が相談に訪れていたんですが、そのうちに「ここにおいてほしい」と言われるようになり、これまで累計で500人以上の方が一緒に生活していかれました。いま私たちは、スタッフ、研修生、実習生たちと30人で共同生活をしながらこの活動を行っています。
皆さんと共に心を高め、人類の意識の進化に貢献していきたいというのが私たちの思いなんです。

公益財団法人いのちの森文化財団代表理事

塩澤研一

しおざわ・けんいち

昭和22年長野県生まれ。前頭葉脳損傷という重度の障碍を負った娘・早穂理の養育体験を踏まえて様々な社会活動を展開。平成4年水輪の会を設立し、心と体といのちを大切にする実践活動を展開。18年いのちの森文化財団を設立。23年公益財団認可。㈱水輪ナチュラルファーム代表取締役。㈲グリーンオアシス代表取締役。いのちの森クリニック事務局長。

運命の子早穂理の誕生

共に長野県出身の二人が出逢ったのは小学生時代。初対面の時から深い縁を感じて交際を重ね、そして結婚。そんな二人が現在の活動を始める原点となったのが、愛娘・さんの誕生だった。
みどり 早穂理が生まれたのは1975年4月3日でした。
陣痛じんつうが起きて入院したんですけど、破水はすいして微弱陣痛になり、自力で赤ちゃんを産み出す力がなくなってしまいました。すぐに帝王切開ができていれば問題なく出産できたかもしれませんが、あいにく産婦人科のお医者さんは医師会選挙に出かけて不在で、助産師さんも当直明けで帰宅していました。ようやくお医者さんが戻った時には、赤ちゃんは産道の中で窒息寸前でした。

研一 もう帝王切開ができない段階になっていたので、吸引分娩ぶんべんといって、赤ちゃんの頭に機械を付けて引っ張り出す形で出産したんです。

みどり 生まれた娘を取り上げた瞬間に、「あれ、おかしいな?」と思いました。泣き声一つ上げないし、おっぱいにも吸いつかないんです。体中に紫色のはんてんができていて、その中に白い斑点も混じっている。重度の酸素欠乏です。すぐに保育器に連れて行かれたんですけど、娘は中でけいれんを繰り返していました。
他の赤ちゃんたちはお母さんの傍でスヤスヤ寝ているのに、なぜ、どうしてと、不安や怒りや悲しみで心は張り裂けそうでした。

研一 検査の結果、娘は前頭葉脳ぜんとうようのう損傷そんしょうというしょうがいを背負ってしまったことが判りました。出産時の酸素欠乏によって頭蓋ずがい内出血を起こし、前頭葉がダメになってしまっているというのです……。

みどり この子は一生歩くことも、食べることも、話すことも、手を使うこともできないでしょうと。その時の気持ちはもう……とても言葉では表現できません……。
病院へ抗議しに行きましたけど、どうにも気持ちが収まらなかったですね。あまりのつらさに畳をガーッと引っいて、爪の間は千切れたわらでいっぱい。もう毎日泣いて暮らしていました。
最重度の障碍という宿命を背負って誕生した早穂理さん。周囲からは施設に預けるよう勧められたが、二人は自分たちの元で育てることを決意する。
みどり 地元の障害福祉課の方たちがたくさん来てくださって、「お母さん、いまは娘さんも小さいから何とかケアできているかもしれませんが、大きくなったら本当に大変なんですよ」って、施設に入れることを盛んに勧められました。

研一 それでどんな施設なのか一度見に行ってみたんです。するとそこの子供たちは、手を縛られて床に転がされていたり、高い柵に囲われたベッドに寝かされていたりして、まともなケアなんかされていない。現実問題としてそういう対応しかできないことは理解できるんですが、とても大切な娘を預ける気にはなりませんでした。

みどり 私たちが帰る時には、皆が追いかけてくるんですよ。自分たちの親だと思って。園を出て振り返ると、鉄格子の入った窓から手を伸ばしながら、「お父ちゃん、お母ちゃん」って張り裂けんばかりの声を上げていました。

研一 その様子を見て、早穂理は絶対自分たちの元で育てるんだと覚悟を決めました。やれる限りのことをしてあげようと。

公益財団法人いのちの森文化財団副代表理事

塩澤みどり

しおざわ・みどり

昭和22年長野県生まれ。出生時に前頭葉脳損傷という重度の障碍を負った娘・早穂理との生活の中で、様々な葛藤を体験。平成4年水輪の会設立を出発点に、心と体といのちを大切にする実践活動を展開。18年いのちの森文化財団を設立。23年公益財団認可。水輪の会代表。いのちの森クリニックカウンセラー。