2018年12月号
特集
古典力入門
対談
  • (左)JFEホールディングス特別顧問數土文夫
  • (右)立命館アジア太平洋大学(CPU)学長出口治明

人生を導いてくれた
古典の教え

若き日より読書に目覚め、古典を渉猟し、その教えを仕事や人生に生かしてこられた數土文夫氏と出口治明氏。先哲の叡智が凝縮され、2000年以上もの時を超えて読み継がれている古典、その豊饒な世界の魅力について、お二人に縦横に語り合っていただいた。

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古典の勉強会を通じて経営幹部を育成

數土 私は出口さんの書かれた本を以前からよく読んでいて、一度あなたに会って話をしてみたいと思っていました。そうしたら偶然『致知』から「今度出口さんと対談どうですか」と言われましてね。きょうは楽しみにまいりました。

出口 いやぁ、こちらこそ數土さんにお会いできるというだけで大変光栄です。

數土 今回は「古典力入門」というテーマをいただきました。一般的に古典と言えば、文学とか歴史を思い浮かべますが、東洋の古典は概して人間関係を説いている。

出口 おっしゃる通りです。

數土 しかも大部分は事実に基づいていますから、古典は実学なんです。2,500年前、3,000年前からずっと読み継がれているわけで、これを勉強しないで何を勉強するんだという思いが私にはあります。

出口 世の中にはビジネス書が溢れていますが、どんな商売であっても人間と社会を相手にするものですから、ビジネス上のスキルやテクニックを学ぶより、人間がどういう動物かを知ることがベースにあるべきだと僕も思います。
そういう意味で、やはり東洋の古典は面白いですよね。

數土 実に多種多様です。大事なことは、それをどうやって子供の時から親しませるかと。

出口 最近の若い人は漢文を読む機会があまりないと思うのですが、大学入試に漢文を入れておいたら必ず勉強しますから、大学入試の科目を減らすのではなく、漢文はぜひとも残しておきたいなという気がします。

數土 本当にそうですね。

出口 面白い経験があって、僕は今年の1月から立命館アジア太平洋大学(APU)の学長になったんですが、その前に4年間くらい、出口塾という古典の勉強会を開催していました。
30代から40代の部課長の人を集めて、『貞観政要じょうがんせいよう』(新釈漢文大系)を一章ずつ、一人ひとり順番に立って大きな声で読んでもらうんですよ。で、自分なりの解釈を説明してもらって、皆さんで議論をして、最後に僕が総括をする。江戸時代の寺子屋と同じ形式です。

4年間でようやく上巻を読み終えて、下巻をまた4年くらいかけてやろうと思っていた時に、学長に推薦されたのでやめてしまったんですが、延べ100名くらいの人が参加してくれました。
受講者のほとんどが、「昔、ちょっと読んだことがあるが、途中で挫折した。でも、読んでみたらものすごく面白い」「いろいろとビジネス書を読んできたが、こんなに面白いものがあるとは知らなかった」「これからも自分で漢文の古典を買って読みます」と。
古典は、難しいという先入観があるから食わず嫌いの人が多いのですが、声を出して読むだけで心に響いて理解できる。これはものすごく嬉しかったですね。

數土 そういう機会をつくっていくのは大事ですよね。
実は私も、2014年に東京電力の会長に就任する前は、2年間くらい『論語』の勉強会をやっていたんです。出口さんと同じで、まず素読をする。その後、私が解説をして、それに対して思うところを一人ずつ話してもらう。様々な会社から集まった20名ほどの執行役員の方を対象にしていましたが、その中でいま社長になっている方が何名もおられますよ。

出口 それは素晴らしいですね。

數土 その時に皆に教えたのは、『論語』は非常に明るく、伸びやかで、なおかつ孔子と弟子たちの問答集なんだと。上意下達じょういかたつ下意上達かいじょうたつ
というコミュニケーションの一番根本が説かれている。だから、経営者になったら下とよく話をすることが大事だと。そういうことを皆と学びました。

立命館アジア太平洋大学(CPU)学長

出口治明

でぐち・はるあき

1948年三重県生まれ。1972年京都大学法学部を卒業後、日本生命保険相に入社。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て、2006年退職。同年ネットライフ企画㈱設立、社長に就任。2008年ライフネット生命保険㈱を開業。2012年東証マザーズ上場。2013年会長(2017年退任)。2018年1月より立命館アジア太平洋大学(APU)学長。著書に『全世界史(上下)』(新潮文庫)など多数。

幼少期の家庭環境と古典との出逢い

出口 數土さんは本当に古典を深く読み込んでおられますが、やはり小さい頃から古典に興味を持たれていたのでしょうか?

數土 私の父は高校の漢文の教師で、薄給にもかかわらず本ばかり買ってくるものですから、書庫に本がいっぱいあったんですよ。私は富山県の出身なんですけど、冬と梅雨の時期は外で遊ぶことができないんです。だから、家で本を読んでいるしかない(笑)。
『明治大正文学全集』とか『大トルストイ全集』とか『世界大百科事典』とか、そういう分厚い本を隅から隅まで読みましたよ。

出口 僕は三重県の伊賀で育ち、家の前は山で、民家も3軒くらいしかありませんでした。天気のいい時は山で虫を捕まえたり柿を採ったりして遊べるんですが、雨が降るとそれができない。だから數土さんほどではないですが、図書館で本を借りてきては順番に読んでいたのです。

數土 なんだかきっかけが似ていますね(笑)。

出口 最初は動植物や昆虫の名前を知りたくて、図鑑を読んでいましたが、読書が好きになったのは、本を読んだら何でも分かるという知的な楽しさを覚えたからだと思います。

數土 いま考えてみると、私の母も非常に読書好きで、その影響が大きかったと思います。子供が7人もいてお金がないんですけど、父が本を買ってくることだけは文句を言わずに、父が読み終えた本をいそいそと読んでいました。

出口 立派なお母様ですね。

數土 最初に読んだ古典は『三国志』です。小学校5年生の時に、吉川英治よしかわえいじの全集がひと月に1巻ずつ刊行されましてね。新刊が出る度に父が買ってきて、毎晩寝る前に読んでいたんですけど、私は父が寝たのを見計らって枕元にある本を取ってきて、枕元の蛍光灯を照らしながら夜11時頃から朝3~4時まで夢中で読んでいました。

出口 すごいですね。

數土 だから、その頃はいつも寝不足だった(笑)。

出口 僕が古典と出逢ったのも、やはり小学校5、6年生の頃です。講談社の『世界文学全集』が毎月1巻ずつ図書館に入ってくるのが楽しみで、『イーリアス』や『オデュッセイア』といった古代ギリシアの長編叙事詩じょじしや、古代中国の歴史物などをむさぼるように読んでいました。
一番の思い出はその頃に読んだ『平家物語』です。これは平家の栄華と没落を描いた軍記物語で、よく似た名前が出てくるじゃないですか。清盛、重盛、維盛これもりとか。そこで、清盛の子供が重盛でその子供が維盛、という具合に自分で系図を書いて読み進めていました。そうしたらよく分かるんですよ。
で、平家がこんなに面白かったら源氏もきっと面白いに違いないと思って、『源氏物語』を借りてきたのですが、どこまで経っても武将が出てこない(笑)。子供ですから、『平家物語』と同じように『源氏物語』という軍記物語があるはずだと思っていたのです(笑)。

數土 いま『平家物語』のお話が出ましたが、私が『三国志』の次に読んだのは、吉川英治の『私本太平記』だったんですよ。この本で一番驚嘆きょうたんしたのは、南北朝時代に活躍した武将・児島高徳たかのりの遺した言葉です。

「天勾践こうせんむなしゅうすることなかれ、時に范蠡はんれい無きにしもあらず」

勾践は中国春秋時代の越の王で、范蠡はに敗れた勾践を助けて呉を滅した忠臣ですが、天は勾践を見捨てない。それと同じように、みかど後醍醐天皇ごだいごてんのう)が窮地に陥っても必ず范蠡のような忠臣が現れてお助けしようと。

出口 隠岐おきに流された後醍醐天皇を自分が救い出すんだという志を示すために、刀で桜の木にこの言葉を彫ったんですよね。

數土 ええ。しかし、田舎の武士がどうして1,000年以上前の古代中国の歴史を知っていたのかと。不思議に思ったものです。

JFEホールディングス特別顧問

數土文夫

すど・ふみお

1941年富山県生まれ。1964年北海道大学工学部冶金工学科を卒業後、川崎製鉄に入社。常務、副社長などを経て、2001年社長に就任。2003年経営統合後の鉄鋼事業会社JFEスチールの初代社長となる。2005年JFEホールディングス社長に就任。2010年相談役。経済同友会副代表幹事や日本放送協会経営委員会委員長、東京電力会長などを歴任し、2014年よりJFEホールディングス特別顧問。