2026年7月号
特集
続けてこそ道
対談
  • トロント総合病院呼吸器外科部門チェアマン安福和弘
  • さくさべ坂通り診療所元院長大岩孝司

最後まで諦めず
進化し続ける

医師の使命に生きて

がんの中でも完治が難しく、最も死亡数が多い肺がん。いま呼吸器治療の世界の精鋭が集うカナダ・トロント総合病院で、最先端のがん治療に挑む医師がいる。安福和弘氏、60歳。累計執刀数は5,000例を超え、死亡率0.03%と驚異の実績を持つ。その氏が生涯の師と仰ぐ人物、それが元呼吸器外科医にして、在宅緩和ケア専門の診療所を開業、2,000人以上の人生を見届けてきた大岩孝司氏だ。己の使命を追究し、進化し続ける両氏が見据えるものとは。

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    トロント総合病院呼吸器外科部門チェアマン

    安福和弘

    やすふく・かずひろ

    昭和40年兵庫県生まれ。7歳から15歳までアメリカで過ごし、平成4年千葉大学医学部卒業、千葉大学附属病院勤務。8年より松戸市立東松戸病院にて研修。11年インディアナ大学医学部に留学。帰国後、千葉大学大学院で医学博士号を取得する。18年トロント総合病院に留学、20年同院で日本人初の正式採用に至る。現在、呼吸器外科部門チェアマン。

    さくさべ坂通り診療所元院長

    大岩孝司

    おおいわ・たかし

    昭和22年東京都生まれ。47年千葉大学医学部卒業、同肺癌研究施設外科部門勤務。以後、国立佐倉病院、結核研究所附属病院、鎗田病院などで主に肺がん診療に従事する。平成5年松戸市立東松戸病院外科部長。14年さくさべ坂通り診療所開業。令和4年同診療所を閉院、現在は緩和ケア、在宅医療の医学としての完成形を目指して研究を続けている。著書に『がんの最後は痛くない』(文藝春秋)など多数。

    対談は安福氏の一時帰国に合わせ、羽田空港のホテルにて行われた。会場前のロビーにて、両氏は6年ぶりの再会を果たされた。

    世界トップ外科医は〝心地いい頑固者〟

    大岩 おっ、安福やすふく

    安福 ああ、お久しぶりです。

    大岩 遠目でもすぐ分かったよ。学会で帰って来たんだって?

    安福 ええ。北海道で外科学会があって、2日前に。この後、母や姉と食事して、夕方の便でまたカナダにつ予定です。大岩先生もお元気そうで何よりです。

    大岩 実は5年前、せきついかんきょうさくしょうで足の痛みがひどくなって、20年続けてきた在宅緩和ケアの仕事が難しくなってね。
    2022年に診療所をお休みしてもっぱら若手緩和ケア医との勉強会や講演の日々でした。昨年(2025年)も日本内科学会、死の臨床研究会でのシンポジウムに参加して、緩和ケア、在宅医療についての発表をしてきました。
    だから事前に送ってくれた、カナダ国営テレビのドキュメンタリーで安福の活躍を見て、久しぶりにワクワクした。私が外科医の頃とは世界がまるで違うと。

    安福 ありがとうございます。
    大岩先生と初めてお会いしたのは1997年、私が31歳の時でしたね。千葉大学病院で呼吸器外科に入局してから5年目でした。同じ県内の松戸市立東松戸病院で、医局の一匹狼としてガンガン手術をしている先輩がいると知って、研修を志願したんです。

    大岩 私は50歳手前で、外科部長と診療局長を兼務していました。東松戸病院はその4年前に開院したばかり、呼吸器外科は私一人だったところに安福が来てくれた。二人で肺がん手術を年に40例以上、他の疾患を含め開胸手術は150例前後やりました。全国屈指の数字だったと思いますよ。

    安福 朝早くに出勤して、終わるのは本当に遅かったですね。

    大岩 うん、日付が変わる前に帰ることは滅多になかったな。

    安福 当初、自分は医師5年目で、もうある程度一人前にできると思っていました。ところが、先生と入った1例目の手術で叩きのめされました。自分が知らない術式を指定されたんです。患者さんを前に降参はできませんから、必死で食らいつきましたよ。
    それからも、慣れてきてうぬれが出たのを見計らうようにご指導をいただいて、いかに自分が甘かったかを思い知りました。手術をどう組み立て、どのスタッフに何を頼むか。このやり方がダメならこう手を打つ……こういう手術の展開を、外科医は手術室に入る前にすべて頭に描いておく必要がある。何より外科医としての心構え、考え方を徹底的に教えていただきました。わずか2年間ながら、私の人生を変えてくださったのが大岩先生だと思っています。

    大岩 私も、安福の第一印象は強くあります。非常にいち。このように過分なめ言葉をもらっても、素直に受け取っていいなと思える率直な人間なんです。
    いまの話は、私が意地悪をしていたように聞こえますが(笑)、少し説明しておきます。
    戦後、喫煙率など生活の変化に伴って肺がん患者が増えていた一方、日本の呼吸器外科医の数、手術数は大変少ないもので、若手を育てる必要がありました。当然、初めは事故が起きないよう「ここを切りなさい」と指示します。ただ、それでは私が離れた途端にダメになる。だから私自身が手術の展開を描けている場合には、どんどん執刀を任せました。
    安福の人間性は、別の言い方をすれば「心地いい頑固者」ですね。自分の意見をぶつけてくる強さがありました。2人でかんかんがくがく、対等の議論をしながら、最先端の手術に挑戦できたと思っています。

    約30年前、深夜に及ぶ手術を終えた両氏は、ファミリーレストランや大岩氏の自宅で夜食を共にしたという

    医師としての高みを目指し続ける

    安福 あれから約30年ですか。

    大岩 私は手術に明け暮れるかたわら、残念ながら治る見込みのない患者さんの家にお邪魔して、自宅療養の継続を応援していました。2001年に外科医をやめ、がんの在宅緩和ケア専門の「さくさべ坂通り診療所」を20年営みました。
    一般的に、がんは「痛い病気」と思われていて「末期に耐え難い激痛に襲われて七転八倒する」と強い恐怖に駆られている人がたくさんいます。しかし、この活動を始めて気づいたことがあります。
    それは、医療者側が鎮痛剤の用法など正しい医療技術に習熟し、患者さんたちを悩ませる痛みの本質を理解し適切な対応をすれば、がんの痛みは大した問題にならない、ということです。とりわけ、住み慣れた家でその人らしく最期を過ごすことで、不思議と痛みに苦しまなくなる、という実例を多く見てきました。

    安福 過度に恐れる必要はないと。

    大岩 国際とうつう学会が「痛み」の定義を発表していて、「不快な感覚」と「情動」が合わさって痛みになると書かれています。つまり体の不快感だけでなく、心の働きが痛みに影響しているわけです。
    しかし、こういう緩和医療の事例や発見は未だ充分に共有されていなくて、実践できる医療機関、医療者もまだまだ少ない。医学として成熟していないんですね。私は残された時間と力を使って、緩和医療の課題を整理して、医学として成熟させたい。いまはそこにエネルギーを注いでいます。

    安福 ああ、先生の情熱は当時のまま、変わっていませんね。
    外科医はある意味、手術で患者さんの体を傷つけ、痛みも与える仕事。ただ、それでも救えない命がある。それは外科医の「永遠の宿題」とおっしゃっていました。20余年、その宿題と向き合ってこられたのですね。

    大岩 安福のトロントでの活躍ぶりは、折に触れて聞いています。

    安福 先生もご存じの通り、いま私がいるカナダ・トロント総合病院は、世界で初めて片肺移植、そして両肺移植という困難な手術を成功させた歴史を持ち、呼吸器医療をリードしてきた世界最高峰の病院です。留学がきっかけで2008年、日本人として初めて正式採用となり、妻や娘と現地に渡ってもう18年になります。
    5年ほど前から呼吸器外科のチェアマン(部門長)を務め、病院の内視鏡部門の統括も担っています。日本の教授とは違って、他の外科の医師や看護師、研修医の人事まで掌握して、皆が働きやすい環境をつくる責任のある立場です。
    もちろん呼吸器外科の収支管理や大量の事務作業もあります。それをこなした上で、毎日の診察と手術、その傍ら研修医の育成、さらに自分のラボ(研究室)で研究機器や診断技術の開発、日本人を含めた留学生の指導もします。
    1日24時間の中で、診療・研究・教育をやる。必然的に寝る時間を削るしかありません。幸い3、4時間睡眠で事足りるショートスリーパーですので、朝5時過ぎに起き、6時過ぎには家を出て、各種会議が始まる7時より前に病棟を回ります。診療が始まるとトイレに行く時間もろくになくて、弁当を開くのは夕方ですね。気がつけば、あの頃と同じような日々を送っているんです(笑)。
    それができるのは仕事が楽しいから。世界から集った素晴らしい仲間に囲まれているからです。