2021年5月号
特集
命いっぱいに
生きる
インタビュー②
  • プロ冒険家阿部雅龍

僕が命懸けの冒険に出る理由

2019年1月、日本人初のルートで南極点単独徒歩到達を成し遂げたプロ冒険家の阿部雅龍氏。幼い頃に抱いた夢を叶え、幾度となく生死の狭間を越えながら活動を続ける阿部氏を冒険へと突き動かすものとは何なのか。恩師の教えや大自然から掴んだことと共に伺った。(写真:2019年1月、日本人初のルートにて南極点単独徒歩到達918㎞を達成した時)

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    白瀬矗隊長の夢を100年越しに引き継ぐ

    ——阿部さんは2019年に日本人初のルートで南極点に到達されたと伺いました。

    はい。〝単独かつ人力〟をテーマに一人で世界中を冒険しており、この南極の挑戦では犬橇いぬぞりなどを使用せず、100キロ以上の荷物を乗せた橇を自力で引いて980キロメートルを踏破とうはしました。
    360度見渡す限り雪原の中を約2か月間一人で歩き続けます。気温はマイナス30度、風が吹くと体感温度はマイナス50度にまで下がり、息をハーッと吐いた瞬間、目の前でしもになって落ちるほど極寒の世界です。

    ——想像を絶する世界です。

    特にこの時は過去に例のない豪雪で、多くの冒険家がリタイアするなど苦戦を強いられました。南極は乾燥していて雪が降らないので氷の上を橇を引いて進めるのですが、この時は多い日で一日50センチほどの積雪がありました。一歩進むごとに体力が消耗し、予想以上に日数を取られてしまい、当初予定していた無補給での到達を断念して、途中にある補給ポイントで食糧や燃料を補填ほてんし、何とかゴールすることができました。
    しかし、この南極点到達は僕にとっては一つの通過点にすぎません。ここで自分の実力を証明することができたので、現在は人類初ルートでの南極点単独徒歩到達に向けて準備をしています。このルートは明治期の探検家・白瀬矗しらせのぶ南極探検隊隊長が考案したもので、1910年から1912年に白瀬隊長が挑戦するも、途中で泣く泣く断念されました。それから100年、誰も成し得た人はいません。その人類の夢ともいうべき挑戦を、いま引き継ごうとしているんです。

    ——人類の夢へ挑戦されている。

    しくも白瀬隊長は僕と同じ秋田県出身で、後ほど詳しく説明しますが、僕が冒険家を目指すきっかけとなった本に紹介されていた方でもあります。2020年11月にチャレンジする予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で出発地まで移動する飛行機が飛ばず、1年越しの2021年11月に再チャレンジを予定しています。

    プロ冒険家

    阿部雅龍

    あべ・まさたつ

    昭和57年秋田県生まれ。平成16年大場満郎氏主宰の冒険学校でスタッフとして働く。17年秋田大学在学中に南米大陸単独自転車縦断。22年Continental Divide Trail単独踏破、24年乾季のアマゾン川の2,000km単独筏下りを達成。26年から3年連続で北極圏単独徒歩。31年1月日本人で初めてメスナールートによる南極点単独徒歩到達918キロメートルを達成。現在、同郷の探検家・白瀬矗中尉の足跡を辿り、単独徒歩で南極点を目指している。著書に『次の夢への一歩』(角川書店)がある。