2025年10月号
特集
出逢いが運命を変える
対談
  • 愛知専門尼僧堂堂頭青山俊董
  • 坂村真民先生ご息女西澤真美子

坂村真民しんみん先生に
学んだこと

仏教詩人として知られる坂村真民先生。97年の生涯でつくられた数多くの詩は、没後19年が経ったいまなお人々に寄り添い、生きる力や希望を与え続けている。真民先生と長年交流があり、その生き方や詩をいまも修行の指針とする愛知専門尼僧堂堂頭・青山俊董師と、真民先生のご息女である西澤真美子氏。多くの苦難をも人生よき出会いと受け止め、詩に命を注ぎ続けた真民先生の人生を語り合っていただいた。

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    長野県南端の町に並び立つ詩碑と歌碑

    青山 暑い中、この信州・塩尻しおじりりようまで足をお運びくださり、かたじけなく思います。きょうは真美子さんとお会いできることを心待ちにしておりました。

    西澤 いいえ、とんでもないことです。高名な青山老師様と父・しんみんについて語り合えるなどとても光栄であり、私のような者でいいものかと恐縮しながら松山からまいりました。
    このお座敷に通していただき、床の間に「念ずれば花ひらく」の父の掛け軸をお掛けくださっているのを拝見しながら、老師様のさりげないお心遣いをとても嬉しく思っているところです。この書はおそらく父が若い頃に書いたものではないでしょうか。

    青山 はい。私も真民先生とのお付き合いは長く、お手紙なども随分いただきました。先生の詩集はいまも愛読しているわけですが、そういえば一度、ちよう(愛媛県伊予郡)のご自宅にお伺いしたことがありましたな。私は全国いろいろなところで講演をさせていただきましたから、確か愛媛に行った折に、砥部町に足を伸ばしてお訪ねしたのではないかと。

    西澤 ええ。もう40年近く前のことですが、よく覚えております。その頃、私はたまたま実家にいて、青山老師様をお迎えすることができました。父もとても喜んでおりましたね。

    青山 それから、真美子さんはご存じでしょうか。長野県南端のとおやまごうに真民先生の「念ずれば花ひらく」の詩碑と、私の歌碑が並んで立っているんです。
    今回、真民先生についての対談ということでそのことを思い出し、調べていましたら、1993年に出した「無量寺便り」で碑について書いていました。30年以上前、塩尻警察署にお勤めの柳澤文雄という方が私の講演を聞いて感動され、ご自身が信奉する真民先生の詩碑と私の歌碑を建てることを発願される。その後、派出所長として赴任された遠山郷にてほうぼうから寄付を集め、2つの碑の建設を進められたのですが、そういうところにも真民先生との不思議な縁を感じております。

    西澤 ちょうど『致知』の編集者の方から老師様がそのことに関心をお持ちだと聞きましたので、私も古い新聞記事を探して持ってまいりました。柳澤様はご老師の本を通して父のことを知り、1992年の「念ずれば花ひらく」の除幕式には老師様が記念講話をされたと書かれています。その翌年、1つの石を割って老師様の歌碑と真民の詩碑が並んで立ちました。老師様の歌碑に刻まれた
    その中に ありとも知らず 晴れ渡る 空にいだかれ 雲の遊べる
    この歌は、父の求めた世界と通じるものがあるように感じます。

    坂村真民

    さかむら・しんみん

    明治42年熊本県生まれ。昭和6年神宮皇學館(現・皇學館大学)卒業。25歳の時、朝鮮で教職に就き、36歳で全州師範学校勤務中に終戦を迎える。帰国後、21年から愛媛県で高校教師を務め、65歳で退職。以後、詩作に専念。四国に移住後、一遍上人の信仰に随順して仏教精神を基調とした詩の創作に転じ、37年月刊個人詩誌『詩国』を創刊。平成11年愛媛県功労賞、15年熊本県近代文化功労者賞受賞。詩集に『坂村真民全詩集』全8巻(大東出版社)、『坂村真民一日一言』『坂村真民一日一詩』(いずれも致知出版社)などがある。18年12月、97歳で他界。

    天地の声を聞き詩に表現した真民先生

    青山 真民先生が2006年に97歳で亡くなり、もう19年の歳月が流れたのかと驚くばかりですが、いま先生のことを思いながら一番に感じるのは、「天地の声をどう聞いたか」ということです。
    釈迦しゃか様は天地の声を聞いて12月8日の未明、菩提樹ぼだいじゅの下で空に輝く星を見て悟りを開かれました。生きとし生けるもの一切が天地悠久の働きをいただき、そのすべてが関わり合いながら生かされている。お釈迦様はその様をひと言で「縁起えんぎ」と表現されています。二宮尊徳は「音もなくもなく常に天地は書かざる経を繰り返しつつ」とうたっていますが、語り通しに語っている天地の声を尊徳も聞いていたのでしょう。
    そして、真民先生もまた天地の声を聞いて、その声を詩として表現されてきた方ではないかと思うんです。

    西澤 ありがたいお言葉です。

    青山 考えてみたら、人類の文化とは天地の声をどう聞いたかの歴史ですわな。科学者は天地の声を聞いて文明を発展させ、医者は体の声を聞いて医療技術を進歩させてきたとも言える。それは素晴らしいことだけれども、問題はせっかく天地いっぱいに生かされている生命に気づかず、自我の満足の方向にのみ伸ばしていく、それをぼんのうと呼んだ。
    お釈迦様は、これに対し小欲、そく、あるいは「煩悩を断て」と言われた。私が師と仰いでいるさわこうどう老師も「我々はこの皮のつっぱりの中だけで生きているのではない。天地総力を挙げてのお働きを一身にいただいて生きている」と話し、そのことに気づかずに小さな自分を中心としたことしか考えられない人を凡夫と表現しておられました。
    そのような自我の満足から離れて、天地いっぱいの生命をいただいていることに目覚めて、その生命に相応ふさわしい生き方をしていこうとする時、そこに誓願せいがんが生まれる。真民先生には「ねがい」「願い」と題する詩がたくさんありますが、先生はその願いに生きるために詩に命を懸けた方ですね。私はそのような詩に触れるたびに誓願に生きる人のひたむきさ、美しさというものを感じるんです。
    ねがい

    ただ一つの/花を咲かせ/そして終わる/この一年草の/一途さに触れて/生きよう
    西澤 いまのお話を聞きながら思ったのは、父は80歳を過ぎてから「だいちゅうだいらく」という言葉を授かるんですね。「念ずれば花ひらく」が花であれば、「大宇宙大和楽」は実であると父は話していました。この「大宇宙大和楽」が晩年に行き着いた世界ではないかと思っています。

    青山 先ほどの縁起というお話ともつながることですが、たいしゃくてんの宮殿にはいんもうという宝網が張り巡らされていたという話がごんの教えに説かれています。その網の目にある美しい珠玉一つひとつに光があり、その珠光は重々無尽に照らし合っているというんです。私たちの世界も地球的視野で見れば、動物や植物を含めてすべての生命がお互いにつながり生かし合っている。まさにそれが「大宇宙大和楽」の世界と言えるのではないでしょうか。

    愛知専門尼僧堂堂頭

    青山俊董

    あおやま・しゅんどう

    昭和8年愛知県生まれ。5歳の時、長野県の曹洞宗無量寺に入門。駒澤大学仏教学部卒業、同大学院修了。51年より愛知専門尼僧堂堂頭。参禅指導、講演、執筆のほか、茶道、華道の教授としても禅の普及に努めている。平成16年女性では2人目の仏教伝道功労賞を受賞。21年曹洞宗の僧階「大教師」に尼僧として初めて就任。令和4年1月より曹洞宗大本山總持寺の西堂に就任。著書に『道はるかなりとも』(佼成出版社)『一度きりの人生だから』(海竜社)『泥があるから、花は咲く』(幻冬舎)『あなたに贈る人生の道しるべ』(春秋社)など多数。

    坂村真民先生ご息女

    西澤真美子

    にしざわ・まみこ

    昭和24年愛媛県生まれ。坂村真民氏の末娘。大学入学と同時に親元を離れたが、「念ずれば花ひらく」詩碑建立や国内外の旅行などを真民氏と共にする。母親の病気を機に愛媛県砥部町に戻り、その後、病床の母を見守った。平成24年の坂村真民記念館設立にも尽力。