2017年7月号
特集
師と弟子
対談
  • 三千院門跡門主堀澤祖門
  • 比叡山円龍院住職宮本祖豊

徳を高める
生き方

比叡山で最も過酷な行の一つであり、その厳しさゆえに掃除地獄、静の荒行と呼ばれる「十二年籠山行」。開山以来伝わるこの行を戦後初めて満行したのが、三千院門跡第六十二世門主・堀澤祖門師である。若き日に堀澤師のもとに弟子入りした円龍院住職・宮本祖豊師は、戦後6人目の満行者となった。師から弟子へいかにしてその法統は継がれていったのか。いま我われが開祖・伝教大師最澄上人の教えに学ぶべきこととは──。

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徳を積むことに自分の人生を懸けてみたい

宮本 きょうは「師と弟子」というテーマで、致知出版社の方から堀澤祖門師匠と対談の機会をいただきましたけれども、いまでもお会いしますと、初めて対面した時の師と弟子の関係に戻ったような気持ちになります。

堀澤 まぁ一応そうだけど、当時ほど堅くはないよな。

宮本 いやいや、私は変わらないですね(笑)。

堀澤 出逢ってもう何年になるかね?

宮本 私が比叡山に出てきましたのは昭和57年、22歳の時ですから、35年前になります。
大学受験に躓いて浪人生活を送っていた時に、自分の性格とか頭の出来とか生活環境、こういった部分を反省する中で、徳のなさというのを非常に感じました。
何年か勉強すれば大学にも入れただろうし、景気のいい時代でございましたので就職にも困らなかったんでしょうけれども、「いや、待てよ」と。サラリーマンみたいな人生ではなく、もっと違う人生を歩んでみたい。徳を積むことに自分の人生を懸けてみたい。こう思った時に、直感的に閃いたのが宗教だったんです。
ところが、私の故郷は北海道室蘭市でございますので、神社仏閣は滅多になく教会が非常に多い。そこでキリスト教から入っていったのですが、信仰に躓きまして、その時に出逢ったのが仏教でした。

堀澤 何か本を読んで?

宮本 はい。当時1番惹かれたのが『摩訶止観』です。読者の方のためにご説明しますと、この本は中国天台宗の開祖・天台大師智顗が説かれた坐禅の指南書と言われています。大変難解ですのでもちろん初めは分からなかったんですけども、二度三度読むうちに非常に面白くなって、一生これを勉強したいと感じました。
同時に出逢ったのが、最澄上人が19歳で修行に入る時に書かれた『願文』という文章です。それを読んだ時に非常に感動しまして、ぜひこういった精神が生きている場所で実際に修行してみたいと思ったわけなんです。

堀澤 だから比叡山の門を叩いたんだね。

宮本 そうです。親にはなかなか理解してもらえず、結局、「修行に出てまいります」と書き置きして、片道切符と僅かな日用品だけ持って比叡山に向かいました。

三千院門跡門主

堀澤祖門

ほりさわ・そもん

昭和4年新潟県生まれ。25年京都大学を中退して得度受戒。39年十二年籠山行を戦後初めて達成。平成12年叡山学院院長、14年天台座主への登竜門「戸津説法」の説法師を務める。25年12月より現職。著書に『君は仏 私も仏』(恒文社)『求道遍歴』(法藏館)など。

師匠・堀澤祖門との出逢い

宮本 もちろん紹介者はいませんでしたので、根本中堂にお参りした後、延暦寺事務所に行きました。普通は紹介状がないと追い返されるのですが、私がお坊さんになりたい、坐禅に興味を持っていると言ったところ、運よくいろいろ話を聞いてくださいまして、比叡山で1番坐禅に詳しい人を紹介してやろうと。それで紹介してくれましたのが師匠だったんです。

堀澤 ああ、そうか。私はその時何をしておった?

宮本 当時は居士林研修道場の所長をしておられました。師匠にも同じように私の思いを話しましたところ、じゃあちょっと坐禅してみようかと言って、居士林で40分ほど一緒に坐禅をしました。
で、12年籠山行にも興味を持っていると言いましたら、坐禅をした後に浄土院に連れて行っていただき、高川慈照師を紹介していただきました。ところが、弟子には認めてもらえず、そのことを居士林まで報告に行ったのを覚えています。すると、次に酒井雄哉阿闍梨を紹介していただきました。
当時、酒井阿闍梨は千日回峰行を1度満行されまして、2度目の千日回峰行を200~300日歩かれている頃だったと思うんですけれども、酒井阿闍梨に「その若さで坊さんになって一体どうするんだ。一遍社会に出て苦労して、30過ぎてもまだ坊さんになりたいんだったらもう一遍来なさい」と言われました。
何回か頼んだものの、筋の通った人ですし、行中だったこともありまして、寺を辞して師匠のところに再び報告に行きました。

堀澤 ああ、そうだった。

宮本 その時に、ちょっと様子を見てあげようと言っていただきまして、掃除や雑務をする一方、お経の読み方や坐禅の仕方を教えてもらうという形で、しばらく置いていただけることになりました。
1か月ほど経った頃だと思いますけれども、私自身、この先お坊さんになれるんだろうかという不安がよぎりまして、自分の決意を師匠にもう一遍話しましたところ、やっぱりその頃はまだ俗気がたくさん残っていたのでしょう。師匠から「そういう考え方では置いておけない。出ていけ」と言われまして……。

堀澤 よう覚えてないねぇ(笑)。それでどうしたの?

宮本 とにかくお金を持っていなかったので、まず近くの旅館でアルバイトをして、食料とかリュックサックとかテントとか全部買い込みまして、1か月ほど山に籠もっておりました。

堀澤 どこの山?

宮本 大峰山でございます。どんなに考えたところで、お坊さんの世界は師匠がいなきゃ出家得度の道は開かれませんので、もう一遍師匠のところへ電話しましたら、じゃあ来なさいと。私はもうこれが最後のチャンスだと思いましたので、小僧見習いという形でしたけれども、一所懸命雑役に従事しました。正式に弟子入りできたのはそれから2年後くらいだったと思います。

堀澤 当時たくさん弟子を抱えていたけど、すぐ飛び出すのが何人かおったから、本気かどうか確かめていたんだろうね。
縁があれば来るだろうし、縁がなければ去るだろうし。やっぱり時節がある。ただなりたいからといって、「そうかい」って言うわけにもいかないわな。
まぁそう何度もあったわけじゃないけど、当時はあんたみたいに思いを持った在家の青年が時々来たもんだよ。何しろ私自身もそうだったからね。

比叡山円龍院住職

宮本祖豊

みやもと・そほう

昭和35年北海道生まれ。59年出家得度。平成9年好相行満行。21年戦後6人目となる十二年籠山行満行を果たす。現在は比叡山延暦寺円龍院住職、比叡山延暦寺居士林所長を務める。著書に『覚悟の力』(致知出版社)がある。