2026年4月号
特集
感謝にまさる
能力なし
鼎談
  • 北里大学特別栄誉教授大村 智
  • 東洋思想研究家田口佳史
  • 北里大学大村智記念研究所客員教授、山梨大学客員教授平井敬二

感謝が人生を開く

よき人、よき言葉との
出逢いが人生を導いてきた

縁尋機妙、多逢聖因。碩学・安岡正篤師はしばしばこの箴言を引き合いに、良縁を結ぶことの大切さを説いた。尊い縁に誘われて邂逅を果たした大村智氏、田口佳史氏、平井敬二氏。それぞれの道を切り開いてきた三氏が、心に深く刻んできた言葉、師恩、そして感謝の念を通じて、人生を開く条件を探った。

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    北里大学特別栄誉教授

    大村 智

    おおむら・さとし

    昭和10年山梨県生まれ。33年山梨大学学芸学部卒業。38年東京理科大学大学院理学研究科修士課程修了。40年北里研究所入所。米国ウエスレーヤン大学客員教授を経て、50年北里大学薬学部教授。北里研究所監事、同副所長等を経て、平成2年北里研究所理事・所長。19年北里大学名誉教授。20年北里研究所名誉理事長(現在は北里大学特別栄誉教授)。27年ノーベル生理学・医学賞受賞。著書に『ストックホルムへの廻り道 私の履歴書』(日本経済新聞出版社)『縁尋機妙』(致知出版社)『まわり道を生きる言葉』(草思社)など。

    東洋思想研究家

    田口佳史

    たぐち・よしふみ

    昭和17年東京都生まれ。記録映画監督としてバンコクで撮影中、水牛に襲われ瀕死の重傷を負う。生死の狭間で『老子』と出合い、東洋思想研究に転身。「東洋思想」を基盤とする経営思想体系「タオ・マネジメント」を構築・実践し、1万人超の企業経営者や政治家らを育成。配信中の「ニューズレター」は海外でも注目を集める。主な著書(致知出版社刊)に『「大学」に学ぶ人間学』『「書経」講義録』『「中庸」講義録』他多数。最新刊に『王陽明「伝習録」に学ぶリーダーの人間学』。

    北里大学大村智記念研究所客員教授、山梨大学客員教授

    平井敬二

    ひらい・けいじ

    昭和24年山口県生まれ。47年山梨大学工学部発酵生産学科卒業。杏林製薬入社。53年群馬大学医学部微生物学教室(三橋研) 出向(~55年)。杏林製薬常務、専務などを経て、平成21年社長に就任。24年相談役。28年富士製薬工業社外取締役。30年日本医療研究開発機構 (AMED)新興・再興感染症に対する革新的医薬品等開発推進研究事業プログラムオフィサー。

    頑張っていればよい風が吹いてくる

    平井 この度は、私の大切な師である大村智先生、田口佳史先生とのていだんの機会をいただきまして、大変光栄でございます。

    田口 私も念願叶ってお2人とお話しする機会をいただいて、本当にありがたく思います。何より嬉しいのは、大村先生がますますお元気で活躍なさっていることですよ。去年(2025年)卒寿をお迎えになったとはとても思えません。

    大村 いやいや、卒寿といってもめでたくはありません(笑)。頭の回転はだいぶ悪くなっていますし、やることはいろいろあるのに思ったように実行に移せない。しかしここまでやってこられたのは、いろんな人に助けていただいたおかげだから、とにかく健康をきちっと守って、今年も充実した一年にしたいと思っています。

    平井 大村先生が頑張っていらっしゃると、我々も大変刺激を受けます。

    大村 やり残していることがまだいっぱいありますので、それらをきちっと整理していい形で残していきたいんです。
    一つは地方創生です。東京にはビルがニョキニョキたくさんできているけど、ああいうのは見せかけの発展じゃないかと私は思っているんですよ。いくら東京にいっぱいビルができても、地方が本当に強くならなければ日本はよくなりません。
    そこで、私は30年以上前から郷里の山梨県にらさき市の荒れ放題になっていた桑畑を開発して、公園づくりを手懸けてきました。温泉を掘ったり、美術館を開設したり、茶室を設けたりして、豊かな自然と文化に触れていただける場を目指して造成を進めてきたのが、韮崎大村記念公園です。地方創生には文化をきちっと根づかせなければダメで、文化があれば人も寄ってくるし、人が寄ってくるところに発展がある。そんなふうに考えて取り組んできました。
    そうやって頑張っていると、いい風が吹いてくるんですね。敷地内の私の生家が登録有形文化財に指定されたんですよ。これが一つの追い風になって、おかげさまで、いまでは毎日何百人もの人が訪れるようになっています。当初描いた構想に近づいてきていますので、今年はもう少し皆さんに楽しんでいただけるような形に仕上げていきたいと考えています。
    もう一つは人材育成です。これについては、1995年に山梨科学アカデミーというのを設立して、科学の普及啓発を目的としたイベントや講演会、研究者同士の交流会、人材育成のための顕彰など、様々な事業を行って地元山梨県の科学の発展に努めてきました。

    田口 ゆっくりしている暇もなさそうですね。

    大村 忙しい。本当に忙しいですよ(笑)。

    見えない縁に導かれて

    平井 母校の大先輩である大村先生のご活躍にならって、私も世の中のためになる活動にまいしんし、希望のある年にしようと思っています。

    田口 平井さんは、大村先生と同じ大学のご出身でしたね。

    平井 はい。私が在籍した山梨大学工学部発酵生産学科の加賀美元男教授の研究室は、奇遇にも大村先生がかつて助手を務めておられた研究室でした。ですから、大村先生とは見えないご縁を感じておりましたし、同じ感染症研究の大先輩としてご尊敬申し上げてまいりました。

    大村 平井さんはきょうりん製薬の社長まで務められて、発酵生産学科の出世頭ですよ。ご活躍はかねて耳にしていまして、ある学会でお目にかかってから交流させていただくようになりました。

    平井 私は本当にラッキーなことに、1977年に杏林製薬でノルフロキサシンという抗菌剤を発見することができました。学会で発表したところ非常に高い評価をいただいて、アメリカの製薬会社・メルクを通じて世界130か国で販売され、感染症治療に貢献することができました。
    実は、そのメルクと契約交渉をしている時に、大村先生のことを知ったんです。交渉の合間に先方から、もう一つ有望な化合物の契約交渉をしていて、その相手がすごいタフネゴシエーターだという話を聞きましてね。後で知ったんですけど、実はそのタフネゴシエーターというのが大村先生のことで、有望な化合物がイベルメクチンだったんです。

    大村 そんなふうに言われていたとは知らなかったな(笑)。

    平井 結局、大村先生のイベルメクチンは1981年、私どものノルフロキサシンは1984年に、いずれもメルクから世界に向けて発売されました。そうした見えないご縁が実を結びまして、いまは北里大学と山梨大学の2か所で先生の創薬研究のお手伝いをさせていただいています。

    大村 平井さんは創薬に関してあらゆることを知っておられるから、うちの若い研究員もいろいろご指導いただけてとても喜んでいます。

    平井 杏林製薬の経営からは既に身を退いていますので、大村先生のお手伝いを通じて、これまで培ったノウハウを若い先生方にお伝えして、世の中のお役に立ちたいと念じております。