2021年3月号
特集
名作に心を洗う
対談
  • (左)NHK「100分de名著」プロデューサー秋満吉彦
  • (右)下掛宝生流ワキ方能楽師安田 登

人生をひらく名著の力

こうして名著の学びを
人生・仕事に生かしてきた

古今東西の古典の学びと能楽で培ったメソッドを生かし、作品の創作・演出・出演、寺子屋塾の主宰など幅広い活動を続ける下掛宝生流ワキ方能楽師・安田 登氏。NHK Eテレの人気教養番組「100分de名著」のプロデューサーとして、数多くの名著・名作を世に広く紹介してきた秋満吉彦氏。共に読書を通じて自らの人生をひらいてきたお二人に、名著の持つ力、読書の素晴らしさを縦横に語り合っていただいた。

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交流の始まりは「100分de名著 平家物語」

秋満 安田さんと実際にお会いしたのは、確か2017年12月でしたね。私がNHKEテレで担当している教養番組「100分de名著」で講師をしてくださった釈徹宗しゃくてっしゅうさんと批評家の若松英輔えいすけさんのお二人から、「安田さんは面白いから会ったほうがいいよ」とほぼ同時期に勧められたんです(笑)。
それで弊社に来ていただいてお会いしたら、安田さんは「100分de名著」で『中庸ちゅうよう』をやってみたいと。ただ、『中庸』は一般にあまり知られていない地味な古典なので、企画が通らないと思いますがどうしましょうかと、うんうんうなっていたら、今度は『平家物語』はどうですかとおっしゃって、結果的にそれがすごくよかった。

安田さんは、能楽のうたいのようにある時は速く、ある時はゆったりと、『平家物語』を実に巧みに朗読しながら解説してくださり、司会の伊集院ひかるさんも本当に乗りに乗って、前のめりになって聞いていました。
僕自身も、ただ解説するだけじゃなく、語ったりうたったりしながら、目や耳、身体感覚で名著を味わうことで、その素晴らしさがより伝わる番組になるんだなということが具体的にすごくよく分かったんです。それから安田さんにれ直したといいますか、トークショーなどにもお呼びするようになって……。いや、僕ばっかり話しちゃってすみません。

安田 実はそれ以前に『身体感覚で「平家物語」を読みなおす。』という本を書いていたんですが、出版界では平家ものは売れないというジンクスがあるらしくて、出せずに終わったんです。ちょうど、その頃放送された『平家物語』の大河ドラマも、〝通〟にはすごく面白かったのですが、視聴率は全然伸びず、それも出版社の判断に影響しました。だから、本当は『中庸』がやりたかったとはいえ、「100分de名著」で『平家物語』が実現できて本当によかったなと。
能楽の大成者・世阿弥ぜあみも『平家物語』を重視していました。
あと、これは秋満さんにもお伝えしましたが、テレビ番組は自分の意に沿わないことを言わされたりするので、なるべく出ないと決めていました。でも、釈徹宗さんや若松英輔さんに「『100分de名著』は好き勝手できる番組だから」と背中を押されて、秋満さんとお会いしました。

25分×4回の構成で古今東西の様々な名著を解説する「100分de名著」のテキスト

秋満 私にほぼ同時期に安田さんを推薦してきたことといい、2人は事前に画策かくさく、申し合わせていたんじゃないかと(笑)。まぁ、確かにこの番組はテキスト制作から入って、かなり時間をかけます。こんな番組はあまりないですね。

安田 秋満さんとの事前の打ち合わせも、本当に何回もしてね。

秋満 その打ち合わせがまた楽しくて。番組が終わると「平家物語ロス」になるくらい(笑)。

下掛宝生流ワキ方能楽師

安田 登

やすだ・のぼる

昭和31年千葉県生まれ。高校教師時代に能楽と出合い、ワキ方の重鎮・鏑木岑男師の謡に衝撃を受け27歳で入門。現在は、ワキ方の能楽師として国内外を問わず活躍し、能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演などを行う。『身体感覚で「論語」を読みなおす。』(新潮文庫)『NHK100分de名著 平家物語』(NHK出版)『野の古典』(紀伊國屋書店)など著書多数。

その場その場の出会いを大切に

秋満 ところで、今回「名作に心を洗う」というテーマをいただきましたけど、そういえば僕は安田さんがこれまでどんな読書体験をしてきたのか、まだ詳しくお聞きしたことがないんですね。

安田 私は子供の頃、本を読むような環境にはいませんでした。誰も図書館なんて行かないような千葉の漁師町に生まれて、中学校を卒業するまで試験を受けた記憶がほとんどないくらい(笑)。
でもその中で、唯一手にした本が、もらった図書券で買った鈴木三重吉みえきちの『古事記こじき物語』と阿川弘之の『雲の墓標ぼひょう』で、この2冊を小学5、6年生の時に繰り返し、繰り返し読んでいました。

秋満 その2冊の本から、何か影響を受けたことはありますか。

安田 『古事記物語』は、神話に対する興味・関心を呼び覚ましてくれて、まさに私の原点になりましたね。いまも『古事記』をテーマにした舞台をやっていますし。
もう一冊の『雲の墓標』は特攻隊、死にゆく若い人たちをテーマにした小説ですが、これは人間の死について、また、戦争について考えるきっかけになりました。
父は学徒出陣で戦争に取られました。公認会計士の資格を持っていたにもかかわらず、戦後は田舎から絶対に出ませんでした。それは戦争で何かあって、自罰的じばつてきな意味で田舎から出なかったのではないかと想像していました。そう考えている時に『雲の墓標』を読みましたから、なおさら心に深く響いてきました。

秋満 『古事記物語』も『雲の墓標』も、いまの安田さんの活動にしっかりつながっている。最初に触れたもの、最初に触れた本の影響って、やっぱり大きいですね。

安田 それから、中学に入ると英語の授業が始まりました。世の中に日本語とまったく違う言語があることを知ってとても興奮しました。
短波ラジオをつくって聞いてみると、北京放送やモスクワ放送、米軍向けのFEN(現・AFN)放送が入ってきていました。それで中国語講座やロシア語講座、『聖書』講座を夢中になって聞きました。たとえばロシア語はbe動詞がなくてもいいし、疑問形も語尾を上げるだけでつくれて、「なんだこの言語は!」という感じで感動の連続でした。

秋満 その頃から様々な外国語に接して勉強していた。初めて聞くお話ですけど、本当に驚きです。

安田 で、高校に入ると今度は漢文が異常に面白くなり、大漢和辞典の編集にたずさわった経験のある先生に顧問をお願いして、漢文研究会をつくりました。そしたら、その先生が「せっかくだから」と漢文を白文はくぶんで読ませるわけです。

秋満 高校生で白文を(笑)。普通なら、漢文はつまらないと感じる学生のほうが多いと思うんですが、安田さんは漢文が好きになるきっかけが何かあったのですか。

安田 たぶん、漢文の参考書がよかったんだと思います。当時の参考書には、唐代の伝奇小説や笑い話なども豊富に載っていて、すごく面白かったんです。途中からバンド活動が楽しくなってきて(笑)、学校にはあまり真面目に通わなくなりましたが、漢文研究会だけには出ていました。
そしてバンド仲間と麻雀マージャンやポーカーで遊んでいるうち、甲骨こうこつ文字に興味が出てきて、そちらを勉強するようになりました。

秋満 麻雀から甲骨文字に(笑)。
でも、そこから現在の能楽師の道にどう進んでいくわけですか。

安田 学生時代はジャズで生活費や学費を稼いでいましたが、実家でお金が必要になり、大学院に行くために貯めていたお金を取られてしまい(笑)、高校の教員になりました。そこで同僚から誘われて初めて能舞台を観に行き、そこで鏑木岑男かぶらぎみねお先生(故人)の謡に衝撃を受け、弟子入りしました。
とはいえ、本当はプロになる気は全然なくて……。趣味として続けていたフリージャズでサックスやドラムの音に負けない声の出し方を学びたいなと思って門を叩いたのです。ところが、鏑木先生のほうは私がプロ志望だと思ったようで、なんだか月謝もとらないし、指導も厳しいし、おかしいなと思いつつ稽古けいこを続けていたら、いつの間にか舞台に立たされ、プロになっていました。
だから、これはいまもそうなのですが、私は目標を決めないんです。その場その場で出逢ったことを大事にする、成り行きで物事を決めてきたという感じですね。

NHK「100分de名著」プロデューサー

秋満吉彦

あきみつ・よしひこ

昭和40年大分県生まれ。熊本大学大学院文学研究科修了後、平成2年NHK入局。ディレクター時代に「BSマンガ夜話」「日曜美術館」などを制作。「100分de メディア論」(ギャラクシー賞優秀賞)「100分de 平和論」(放送文化基金賞優秀賞)等をプロデュースした。現在、NHK Eテレの教養番組「100分de 名著」のプロデューサーを担当。著書に『仕事と人生に活かす「名著力」』(生産性出版)『行く先はいつも名著が教えてくれる』(日本実業出版社)などがある。