2025年3月号
特集
功の成るは成るの日に
成るに非ず
一人称
  • 弁護士佐賀千惠美
日本初の女性弁護士

三淵嘉子の生き方

公然とした女性差別が存在した1940年、日本初の女性弁護士の一人としてキャリアをスタート。戦中戦後の激動の時代を生き抜き、女性法曹の道なき道を切り拓いたのが法律家・三淵嘉子である。その波瀾万丈の人生は、テレビドラマのモデルにもなり大きな反響を呼んだ。自身も長年弁護士業に打ち込んできた佐賀千惠美さんの語りから、運命を開く要諦を探る。

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激動の時代を生き抜いた女性法曹の草分け

「いつ頃ですか? 日本に女性の弁護士や裁判官が生まれたのは」

この問いが一つの機縁となりました。結婚を機に検事を退官し、主婦として2人の子供を育てていた1985年、出版社の知人から司法試験の受験生に向けた原稿を依頼されました。その際に冒頭の質問を尋ねられたものの、答えることができなかったのです。

第二次世界大戦前は女性に選挙権もありませんでしたから、恐らく戦後だろう。そう思い調べたところ、1940年に3人の女性弁護士が誕生した史実を知りました。それが中田まさ、久米愛と共に日本初の女性弁護士になった一人にして、女性で初めての裁判所長を務めた三淵嘉子との出逢いです。

ところが、日本の女性ほうそうの草分けについてまとまった本はありませんでした。いま在命中の身内の方々のお話を聞いておかなければ、彼女たちの功績は年月と共に忘れ去られてしまう。これは私が残さなければならないという使命感に駆られ、わずかな手掛かりを頼りに、嘉子の一人息子である和田よしたけさんや唯一ご存命だった中田正子先生への取材を始めました。

3人の先駆者の足跡を辿たどる中でも、とりわけ感銘を受けたのが嘉子の激動の人生です。相次ぐ肉親の死に見舞われながらも、持ち前の頭脳と自我の強さ、他人への思いやりと献身性で女性法曹の道なき道を切り拓きました。そのたくましい生き様に心を鼓舞されたからこそ、幼い子供を抱えながらも取材と執筆を続け、1991年に『華やぐ女たち 女性法曹のあけぼの』をじょうすることができたのです。

30年以上前にお話を聞けた方も、いまとなってはほとんど鬼籍きせきに入られたことを考えると、あの時会っておいてよかったとしみじみ思います。2024年には嘉子がモデルのNHK連続テレビ小説『虎に翼』が放送され、女性法曹のれいめいが脚光を浴びていることは、隔世の感があります。

弁護士

佐賀千惠美

さが・ちえみ

昭和27年熊本県生まれ。52年司法試験に合格。53年東京大学法学部卒業後、司法修習生。61年弁護士登録。平成13年佐賀千惠美法律事務所を京都で開設。著書に『三淵嘉子の生涯』(内外出版社)『三淵嘉子・中田正子・久米愛 日本初の女性法律家たち』(日本評論社』)など。