2020年10月号
特集
人生は常にこれから
インタビュー③
  • 小児脳神経外科医、にわとりファミリー理事長髙橋 義男

「不可能を可能に」
子どもたちの未来を創る医療

北海道で〝子どもの魔術師〟と呼ばれる医師がいる。誰もが匙を投げた難病の子どもを救ってきた小児脳神経外科医の髙橋義男氏だ。氏は手術だけでなく、NPOを立ち上げ子どもたちの成長を長期的にサポートしているが、これまで幾度となく壁に直面してきたという。いかにして自身の人生をひらき、子どもたちの未来を創ってきたのか——。その軌跡に迫る。

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社会に送り出すまでが子どもの治療

——髙橋先生の診察室には子どもたちの写真や絵が壁一面に飾られてあり、部屋に入った瞬間、感動しました。

これは僕の宝物です。どれも忘れられない子どもたちばかり。この間も、お母さんのおなかにいる時(胎児診断)からていた女の子が結婚するっていうんで旦那だんなさんとここに来たんだけど、僕のほうが旦那さんよりその子のことを知っているんで旦那さんがねてしまった(笑)。そしたらその子が「だって、先生は家族だもん」っていうからね。こっちもジーンと目頭が熱くなってしまいました。

——髙橋先生がモデルとなったドキュメンタリー漫画『義男よしおの空』を拝読しましたが、単に難病の子どもの手術をするだけで終わりではないのですね。

〝病気を治すだけじゃない。子どもたちを社会に送り出すことが僕にとっての治療だ〟っていうのが信条でね。僕のところにやってくる子どもたちは、基本的に治療適応外で手のほどこしようがない重症の子しかいません。そのため、一度の手術で緊急事態を脱したからそれで終わりって訳にはいかない場合が多いんです。
結局、子どもの治療って基本的には生活そのものだから、障がいのある子どもに生き抜く力(社会適応能力)をつけさせ、自立して生活できるよう長期的に援助することが不可欠。そのため、医師としての仕事の他に「ほっかいどうタンポポ」「にわとりクラブ」などのNPOを立ち上げ、理事長として子どもたちの成長を見守っているわけです。

——一度治療した子どもたちの成長に長期的に関わる外科医はめずらしいのではないですか?

こんなに深く携わっているのは世界で一人じゃないですかね。結局、自分の生活はなくなるしお金にはなりませんから、そこまでやろうとする医師は少ない。

——いつ頃からこの活動を?

小児病院に移った頃に始めているから、36年くらい前です。36年間一緒に続けてくれている子もいて、その時子どもだったのがもう大人。いまや大家族(患者たちの集まり)の中心です。
もともとは、ハンディキャップのある子どもとその家族が集まるための会として始まったんだけど、その後どんどん参加家族が増えて、いまでは学校の先生や医師、近所の方々がボランティア(サポーター)で参加してくれています。
〝みんな同じ人間だべや〟ってよく言うんだけど、障がい児を健常児と分け隔てなく混ぜこぜにして、様々な活動や交流の場を設けているんです。新たな大家族の感覚のもと「体育館型能動的展開」といって、体で覚えて社会適応能力を身につけさせることを目標にしています。そのために水泳や絵画、料理など様々なことにチャレンジさせる。ですから僕は医師が主ですが、ある時はプールのコーチ、ある時は画家、ある時は料理人などいろんな先生をしているんです。
初めは「ほっかいどうタンポポ」として活動し、大々的なものを「いけまぜこぜ」「Go Mix!」との思いを込め「いけまぜ」と呼んでいます。現在まで23年間、毎年1回「いけまぜ夏フェス」という全国レベルのイベントをしています。障がいのある子と親やきょうだいが参加する1泊2日のキャンプで、1,500~2,000人が集まり、ゲームや運動会、花火など、毎回1年がかりで準備するんです。

——2,000人も集まるのですね。

ここに参加する子どもたちの症状・年齢は皆異なります。そうした子どもたちをごちゃまぜにすることで、互いに刺激を受け互いに助け合って能力がどんどん引き出されて、できなかったことがいつの間にかできるようになっている(互認互助)。その姿を見ることで、「できるはずない」と決めつけていた親や社会が変わっていくんです。だから、この活動を通して一番伸びるのは親ですよ。

——ああ、親御さんも成長する。

やはり、障がいのある子どもがいると、将来を不安に思い暗くなりがちですけど、同じような障がいのある他の仲間と知り合い、語り合うことで、光が差し込むように変わっていくんです。

小児脳神経外科医、にわとりファミリー理事長

髙橋 義男

たかはし・よしお

昭和24年北海道生まれ。札幌医科大学卒業後、札幌医科大学脳神経外科学講座講師を兼務しながら、北海道立小児総合保健センターに小児脳神経外科医長として長年勤務。平成17年退職後、小児脳神経外科・小児リハビリテーション科の地域展開をするために、とまこまい脳神経外科、岩見沢脳神経外科、大川原脳神経外科病院、別海町立病院小児脳神経外科部長として診療を行っている。自身がモデルとなったドキュメンタリー漫画『義男の空』(エアーダイブ社/全12巻)がある。