「一生ピアノを弾けない」。ピアニストにとって生命線の指を難病に侵され、医師からそう宣告された西川悟平氏。自ら命を断とうとするほど苦しい状況からいかに光を見出し、7本指のピアニストとして世界中で活躍する夢を掴んだのか。逆境をプラスに捉え、自らの人生を切り開いてきた西川氏の思考法に学ぶ。
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ピアニスト
西川悟平
にしかわ・ごへい
昭和49年大阪府生まれ。15歳からピアノを始め、平成11年に巨匠デイヴィッド・ブラッドショー氏とコズモ・ブオーノ氏に認められ、ニューヨークへ。同年リンカーンセンター・アリスタリーホールにてデビュー。翌年より定期的にカーネギーホールにて演奏。17年両手の演奏機能を完全に失い、ジストニアと診断される。20年7本指で演奏し、ヨーロッパデビュー、以来世界各国で活躍する。令和元年銀座に専用サロン「GINZA 7th Studio」オープン。著書に『7本指のピアニスト』(朝日新聞出版)がある。