2025年11月号
特集
名を成すは毎に窮苦の日にあり
インタビュー
  • 宇宙航空研究開発機構理事・宇宙輸送技術部門長岡田匡史

越えられない壁はない

H3ロケットはこうして打ち上げに成功した

2024年2月17日、種子島宇宙センターに大歓声が上がった。我が国宇宙開発の未来を担う次世代の基幹ロケット、H3ロケットの打ち上げが成功したのだ。プロジェクトを率いてきた岡田匡史氏は、この偉業を成し遂げるまでに、想像を絶する窮苦の日を歩んできたという。ロケット開発に懸ける氏の情熱、挫折、願い──。そのひたむきな道程は、私たちに様々な示唆を与えてくれる。

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    宇宙大航海時代の幕開け

    ──昨年(2024年)2月、岡田さんがプロジェクトマネージャを務めたH3ロケットの打ち上げが見事に成功しました。おめでとうございます。

    ありがとうございます。
    H3ロケットは日本の次世代の基幹きかんロケットです。基幹は英語でメインステイ。常に柱となっていつでも宇宙へ行ける状態をつくるのがこのH3ロケットの最大のミッションです。世界のロケット開発が加速度的に進む中、30年ぶりに基幹ロケットのフルモデルチェンジを果たし、H3ロケットの打ち上げに成功することができてあんしています。

    ──大歓声の中、岡田さんがメンバーの方々と涙ながらに握手、抱擁し合う姿がテレビで放映され、とても印象的でした。

    どのロケットの打ち上げも成功すれば嬉しいものですが、H3ロケットが初めて成功した時の喜びは格別でした。エンジンの開発に大変苦労をして、試験機1号機の失敗も経ての成功でしたから。

    ──プロジェクトマネージャを退かれたいまは、どんなことに取り組んでおられるのですか。

    理事として、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の経営に携わりながら、宇宙輸送技術部門長として、ロケット事業全体を統括しています。
    この部門の柱の一つがH3ロケット、もう一つがイプシロンロケットです。H3ロケットは打ち上げに成功したので、今度は事業軌道に乗せるため、1年に6機くらいコンスタントに打ち上げられるように磨きをかけています。イプシロンは、話題になった「はやぶさ」のようなコンパクトな探査機などの打ち上げを得意とする小型ロケットです。2つのロケット開発などを手懸けながら、宇宙ロケットの未来はどうあるべきかというテーマにも取り組んでいます。

    ──具体的にどのようなビジョンを描いておられるのですか。

    ロケットというのは日進月歩で、いま世界一強といわれるアメリカでは、打ち上げ後に発射地点まで戻ってきて、何度も飛ばせるロケットが開発されています。これまでの延長線上では将来像が描けなくなっていて、大きな発想の転換が求められているんです。
    人類が宇宙へと向かう要因は、主に2つあります。
    一つは、人類が地球上でよりよい生活を実現するためです。宇宙には、遠くから地球を見られるという得意技があります。この宇宙の得意技に対して、様々な新しいニーズが生じているんです。例えば、いまは砂漠のど真ん中でも通話ができるようになりましたが、これはイーロン・マスクさんの打ち上げた衛星が地球の周りをたくさん飛んでいるからです。今後は防災や安全保障、あるいは自動運転などに必要なより高度な人工衛星を打ち上げるために、これまでよりパワーがあって、しかも低コストなロケットが求められているんです。
    もう一つの要因は、知らないことを知りたいから。これは人類の本能ともいえます。宇宙というのはまだ分からないことばかりで、そこに飛び出して行くいまのロケットは、かつての大航海時代を前にした船と一緒だと思います。
    こうした事情を踏まえて、ロケット開発に求められているのは、宇宙にいかにスムーズに出て行けるか、そこに尽きます。より安全で、より安価で、より大量のものを地球の外へ運べるロケット。これを実現するために、我々は日々ロケット技術に向き合っているわけです。

    宇宙航空研究開発機構理事・宇宙輸送技術部門長

    岡田匡史

    おかだ・まさし

    昭和37年愛知県生まれ。平成元年東京大学大学院工学系研究科航空学専攻修士課程修了。JAXAの前身である宇宙開発事業団に入社。以来、種子島宇宙センター、筑波宇宙センターなどで液体ロケット及びロケットエンジンの開発に従事。21年システムズエンジニアリング推進室長。27年H3プロジェクトチームプロジェクトマネージャ。令和6年理事、宇宙輸送技術部門長(現職)。