2017年10月号
特集
自反尽己じはんじんこ
インタビュー③
  • 登山家田村 聡

少しの勇気が
明日をひらく
大きな力になる

2016年5月21日午前10時半(日本時間)、聴覚障碍者では世界初となるエベレスト登頂を成し遂げた、登山家田村 聡氏。命の危機と隣り合わせの世界にあって、すべてを自己責任と捉え、ハンディをものともせずに世界の登山史に新たな1ページを刻んだその歩みは、まさしく「自反尽己」に徹した生き方と言えるだろう。

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    世界最高峰からの景色

    ——昨年(2016年)5月には、聴覚障碍者として世界初となるエベレスト登頂、おめでとうございました。

    ありがとうございます。平成26年から挑戦を始めて、3度目にしてようやく頂上まで辿り着くことができました。
    登頂したのは21日の午前10時半。アドバンスベースキャンプから出発したのが前日の夜で、空を見上げると星がすごく綺麗だったことを覚えています。とにかく晴れてほしいと祈るような気持ちでいましたが、夜空を見上げているうちに、これなら間違いなく晴れるだろうと思っていました。

    ——では、頂上に至るまで天候には恵まれたわけですね。

    はい。ただ、これは登頂してから分かったことなのですが、酸素ボンベのメーターが下がっていて、酸素供給量が極端に少なくなっていたために、頂上に辿り着くまでの間中、私はずっと酸素不足状態だったんです。
    もう本当に苦しくて苦しくて。最後のほうになると5歩、10歩と歩いては休憩するといったことの繰り返しでした。
    ようやく登頂できた時には、少し頭がボーッとしていたのですが、それでも世界最高峰からの景色はそういったことを忘れさせるくらい素晴らしく、本当に感動しました。眼下には周囲の山々とそれを縫うようにして雲海が広がっている景色は本当に綺麗で、なおかつ神秘的でもありました。
      
    ——3度目のエベレスト挑戦だっただけに、感動も一入だったのではありませんか。

    そうですね。そもそも私がエベレストを本気で目指そうと考えるきっかけになったのが、平成19年に成功したヒマラヤのチョ・オユー登頂でした。これによって聴覚障碍者として世界で初めて8,000メートル級の登頂を成功させたわけですが、その頂上から見渡す先に一際高く聳え立っていたのがエベレストでした。
    あまりに壮大なスケールと、言葉に言い表せない美しさに圧倒されていると、一緒に登ってきたシェルパが側に近寄ってきて、「あなたは強い。あのエベレストに挑戦するといい」というお墨つきをもらいましてね。その時から徐々に準備を始めていき、平成26年5月に初めてエベレストに挑戦したんですよ。

    登山家

    田村 聡

    たむら・さとし

    昭和40年東京都生まれ。13歳から登山を始め、国内山行は1,000以上。平成14年モンブラン、19年チョ・オユーなどの登頂を経て、28年悲願のエベレスト登頂に成功。パリ・ダカールラリー二輪出場、国内ラリーレース入賞などの経験も持つ。