2026年4月号
特集
感謝にまさる
能力なし
対談
  • サンリ会長西田文郎
  • 大橋ボクシングジム会長大橋秀行

感謝こそ
最高の力なり

井上尚弥選手をはじめ5人の世界チャンピオンを輩出してきた大橋ボクシングジム会長の大橋秀行氏には若き日の現役時代、大きな転機があった。試合で負けが続く中、その原因が自身の心のあり方にあると気づいたことである。以来、感謝という言葉は氏の人生の中心軸となった。メンタルトレーニングの第一人者として知られる西田文郎氏もまた、脳の働きを研究する過程で感謝こそが究極のプラス思考と悟る。感謝の力が持つ大いなる力を、それぞれの人生体験を踏まえて語り合っていただいた。

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    サンリ会長

    西田文郎

    にしだ・ふみお

    昭和24年東京都生まれ。40年代から科学的なメンタルトレーニングの研究をはじめ、「SBTスーパーブレイントレーニング」を構築。55年サンリ創業。経営者やビジネスマン、トップアスリートの能力開発指導に携わる。著書に『№1理論』『天運の法則』(共に現代書林)『強運の法則』(日本経営合理化協会)など多数。

    大橋ボクシングジム会長

    大橋秀行

    おおはし・ひでゆき

    昭和40年神奈川県生まれ。高校時代にアマチュアの全日本タイトルを獲得。大学時代、ロサンゼルス五輪の代表選考試合に決勝で敗れ、プロに転向。アマ通算44勝(27KO)3敗。60年プロデビュー。その後世界タイトルに2度挑戦するも敗退。平成2年3度目の挑戦で世界チャンピオンに。6年引退。プロ戦績は24戦19勝(12KO)5敗。同年大橋ボクシングジムを開設。これまで輩出した世界チャンピオンは最多タイとなる5人に及ぶ。

    世界チャンピオンを育てた三位一体の力

    大橋 西田先生、お元気そうで何よりです。

    西田 きょうは久々にお会いできて光栄です。2014年、65歳の時にのうこうそくを患ったのですが、ご覧の通りつえがなくても生活し、講演ができるまでに回復しました。
    大橋会長も指導者としてボクシング界で大活躍ですね。世界王者である井上尚弥なおやさんの驚異的な強さは誰もが知るところです。実は今回対談するに当たって少し調べてみたんです。そうしたら会長と最初にお会いしたのが2001年か2002年なんですよ。

    大橋 ああ、そんなに経ちましたか。確か川嶋勝重かつしげが世界戦に挑む前からのお付き合いですね。

    西田 ええ。大橋会長がまだ30代、僕は50代でした。川嶋さんが2004年に世界を制覇して、それからというもの大橋ボクシングジムに入る人、入る人、皆強くなっちゃった。他のジムには失礼ながら、こんなことは普通あり得ない。

    大橋 奇跡です。もちろん、西田先生に教えられたメンタルトレーニングの力も大きいわけですが、運に恵まれましたね。川嶋が王座を獲得し、その背中をがしあきらが追って、八重樫の背中を見て井上尚弥・拓真たくま兄弟、たけよしが育った。適当な選手がチャンピオンになっていたら、そういうよき伝統は受け継がれなかったわけだから、川嶋の存在は大きかったですね。うちにはこの5人の世界チャンピオンがいますが、僕が最も印象に残っているのは、やはり川嶋なんです。
    川嶋を除く4人はいわば天才ですから勝って当たり前。ところが、川嶋は高校を出て2年半は社会人生活を送り、20歳で大橋ジムに入門してボクシングを始めました。まったくの素人が20歳から始めても普通、王者になるなど無理な話です。だから、川嶋が「プロになりたい」と言ってきた時「いや、趣味でやったほうがいい」と言って帰しました。実際才能がなかったし、向いていませんでしたからね。それだけに彼が世界を制した時、チャンピオンは生まれてくるものかと思っていたら育てられるものなんだと、そう強く実感したことを覚えています。

    西田 大橋会長は選手時代、「150年に一度の天才」と呼ばれたそうですが、いまや150年に1度の指導者になられた。大したものです。

    大橋 西田先生とのご縁は、うちの元練習生の今村さんの紹介でした。川嶋の世界挑戦が決まった時、「西田文郎ふみおという方のメンタルトレーニングを受ければ、必ず勝利につながると思います」と言われましてね。僕もすごく興味があったのですぐにお話を聞かせていただくことにしました。
    その時、先生は「大橋会長はメンタルトレーニングができているけど、川嶋はできていない。世界一を目指すのなら少し時間が必要だ」と。

    西田 よく覚えています。川嶋さんは素質がないと周りから言われていました。しかし、僕が見る限り他の選手にないものを持っていた。何かと言ったら「素質がない素質」なんです。バレーボールでもバスケットボールでも、最初は素質がないように思えても、皆基礎ができているわけですから、ある時から隠れていた素質が出てくる選手がいるんですね。その素質を引き出したのが川嶋さんと大橋会長、それに松本好二こうじトレーナーの結束だと僕は思っているんです。見事な三位一体さんみいったいができたのは大橋ジムだからだと。

    大橋 嬉しいお言葉です。僕は西田先生から、メンタルトレーニングを終えて帰ってきた川嶋に「おまえ、絶対にチャンピオンになれるよ」と語りかけてほしいとご指導いただき、毎日それを実践していました。ある時、世界戦前の肝心なところで脇腹を痛めた川嶋を見て、思わず「おまえはチャンピオンになる運命じゃねえ」と言いそうになるのをグッとみ込み、笑顔で「ここまで頑張ってやってきたん
    だからチャンピオンになれるよ」と(笑)。
    川嶋も「あの時、会長にダメだと言われていたら、自分はダメになっていました」と言っていましたけど、これもやはりことだまの力ですね。

    2022年、世界バンタム級3団体王座統一戦で勝利し、大橋氏と抱き合って喜ぶ井上尚弥選手©時事

    本当に強くなるのは「素直な負けず嫌い」

    大橋 西田先生からいま三位一体の力とおっしゃっていただきましたが、人生で誰と出会うかはとても大切ですね。

    西田 その通りです。僕もこれまで多くのケースを見てきましたが、優秀なのにダメになっていく選手は、どの競技でもゴロゴロいます。そこで勝ち上がってくる選手たちを見ていると、皆出会いに恵まれている。それだけそばにいる方が大切であり、大橋ボクシングジムの場合、それがずば抜けているんですね。
    昔からよく言うんですけど、人間が何かを成し遂げようと思ったら「この野郎」という気持ちがなければダメなんです。「負けず嫌い」には2種類あって1つは「ひねくれた負けず嫌い」。拗くれていても負けず嫌いの人間はくじけませんから、必ず強くなる。しかし、本当に強くなれるのは「素直な負けず嫌い」なんですね。
    だけど、「素直な負けず嫌い」になるのは決して簡単ではない。優秀な人間は最初は大抵、図に乗っていますから。それがいい出会いに恵まれ、助言を聞き入れることによって心が素直になっていく。川嶋さんもそうではなかったでしょうか。大橋会長や松本トレーナーとの出会いによって、川嶋さんが持っていた「素直な負けず嫌い」が花開いていったのではないかと思います。

    大橋 いまでも覚えているのが、ある試合で川嶋が苦戦した後、松本トレーナーと僕が帰りの車の中で「川嶋は日本チャンピオンが精いっぱいかもしれない」と話していたんです。本人にもそう伝えたのですが、川嶋はへこたれることもなく、それを突破していく強さがありました。実際、川嶋はその後、世界王者への道を駆け上がっていきました。
    川嶋の強さについて一つ具体的なことを言うと、僕たちのジムは10日間の合宿をやっています。最初の5日間、川嶋よりも若い八重樫が練習でダーッと飛ばしていく。川嶋はついていけない。ところが、5日目、6日目、八重樫が疲れてくると、川嶋は耐久力でそれを追い抜いていく。八重樫がその姿を学んで、今度は八重樫と後輩の井上との間で同じ現象が起きるんです。このようにして彼らは、プロの厳しさをその背中を通して後輩たちに教えていったんです。