2020年5月号
特集
先達に学ぶ
対談
  • (左)AOKIホールディングス会長青木擴憲
  • (右)東洋思想研究家田口佳史

佐久間象山が目指した世界

傲岸不遜、狷介不羈。幕末の思想家・佐久間象山にはいまなおそのようなイメージがつきまとう。しかし、その足跡を丹念に辿ると、象山がいかに卓越した先見性と行動力を以て幕末という激動期に処してきたかが分かってくる。故郷の偉人として象山を尊敬し、顕彰を続けるAOKIホールディングス会長の青木擴憲氏と、この度弊社から『佐久間象山に学ぶ 大転換期の生き方』を上梓した東洋思想研究家の田口佳史氏に、その知られざる実像を語り合っていただいた。

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日本の未来を構想した大人物がいた

青木 長年師事する田口先生が致知出版社から『佐久間象山に学ぶ 大転換期の生き方』を出されましたので、早速読ませていただきました。何といっても象山は私の故郷・長野出身の偉人で、私の理想とする大人物ですから、この本の出版は何より嬉しかったですね。しかも、史料を翻訳しながら、象山の考えが実に分かりやすくまとめられている。いま縁ある人たちにプレゼントして読んでもらっているところです。

田口 象山の大変な崇拝者である青木会長にそう言っていただけると恐縮します。私もまた今回の執筆を通して、巨大な人格を持った象山のあまりのスケールに圧倒されることの連続でした。

青木 田口先生はどのような思いを込めて、この本をまとめられたのですか。

田口 象山に興味を抱いたそもそものきっかけからお話ししますと、私は映画会社に勤務していた25歳の時、タイのバンコクで水牛を撮影中、2頭に前後から襲われ、内臓が飛び出すほどの重傷を負いました。あの世に行きかけて帰ってきたわけですが、海外での長い療養生活を続ける中で、何よりも考えたのが祖国・日本のことでした。あまり意識することのなかった日本の素晴らしさを強く思うようになったのはそこからで、それはいまも続いています。
そんな思いでいまの日本をかんがみると、いくつかの非常に心配な点があるんです。一つには人心の荒廃。儒家の思想を主にやっている立場上、ホームベースは江戸時代ですから、どうしてもいまの日本と比べてどうなのか、という視点で見てしまいます。もちろん、現代が優れている面も多いわけですが、人心の荒廃という点ではいまは極めて深刻ですね。戦後は規範形成教育がなされなかったために人間として何が正しいかすら分からなくなってしまっている。
そして、これもいろいろなところで言われていることですが、30年以内に70%の確率で起きるとされる大規模な直下型地震に対して何の備えもできていない。外交面でも、日本を取り巻く環境は厳しくなる一方です。中国がかつて描いた2020年の未来図に日本は日本自治区と表記されている現実をどれだけの人が知っているでしょうか。何としても中国に伍していかなくてはいけないのに、劣勢に立たされるばかりです。

青木 おっしゃる通りですね。

田口 日本は何でこうなってしまったのか、どこかでボタンの掛け違いがあったのではないかと辿たどっていくと、明治維新に行きつきました。東洋の奇跡といわれる近代化を見事に成し遂げるなど明治維新に評価すべき部分は多くありますが、一方で欧米化を急ぐあまり大切な東洋の道徳を見失ってしまうなど失敗の部分もあって、その失敗が第二次世界大戦で310万人が犠牲になる敗戦国家という結果を招いたのではないかと。そう思った辺りから、いま一度幕末史に立ち返って歴史を検証し、「国家100年の計」を打ち立てなくてはいけないと考えるようになったのです。
明治維新の後、日本のあり方を考えようと、2年あまりをかけて西洋諸国を視察した岩倉使節団のことはよく知られています。しかし、果たして西洋諸国のあり方を見て日本に取り入れていく、ああいう近代化の方法しかなかったのかと考えた時、実はその時代に途轍とてつもない、私なりの言い方をすれば日本人のよさを最も体現し、日本の国の未来を構想した人物が二人いたことが分かったんです。

青木 横井小楠しょうなんと佐久間象山。

田口 はい。幕末、小楠と象山は全く違う視点で日本の危機をとらえていましたが、共にこの難局は東洋思想に対する西洋思想の挑戦と考え、東洋思想によって西洋思想を育むことが肝要かんようと説いた点では同じでした。2人は共にこころざし半ばにして暗殺されてしまい、せっかくの構想は実現しないままに終わってしまうわけですが、これは日本にとって途轍もない国家的大損失と言う他ありません。

AOKIホールディングス会長

青木擴憲

あおき・ひろのり

昭和13年長野県生まれ。高校卒業後、行商を始める。33年個人商店「洋服の青木」を創業。51年現・AOKIホールディングス設立。54年全国チェーン展開をスタート。平成3年東証一部上場を果たす。18年AOKIホールディングスに社名を変更。22年会長に就任。著書に『何があっても、だから良かった』(PHP研究所)。

小楠と象山が描いた日本の構想

青木 横井小楠と佐久間象山が描いていた構想とは、どのようなものだったのでしょうか。

田口 小楠の国家像をひと言で言えば、「国家は民の幸せのお世話係」というものです。徳川幕府は徳川一家の幸せのための国家運営をしていて、これではいけないというので小楠は時の幕府に対して意見を具申ぐしんしている。そして、政治顧問を務めた越前えちぜん藩において自らの構想を具現化していくんです。
藩を挙げての取り組みの一つが、どのような身分、立場の人たちにでもできる絹の生産、販売です。しかも、そこで得た収益のうち民の取り分のほうを多く、藩の取り分を少ない割合にする。大半を藩の収益としていた当時では、まさに画期的な取り組みでした。小楠はこのように民の幸せというものに目覚めて、それを形にした人なんですね。この国づくりの構想が日の目を見ていれば、先の大戦で多くの戦死者を出すような結果にはならなかったのではないかと私は思います。
一方、象山が明治国家の構想係として目指したものは、東洋思想をベースに、西洋に負けない科学技術立国をつくり上げることにありました。このことは後ほど詳しくお話ししたいと思いますが、象山は朱子しゅし学者として一流の領域に達しながらも、一書生しょせいに戻って蘭語らんごを学び砲術ほうじゅつの大家にまでなっているんです。しかも、ただ理論的に学んだり提言したりするだけでなく、大砲を実際に自分でつくり、砲術を弟子に伝えるというところまでやり遂げている。それだけの先見性と行動力を備えていたわけで、ここまでの人物はいません。

青木 確かに2人の構想がそのまま実現していたら、その後の日本はまた違った歩みをしていたでしょうね。私も田口先生の本を読みながら、象山の構想力と実践力に改めて驚かされる思いでした。
この本でもう一つ強く印象に残っているのが、象山の「東洋道徳、西洋芸(技術)」、つまり技術を扱う人間は道徳のあるなしが問われ、技術は精神を持って使うべきであるという考えです。西洋の技術をすでに取り入れているいまの日本人には、東洋の魂を学ぼうという姿勢がさらに必要だと思います。やはり儒教が説く仁義礼智信じんぎれいちしん五常ごじょうの精神に象徴される和の魂をいま一度、しっかりと学んだ上で欧米の技術を取り入れ、日本の成長につなげていくことがこれからの日本には必要ではないか。そのようなことを改めて考えさせられました。

田口 おっしゃるとおり、和魂洋才わこんようさいが本来、日本のあるべき理想の姿なんです。ところが結果的に維新後、日本はすぐに洋魂洋才へとかじを切ってしまいます。他でもない。象山、小楠という国家の構想係が暗殺されていなくなってしまったからです。それで西洋を真似ようと岩倉使節団が欧米を回るわけですが、彼らにとってはビルでもエレベーターでも初めて見るものばかりでした。あまりにも刺激が強すぎて、近代化を進める上では和魂を忘れ、まるでヨーロッパの国であるかのような感覚になってしまったんです。
いまの日本も第四次産業革命で例えばAIとかITがもてはやされていますけど、その技術に精神があるかというと、はなはだ疑問ですね。象山は「技術は見世物小屋だ」と言っていますが、私たちがしっかりとみ締めるべき言葉だと思います。

東洋思想研究家

田口佳史

たぐち・よしふみ

昭和17年東京生まれ。日本大学芸術学部卒業後、日本映画社入社。47年イメージプランを創業。著書に最新刊の『佐久間象山に学ぶ 大転換期の生き方』をはじめ『ビジネスリーダーのための老子「道徳経」講義』『人生に迷ったら「老子」』『横井小楠の人と思想』『東洋思想に学ぶ人生の要点』(いずれも致知出版社)など多数。