2016年4月号
特集
夷険一節
インタビュー③
  • 東京盲ろう者友の会理事荒 美有紀

いま、この瞬間を
喜びに生きる

荒 美有紀さんは16歳で難病を発症し右耳に異常を覚えるようになった。さらに大学1年で左耳、4年の時には両目にまで障碍が及び、ついに全盲聾の身となった。絶望と悲しみの中で、彼女はどのように心を立て直し、人生に光を見出していったのだろうか。難病と向き合いながら「ヘレン・ケラーのように誰かのサポートに生きたい」と明るく語り、夷険一節そのものの人生を歩む荒さんにお聞きした(なお、インタビューは、点字を応用した「指点字」の通訳によって荒さんに伝えられ、荒さんは口頭で質問に答えられた)。

この記事は約10分でお読みいただけます

盲聾者からのメッセージ発信

──ここしばらくは、テレビの撮影でお忙しかったようですね。

はい。NHKさんが私を取り上げた30分のドキュメンタリー番組を制作してくださっていて、ちょうど一昨日、収録が終わったばかりなんです。昨年(2015年)の12月中旬頃から2か月近く撮影が行われて、密着取材もありましたので、緊張しっ放しでした(笑)。
私は普段、東京盲ろう者友の会に所属していて、広報啓発活動を中心に仕事をしています。講演をしたり、フェイスブックで情報を配信したり、あとは全国盲ろう者協会が半年に一回発行する雑誌『コミュニカ』の編集ですね。これは盲聾者の唯一の雑誌で、出版社の編集者や事務局の方、盲聾者で編集部は構成されています。編集部で企画したテーマに沿って、全国の会員や支援者の方から寄せられた日々の気づきや情報を、編集部で読みやすくして点字やデータ、墨字(通常の文字)の数種類を発行しているんです。
発行の1、2か月前になると、私たち編集委員が事務所に集まって何度も会議を開き、寄せられた声を読んだり、雑誌の構成を考えたりして形にしていくのですが、この時はとても充実しています。

──講演では、どのようなことをお伝えされていますか。

先日、講師としてお声を掛けていただいたのは人権啓発委員会の方でした。150人くらいの前で、人権についての私の思いや、自分が盲聾になるまでの経緯などについて話をさせていただきました。他には、福祉関係の講義で大学からゲスト講師にお招きいただいたりもしています。

東京盲ろう者友の会理事

荒 美有紀

あら・みゆき

昭和63年栃木県生まれ。明治学院大学文学部卒業。現在は東京盲ろう者友の会理事、全国盲ろう者協会が発行する雑誌『コミュニカ』編集委員。著書に『手のひらから広がる未来』(朝日新聞出版)がある。