2020年10月号
特集
人生は常にこれから
インタビュー②
  • 日本初義手の看護師、元水泳パラリンピック選手伊藤 真波

自分の未来は自分で切り開く

20歳の時に交通事故で右腕を失った伊藤真波さん。苦悩の日々を乗り越え、いまでは「事故はいい勉強になった」と笑顔で語るが、その芯の強さはどこから来るのか。現役の看護師として仕事をする傍ら、パラリンピック選手として2大会に出場。現在は講演活動とヴァイオリンに力を注いでいる伊藤さんが、頑張り続ける理由とは——。

この記事は約11分でお読みいただけます

講演活動で笑顔を届ける

——伊藤さんは日本初の義手の看護師、元パラリンピック水泳日本代表選手、ヴァイオリン奏者と、様々な舞台でご活動されていますね。

私は20歳の時に交通事故に遭い、肩から下の右腕を失ったのですが、特殊な義手をつくってもらい、2007年から看護師として10年近く働いていました。出産を機に退職し、いまは4歳と1歳の二人娘の育児が中心の生活を送っています。
水泳選手としては、2008年の北京と2012年のロンドンの2つのパラリンピックに出場させていただきました。ヴァイオリンは趣味のようなもので、腕は自慢できるほどではありませんが、講演の際におまけとして、「1~2曲弾かせてください」と最後に聴いていただいています。

——講演はどのくらいされているのですか?

コロナでキャンセルになる前は、自治体や小中高校などを回って、年間90回近くお話ししていました。事故のいきさつとそこから笑顔を取り戻せるようになるまでの歩み、看護師やパラリンピック選手として学んだあきらめない心や人生で大切なことなどをお伝えしているんです。

日本初義手の看護師、元水泳パラリンピック選手

伊藤 真波

いとう・まなみ

昭和59年静岡県生まれ。平成16年20歳の時に交通事故に遭い右腕を切断。看護師用の義手をつくるため単身神戸へ。19年専門学校を卒業し、看護師の国家試験に合格。神戸百年記念病院に勤務。20年北京パラリンピックに出場。100メートル平泳ぎ4位、100メートルバタフライ8位。22年アジアパラリンピックにて100メートル平泳ぎ2位。24年ロンドンパラリンピックにて100メートル平泳ぎ8位。現在は講演活動の傍ら、ヴァイオリンも奏でている。