2026年10月号
特集
運をつかむ
対談
  • 福岡ソフトバンクホークス会長王 貞治
  • 北海道日本ハムファイターズCBO栗山英樹

何が勝運を
呼び寄せるのか

運とはいかなるものか。運はどこから来るか。運をつかむ人とつかみ損ねる人の差は何か──。人生におけるこの一大テーマに関して、長年勝負の世界に身を置き、チームを幾度も頂点に導いてこられたお二人の名将に語り合っていただいた。王貞治氏、86歳と栗山英樹氏、65歳である。選手時代と監督時代それぞれの心懸け、野球の神様に愛される人の共通点、強い組織をつくるリーダーの条件、野球を通してつかんだ人生の要諦に迫る人間学談義。

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    福岡ソフトバンクホークス会長

    王 貞治

    おう・さだはる

    昭和15年東京生まれ。34年早稲田実業高等学校を卒業後、読売ジャイアンツに入団。48年と49年三冠王。52年通算本塁打756本の世界記録を達成し、初の国民栄誉賞を受賞。55年通算本塁打868本の世界記録を最後に現役生活を終える。59~63年読売巨人軍監督。平成7年福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)監督就任(20年退任)。18年第1回WBCで日本代表監督を務め、優勝へ導く。21年より福岡ソフトバンクホークス会長。著書に『野球にときめいて 王貞治、半生を語る』(中公文庫)など多数。

    北海道日本ハムファイターズCBO

    栗山英樹

    くりやま・ひでき

    昭和36年東京都生まれ。59年東京学芸大学卒業後、ヤクルトスワローズに入団。平成元年ゴールデン・グラブ賞受賞。翌年現役を引退し野球解説者として活動。24年から北海道日本ハムファイターズ監督を務め、同年チームをリーグ優勝に導き、28年には日本一に導く。令和3年侍ジャパントップチーム監督に就任。5年WBC優勝(3大会ぶり3度目)。6年北海道日本ハムファイターズのチーフ・ベースボール・オフィサー(CBO)に就任。著書多数。横田南嶺氏との共著に『運を味方にする人の生き方』(致知出版社)がある。

    奇跡のような巡り合わせ

    栗山 きょうは愛読する『致知』で尊敬する王会長と対談の機会をいただけて光栄です。有り難いことに、昨年(2025年)王会長がお声掛けくださって一緒にお仕事をするようになりましたけど、腰を据えて質問できる時間はあまりなかったので、たっぷり勉強させていただこうと思っています。

     こちらこそ。私はもう20年以上『致知』を読ませていただいていますが、「自分を高める、人から学ぶ」ことの大切さをこの本に教えられてきました。86歳のいまも、日々学びと感動を得られることに感謝しています。
    昨年私は、これまで自分を育ててもらった野球界のために少しでも役に立ちたい、恩返しがしたい、野球の楽しさを子供たちに味わってもらいたいと思って、一般財団法人「きゅうしんかい」を設立しました。栗山さんにはその副代表に立ってもらったわけですが、栗山さんの野球人生を聞いてみると、普通のプロ野球選手とは全然違う歩みなんですよね。

    栗山 はい。高校時代に甲子園出場を果たせず、教員を目指して東京学芸大学に進学しました。でも野球の夢を捨て難くて、プロ入団テストを受けてドラフト外でヤクルトスワローズに入団しました。

     東京学芸大学からプロ野球選手になった人はほとんどいませんよね。また、引退後は野球解説者やスポーツキャスターを務めて、コーチ経験もなく日本ハムファイターズの監督に就任し、新人監督ながら3年ぶりのリーグ優勝へと導きました。WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)での活躍ぶりは言うに及ばずでしょう。
    我々が経験したことのないことをものすごく経験している。野球界にとっていままでにない人財なんです。だから、栗山さんが野球界のために活動してくれることは大きなプラスになっていますよ。

    栗山 過分なお言葉をありがとうございます。いまこうやって王会長の近くでお話を伺えるのは本当に宝物ですし、僕はたまたまここに居させてもらっていますけど、王さんや長嶋さんが盛り上げてくださったこの野球界を何とかするんだ、少しでも恩返しをしていくんだというのが僕の思いなので、もう感謝しかありません。
    子供の頃、ホームランを打つ王選手にあこがれて後楽園球場に観戦しに行ったことを思い返すと、奇跡のような巡り合わせですし、この奇跡を大切にして、課題を受け止めて次の世代のために取り組んでいかなければと感じています。

     私が考えてやり始めたことを受け継いで、野球界を支えてくれていますから、こんな幸せなことはないですよ。

    運をつかむ上で大切な3つの要素

    栗山 僕が最初に王会長と直接話をさせてもらったのは、日本ハムの監督になって2年目、2013年でした。この年に大谷翔平が入団してきて、みんなが「二刀流なんて無理だ」と文句を言っている時に、王会長がわざわざ来てくださって、「野球界のためになるから大変だけど頑張れ」と。この激励の言葉は本当に胸にみました。

     あれは確か福岡ドームで試合のあった日でしたね。私はホームゲームの時は、相手チームの控室まで挨拶に行くようにしていたんですよ。遠くから来ていただいてありがとうって。

    栗山 王会長が来られると聞いて「いや、僕が行きます」と言ったんですけど、もう既に来られていて恐縮しました。そういう心遣いが自然にできるところも学ばせていただきました。
    きょうは「運をつかむ」というテーマですが、それに関して王会長に一つお尋ねしたいことがあります。かつてのプロ野球界は巨人中心に進んでいて、王会長ご自身も巨人でずっとプレーし、監督もされていた中で、1995年にダイエーホークスの監督になられたじゃないですか。あの時、日本中のファンがびっくりしたと思うんですけど、福岡に行くという決断はどんな経緯だったんですか?

     私は選手、コーチ、監督という形で30年ジャイアンツに在籍し、1988年にユニフォームを脱ぎました。退任直後はしんどい勝負の緊張感からホッと解放されたんですけど、これまで当たり前のようにあった輪の中から外れてしまったような寂しさが募ってきましてね。そのうちに他球団からオファーをいただくようになり、ホークスの監督だった根本(りく)さんから「俺の後をやってくれないか」と声を掛けられたんです。
    最初はまさか冗談だと思いましたし、巨人以外のユニフォームを着るわけにはいかないという思いもあって断ったんですけど、次の年もまた誘われて、真剣に考えるようになりました。
    まず大好きな野球の輪の中に戻りたいという気持ちが一つ。もう一つは、なぜ根本さんは私を呼んでくれたのか、ホークスを優勝できるチームにしてほしいと。当時のホークスは20年近くBクラスに沈んでいて、西武を常勝チームにした根本さんですら、手を焼いていました。その根本さんが私に期待してくれているのであれば、やってやろうじゃないか。自分の可能性をホークスで試してみよう。そのことでパ・リーグの発展にも役立つのなら、こんなに喜ばしいことはない。そう思って引き受けることにしたんです。
    家族にも仲間にもみんな反対されましたけど、最終的には女房が「あなたがそこまで言うのなら」と承諾してくれました。

    栗山 僕は常々、運っていうのは自分のことはさておき、誰かのために尽くしている人のところに引き寄せられると実感しています。いまの王会長のお話でも、野球界の発展やファンのために決断をされたと思うんですけど、そういうの生き方がみんなから応援されるし、勝負所の運を呼び込んでくるんじゃないかなと。

     何事も結果が出た時に、運を除いて話をすることはできませんよね。我々は毎日毎日試合をやっていますけど、たった一つのことでガラッと流れが変わってしまうことがありますから。運は自分にも相手にも平等に来るものです。その時に、どれだけひたむきに自分たちの仕事に取り組んでいるか、チーム全員の気持ちを一つにして勝つべく戦っているか、そういう要素が人間の力ではどうしようもない運をつかむかいなかに直結していると思います。

    自分のことはさておき、誰かのために尽くしている人のところに運は引き寄せられると実感しています──栗山英樹