2025年7月号
特集
一念の微
対談
  • 国際共生創成協会熊野飛鳥むすびの里代表荒谷 卓
  • 麗澤大学准教授ジェイソン・モーガン

日本復活への道

日本精神をいかに取り戻すか

陸上自衛隊初の特殊部隊の創設に携わり、退官後には三重県熊野の地に国際共生創成協会「熊野飛鳥むすびの里」を設立、日本精神の継承、真の日本人の育成に情熱を注いでいる荒谷卓氏。日本の伝統文化や歴史、精神性に関する鋭い研究・評論活動を展開する麗澤大学准教授のジェイソン・モーガン氏。日本が直面する危機的状況を交えてお二人が語り合う、いまこそ取り戻すべき日本人の生き方、そして日本復活への道筋とは――。

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    対談は5月初旬、美しい山々に囲まれた神話の地・三重県熊野市飛鳥町にある国際共生創成協会「熊野飛鳥むすびの里」にて行われた。

    熊野には日本人の生き方の原点がある

    荒谷 きょうは、遠路はるばる熊野飛鳥あすかむすびの里までお越しくださり、ありがとうございます。

    モーガン こちらこそ、きょうはとても楽しみにしていました。
    出版社の方の紹介で荒谷さんとご縁をいただいたのは、2024年3月のことでしたね。長年武道もやっておられるし、日本の歴史や伝統文化、神道についてもとても深く理解しておられる。お付き合いをすればするほど、本当に立派な日本人だと尊敬しております。

    荒谷 モーガンさんもアメリカ人でありながら、日本の伝統文化、精神性をとても深く理解してくださっています。いま日本から日本人らしい日本人がどんどんいなくなっている中で、モーガンさんの存在は本当に有り難いですよ。

    モーガン 今回むすびの里にお招きいただいて、日本について改めていろんなことを感じました。
    三重県は何度か訪れたことがあるのですが、こんなに山奥まで来たのは初めてです。これほど深い山の近くで生活していれば、自然の力、神々の存在を感じずにはいられないでしょうし、信仰を持たざるを得ないだろうと思いました。ここには日本人の信仰心、生き方の原点があるように感じます。
    私が初めて日本に来たのは26年前、21歳の時でした。アメリカの大学で知り合った日本人の友人の勧めで岐阜県のご家庭にホームステイしたのです。そこも熊野のような豊かな自然に囲まれた地域で、山に入っていくと神社がひっそり建っているんですね。
    豊かな自然、神々と共に、威張らず謙虚に生きる日本人の生き方に私はすごくかれ、日本と永遠に関わりたい、もっと日本について学びたいと思い、日本の歴史や文化を研究するようになったんです。他の国とは全然違う聖なる場所、これが日本の最初の印象であり、いまもそれは変わりません。
    私も仕事をリタイアしたら、山があって、川があって、鳥のさえずりが聴こえてくる、むすびの里のような土地で暮らすのが理想です。熊が出るのは怖いですが(笑)。

    荒谷 そう言っていただけると本当に嬉しいですね。私も都会に行くと日本的な感覚が鈍っていく実感があります。都会で日本の伝統文化や信仰についてお話をする機会があっても、どこか空虚というか、言葉だけで語っている感じがするんです。でも熊野のような場所では、言葉であまり語る必要がないんです。モーガンさんがおっしゃったように、日本というものを心と体で感じることができる。まあ、しかし、そうした場所は日本から随分少なくなりました。

    国際共生創成協会熊野飛鳥むすびの里代表

    荒谷 卓

    昭和34年秋田県生まれ。東京理科大学卒業後、57年陸上自衛隊に入隊。陸上幕僚監部防衛部、防衛庁防衛政策局戦略研究室勤務の後、米国特殊作戦学校への留学を経て、帰国後に特殊作戦群初代群長となる。研究本部研究室長を最後に、平成20年退官。一等陸佐。21年明治神宮武道場「至誠館」館長に就任。30年国際共生創成協会「熊野飛鳥むすびの里」創設。農、武、学を通じて日本文化社会の国内外への普及活動に取り組んでいる。令和4年「日本自治集団」創設、代表に就任。著書に『戦う者たちへ』『サムライ精神を復活せよ!』(共に並木書房)『日本の戦闘者―現代のサムライは決してグローバリズムに屈せず』(ワニ・プラス)など。

    見えない力に導かれ、熊野の地へ

    モーガン そもそも、荒谷さんはどんなきっかけでこの熊野にむすびの里をつくられたのですか。

    荒谷 私は大学卒業後に自衛隊に入隊し、陸上自衛隊で初となる特殊部隊(特殊作戦群)の創設に力を尽くしました。しかしアメリカがつくった戦後体制から生まれた自衛隊の中にいては、どんなに頑張っても戦後体制を変えることはできないと痛感しましてね。戦後体制を打破し、日本を自主独立した国として復活させるには、私たち日本人一人ひとりが、日本文化そのものになって生きられる伝統的共同体をつくらなくてはだめだと考えるようになったんです。
    時間を見つけては、共同体を実現できる場所を求め、当時自宅のあった東京から足を延ばせる関東一円を見て回りました。でも素晴らしい土地はたくさんあるのですがどこか日本を感じない、日本の神々の存在を感じないんです。

    モーガン 「ここだ!」という場所が見つからなかったのですね。

    荒谷 そして2008年、48歳で自衛官を退官してからは、明治神宮の武道場・せいかん館長として奉職し、いよいよ共同体づくりを急がなければと思っていた時でした。インターネットで検索して、たまたま出てきたのがこの場所だったんです。
    むすびの里をつくる前は、「四季の里」という施設があったのですが、よく調べると、食堂も宿泊所も武道場もついている。これは高度経済成長期につくって失敗した施設か何かかなと思いながら、持ち主に電話をしたところ、奥様が出られて、「お父さんはこの施設を青少年の健全育成のために建てたので、その思いを引き継いでくれる人でないと売らないんです」と。
    そこで、直接会って話してみようと、熊野に伺いました。施設の持ち主は吉野熊野新聞の社長さん(故人)だったのですが、あっという間に意気投合しましてね。とんとん拍子に話が進みました。

    モーガン 不思議な出逢いですね。

    荒谷 その後「四季の里」に案内していただいたのですが、20年ほど使用していなかったため、建物はぼろぼろでした。ただ、周囲には昔ながらの集落共同体が生きており、山々には日本の神々がいるような気配がして、「ここは自分が求めていた土地だ」と、瞬間的に感じるものがありました。
    実際、至誠館の職を辞し、2018年、59歳の時に熊野に移住してから、ここがどういう場所なのか詳しく分かっていきました。近くには『日本書紀』に紹介されているざなみのみことの御陵「花のいわや神社」や、じんとうせいにおける最終上陸地「あらさか」があり、そこでたけみかづちのかみの剣「ふつのみたま」が地上に降ろされました。まさに来るべきところに来たなと確信しました。
    集落の方々も、お土産を手に挨拶に伺ったら、「知らない人間からそんなものはもらえん」と受け取ってくれない(笑)。でも、逆にそういうところが昔ながらの日本人の共同体だという感じがしまして、すっかり気に入りました。

    麗澤大学准教授

    ジェイソン・モーガン

    1977年アメリカ合衆国ルイジアナ州生まれ。テネシー大学チャタヌーガ校で歴史学を専攻後、名古屋外国語大学、名古屋大学大学院、中国昆明市の雲南大学に留学。ハワイ大学の大学院で東アジア学、特に中国史を研究。フルブライト研究者として早稲田大学大学院法務研究科で研究。2016年ウィスコンシン大学で博士号を取得。一般社団法人日本戦略研究フォーラム上席研究員を経て、2020年4月より現職。『私はなぜ靖国神社で頭を垂れるのか』(方丈社/公益財団法人アパ日本再興財団主催の第7回アパ日本再興大賞を受賞)『戦後80年の呪縛 日本を支配してきたアメリカの悪の正体』(徳間書店/共著)など著書多数。