去る令和3年7月8日、安岡正篤師のご子息で、郷学研修所・安岡正篤記念館理事長を務められた安岡正泰氏がお亡くなりになりました。享年89でした。
正泰氏は昭和6年、昭和歴代首相や財界人の指南役と称された碩学・安岡正篤師の次男(4人きょうだいの3番目)として東京にお生まれになりました。中学2年生の時に終戦を迎え、早稲田大学第一法学部を卒業後、日本通運に入社。同社では東北・関東地区の支店部長、本社広報部長、常務取締役中部支店長など要職を歴任し、日本通運健康保険組合理事長を務められました。
退任後の平成11年に、郷学研修所・安岡正篤記念館理事長となり、『郷学』の頒布や各種研修会、講演会などを通して安岡教学の継承とその普及に最晩年まで力を尽くされました。
『致知』とのご縁の始まりは、昭和59年の弊誌3月号、「追悼・安岡正篤」という特集です。以来、安岡門下の方々をお相手に人間味溢れるご尊父の素顔、安岡教学の神髄についてご対談いただくなど本誌にたびたびご登場賜りました。
弊社から多くの安岡教学関連の著書を刊行することができたのも、正泰氏のご尽力によるものです。特に平成18年に刊行された正泰氏監修による『安岡正篤一日一言』は14万部を超えるベストセラーとなり、いまなお世代を超えて読み継がれています。
平成30年10月号では、『安岡正篤活学選集(全10巻)』の出版を記念して、同研修所副理事長(当時)の荒井桂氏と誌上対談をしていただきましたが、残念ながら、それが正泰氏最後の『致知』へのご登場となりました。
ご尊父の教えの中でも正泰氏の心に残ったのは、人と人との「縁」を育むことの大切さだったといいます。大学を出て日本通運に入社したのも、同社にかねて正泰氏のご祖父様が勤めていたことから、ご尊父に「人間、縁を大事にしなければいけない。孫の一人くらいはお爺さんの跡を継ぎなさい」と諭されたと話されていました。正泰氏が様々な巡り合わせの中でお祖父様と同じ中部支店長となり、縁が導く妙を深く実感されるのです。
正泰氏は先述の平成30年10月号にて、弊社との関わりについて次のようにお話しくださいました。
「致知出版社とご縁をいただいて30年以上が経つわけですが、これまでに30冊の父の本を発刊いただき、藤尾秀昭社長とは素行の友としてのお付き合いを続けさせていただいているわけですから、父がよく口にしていました『縁尋機妙 多逢聖因』(よい縁がさらによい縁を尋ねて発展していく様は、誠に妙なるものがある。いい人に交わっていると、よい結果に恵まれる)の思いを禁じ得ません」
30年以上にわたって続いた弊誌へのご厚誼も、まさにご尊父の「縁尋機妙 多逢聖因」の教えの実践ではなかったか、という思いを強くします。
「縁尋機妙 多逢聖因」と併せて正泰氏が大切にし、講演などでお話しされた安岡教学の教えがあります。「一燈照隅 萬燈照国」の教えです。正泰氏は兄・正明氏と妹・節子氏との弊誌鼎談(平成9年4月号)の中で次のように述べておられます。
「父が言いたかったのは、こういうことではなかったかと思う。『世の中にはさまざまな職業の人がいるが、大事なのは各人それぞれが正業に就き、自分の心身をみがいて仕事に最高の努力をしていくことだ。一人ひとりの心の修養こそ大事である』と。
地位とか肩書とは関係なく、人それぞれが置かれた環境のなかで、どれだけの努力、研鑽を積んでいくか。そこに人間としての価値があるわけです。重ねて申しますと、(父の説く)『一燈照隅 萬燈照国』とは、そういうことではなかったでしょうか」
最晩年まで心血を注いだ安岡教学の継承とその普及活動こそ、正泰氏の「一燈照隅 萬燈照国」行であったのではないかと思います。正泰氏が灯した一燈は次の世代へと確実に受け継がれ、安岡教学は今後も不滅の輝きを放ち続けていくことでしょう。
ここに正泰氏よりいただいた数々のご恩に感謝を申し上げると共に、心よりの哀悼の意を表します。