2016年9月号
特集
恩を知り
恩に報いる
  • 平澤 興ひらさわ こう

拝天 拝人 拝己
平澤 興の生き方信条

拝天拝人拝己──天を拝み、人を拝み、己を拝んで生きる。平澤 興氏が晩年に至った境地である。恩に報いるとは何も特別なことではない。人間として生まれた奇跡に気づき、あらゆるものを拝みながら最後まで成長し続けること、それが大切なのだと平澤氏は言われる。深い眼差しで人間観察を続けた人生の達人が残した「恩」にまつわる言葉を、このほど弊社より刊行された『平澤興一日一善』の中からご紹介する。

この記事は約9分でお読みいただけます

自らの源を知る

「おん──恩」という言葉を辞書でひくと、「めぐみ」「いつくしみ」とか、「目上の人から受けたありがたい行為」「目上の人がかける情け」などと説明してあるが、しかし、表意文字としての漢字の「恩」には、本来もっと深い意味がある。
「恩」の字は、上の「因」と下の「心」からできているが、因とはもと、原因とかいうことで、恩とはものごとのもと、ことに自らの今日の姿のもとを知って、これを心にいただき、ありがたく思うことである。(3月22日)

木々の萌え出る春の姿──これはほかならぬ木々の命の姿であり、そこにあるものは太陽や水、空気などの大自然との調和の姿である。この命は、元をただせば、大自然の恵みである。植物も、動物も、さらには人間も、すべてこれ大自然によって創られたものである。それは広義の大自然の一部で、本来大自然と対立すべきものではなく、むしろ大きな知恵と信頼とにより、相ともに融けあう大調和の中にあるべきものである。神経質の文化ではなく、そうした大自然と融けあう文化こそ望ましい文化である。(4月1日)

私は、科学は決して、宗教とか信仰と相反するものではなく、むしろ本当に学問をすれば神仏の道へ近づけるのではないかと思うのであります。なぜなら、自然は誰が造ったか知りませんが、しかし、そういうものを調べると、とても人知では考え及ばないようなことがいろいろある事がしみじみとわかるからであります。(9月27日)

ひらさわ・こう

平澤 興

明治33年新潟県生まれ。幼時より医師を志し、第四高等学校、京都帝国大学医学部を経て、大正13年京都帝国大学医学部解剖学教室助手。翌年同学部助教授。15年新潟医科大学助教授。昭和3年から文部省の海外留学生としてスイス・ドイツ等に留学後、5年同大学教授。翌年、日本人腕神経叢の研究により医学博士号を取得。21年京都帝国大学教授。32年から京都大学総長を2期6年間務める。38年京都大学総長を退官し同大学名誉教授。その後、京都市民病院院長、京都芸術短期大学学長などを歴任。26年日本学士院賞、31年武田医学賞、45年勲一等瑞宝章受章。平成元年6月17日、心不全のため京都市内で没。著書に『生きよう今日も喜んで』『平澤興講話選集「生きる力」(全5巻)』など。最新刊に『平澤興一日一言』(いずれも致知出版社)。