2025年5月号
特集
磨すれども磷がず
対談
  • 伊那食品工業最高顧問塚越 寛
  • 俳優、仏像彫刻家滝田 栄

人を幸せにする
経営のあり方

「かんてんぱぱシリーズ」でお馴染みの長野県の伊那食品工業は、年輪経営に軸足を置いた独自の経営で知られる。売り上げや利益を追わず社員の幸せを目的として確実な成長に導いてきた最高顧問・塚越 寛氏の経営手法は、いまやトヨタ自動車をはじめとする全国の名だたる企業までが注目するところとなった。貧困や病など多くの逆境に見舞われながらも、試練を逞しく乗り越えて有名企業に育て上げた塚越氏。その人生や経営に対する思いを、長年の知己で氏を敬愛する、俳優で仏像彫刻家の滝田 栄氏にお聞きいただいた。

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社員の幸せを実践を通して形に

滝田 きょうはお会いできるのを楽しみにしてきました。僕は塚越さんを心から敬愛していて、塚越さんの人生や会社経営の思いを広く多くの人に知っていただきたいという思いで『致知』の編集者に推薦したんです。
塚越さんの想像を絶するご苦労と、そのご苦労をかてに社員さんの幸せのために努力されてきたお姿は大きな感動、共感を与えてくれるでしょうし、日本を超えて世界中の経営者に人が生きる意味と働く意味を呼び覚ましてくれると僕は確信しています。
それできょうは人生の大先輩である塚越さんの人生観や仕事観を僕のほうから引き出したいと思っているんですが、ふと思ったんです。普段お呼びしているように「塚越さん」でいいのかなと。突然に「最高顧問」とお呼びするのも少し変ですしね(笑)。

塚越 いや、いつもの通り自然体でいきましょう。俳優として一世を風靡ふうびした滝田さんに声を掛けていただき恐縮しているのは、むしろ私のほうですから。
滝田さんとのお付き合いも長いですね。かれこれ20年近くになりますか。

滝田 ええ。親しくさせていただいている河越さんという鳥取県の社長から「滝田さん、素晴らしい人がいるからぜひ会ってよ」と言われましてね。「どういうところが素晴らしいのですか」と聞いたら、「会社は働く人のためにあると一貫した理念を掲げて、その言葉通りの経営をされている」と。このひと言にとても驚きましたが、正直、最初は半信半疑でした。というのも、僕はそれとは正反対の人とばかり出会っていたからです。
とりわけ、僕が生きてきた演劇など芸能の世界というのは、おそらく想像もできないほど過酷なサバイバル社会です。僕なんかまさに搾取さくしゅの対象で「滝田をどう使ったらもうけられるか」、そのことばかり考える人たちの中で生きてきましたから、経営の真剣勝負の世界で、働く人にそこまでの思いをせる人が本当にいることが信じられませんでした。
バブルが崩壊した後も、それまで使い放題使っていた社員をばっさばっさと切り捨てて収支を合わせようとする大企業の社長を見ながら、「日本人として恥を忘れたんじゃないか」といきどおりすら感じていました。ですから経営者というものに対する印象は決してよくはなかったんです。

塚越 厳しい世界に身を置いてこられたからこそ、そのことを実感されたのですね。

滝田 それで、確か河越さんからお話をいただいてからしばらくして、塚越さんは河越さんと一緒に八ヶ岳の僕の自宅にお見えになったのでしたね。

塚越 はい。その時、滝田さんは手作りの料理を振る舞ってくださいました。私たちは2階の客室に案内されたのですが、下の厨房ちゅうぼうにタタタタッと下りていって、おいしい山菜料理をササッとこしらえて運んでくださった。テレビの料理番組を長年やっていらっしゃったことは存じ上げていましたが、その料理はまさに絶品でした。

滝田 あの日、一晩掛けて玉露ぎょくろの水出しを準備して最初にお出ししたんです。一口飲んで本当においしそうな表情をされるのを見て「よかった。思いが通じたな」と(笑)。それが塚越さんとのご縁で、それから親しくお付き合いする中でだんだんそのお人柄にれ込むようになりました。
特に感動したのは、塚越さんが言葉だけでなく、「社員を大切にする」という思いを実践を通して本当に形にしてこられたことです。それこそ朝から晩まで「一緒に働いている社員をどうしたら幸せにできるか」、そのことばかりを考えられている。しかも、自伝などを読むと、幼少の頃から大変な辛酸をめ、どん底からい上がってこられたというでしょう?
僕はお釈迦しゃか様が好きで、仏陀ぶっだの教えを通して自分の生き方を修正し、まっすぐなものにして人生を終えたいと思って求道生活を続けているのですが、抜苦与楽ばっくよらく、人の苦しみを取り除いて楽しみを与える菩薩ぼさつというのはまさに塚越さんのような方をいうのだと実感しました。それを思うと、求道生活をしていると言いながら僕なんかまだまだ浅いと感じますよ。

伊那食品工業最高顧問

塚越 寛

つかこし・ひろし

昭和12年長野県生まれ。33年伊那食品工業入社。58年社長就任。会長を経て令和元年より最高顧問。経営哲学である「年輪経営」は経済界に多大な影響を与え、塚越氏を師と仰ぐ経営者は多い。科学技術庁長官賞、農林水産大臣賞、黄綬褒章、旭日小綬章、渋沢栄一賞など受賞・受章多数。著書に『いい会社をつくりましょう』(文屋)など多数。評伝に『評伝 伊那食品工業株式会社 塚越寛』(あさ出版)。

何より大事なのは演じ終えた後の自分のあり方

塚越 身に余るような言葉をいただきましたけど(笑)、私こそ滝田さんのことを心から尊敬しているんです。ロングランとなった『レ・ミゼラブル』の舞台では、主役のジャン・バルジャンを14年間やられましたよね。あれは大変な重労働だったとか。

滝田 まさに格闘技です。ある時は、女性を抱えるシーンでぎっくり腰になり、約2か月間、テーピングをしながら激痛に耐えて舞台を続けたこともあります。

塚越 それに舞台の千秋楽の翌日、仏道修行のためにすぐにインドに旅立たれている。そんなこと普通の人にはできません。つくづくすごい人だと思います。

滝田 僕は演劇という特殊な世界に身を置いていたわけですが、素晴らしい仕事をした偉人を演じる機会がたびたびありました。徳川家康も渋沢栄一も、演じているとその人になりきることができるんですね。
ところが、演じ終えた途端、普通の人間に戻って俗人に近いような生活を送っている。人を憎んだりもするし嫉妬もする。偉そうな台詞せりふを口にしているのに執着もあれば煩悩もある。それで、ある時から演じ終えた後の自分のあり方が何より大事なのではないかと思い始めたんです。
世界の一番のベストセラーは『聖書』で、次に読まれているのが『レ・ミゼラブル』。僕はその主役のジャン・バルジャンをぼろぼろになりながらも続けることができました。NHKの大河ドラマで演じさせていただいた徳川家康も戦国の世を終結させて、平和を実現するための方法を息子・秀忠にしっかりと伝えて人生を終えた立派な人物です。役柄としてはこれ以上のものはないんですね。
では、次に何を演じたらいいのだろうか、人類に大きな影響を与えて人々を安心の世界に導いた人は誰だろうかと思った時に、その答えが仏陀だったんです。だけど、仏陀は芝居で演じようがない。演じるのではなくて、僕にとってはそれを目指して歩んでいくべき存在だったんです。『レ・ミゼラブル』でエネルギーを使い切ってしまって、残りの人生は仏陀を目指そうと思って舞台の終了を待ってインドに向かいました。僕が52歳の時です。

俳優、仏像彫刻家

滝田 栄

たきた・さかえ

昭和25年千葉県生まれ。中央大学在学中に演劇と出合い、文学座演劇研究所から劇団四季を経て独立。58年のNHK大河ドラマ『徳川家康』で主演。『草燃える』『なっちゃんの写真館』などのテレビドラマでも活躍。舞台『レ・ミゼラブル』は62年の初演から14年間主役を演じ続ける。料理番組『料理バンザイ!』の司会は57年から20年間務めた。40代で仏像制作を始め、現在は長野県八ヶ岳を拠点に仏教の研究、自然保護活動などを続けている。