2016年10月号
特集
人生の要訣
  • 上智大学名誉教授渡部昇一

幸田露伴が教える
運を引き寄せる要訣

明治から大正、昭和にかけて活躍した文豪・幸田露伴。代表作として知られる『五重塔』をはじめ、数々の小説を生み出す一方、『努力論』や『修省論』など、人生修養のための随筆を書き残している。それらの書を座右に置き、自身の人生に生かしてこられたという渡部昇一氏に、幸田露伴が説く人生の知恵を紐解いていただいた。

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我が人生最大の幸運

幸田露伴といえば文学者、小説家というのが大方の認識でしょう。確かに露伴には『五重塔』『天うつ浪』などの名作があり、明治の文学史に大きな位置を占める存在ではあります。しかし、それは露伴の一部にすぎません。これをもって露伴のすべてと思うのは、象の鼻だけを見て象の全体が分かったつもりになるのと同じです。

私が幸田露伴を初めて知ったのは、旧制中学2年生の時でした。教科書に随筆『長語』の一節が載っていたのです。だがその時は、なんだか回りくどくて難しい、というだけの印象で通り過ぎてしまいました。

露伴の小説も読むことは読みました。だが、これも読んだというだけのことで、感想はそれ以上でも以下でもありませんでした。

そんな私が露伴に邂逅、その神髄に触れることになるのは大学3年生の時です。いまから65年前のことになります。

きっかけを与えてくださったのは、教育学の神藤克彦先生です。その頃、神藤先生は大学のキャンパス内に住んでおられ、学生たちがしょっちゅうお邪魔していました。先生はいつも、「おお、上がれ上がれ」といった調子で迎えてくださり、それから夜更けまで談論風発となるのです。

ある時、何がきっかけだったのか、たまたま話題が幸田露伴に及びました。私は自分の貧弱な露伴体験を話すしかありません。すると、神藤先生はこうおっしゃったのです。

「そりゃあ、きみ、露伴なら何と言っても『努力論』だよ」

私は早速神田の古本屋に出向き、『努力論』を求めました。当時の私のなけなしの小遣いではかなり手応えのある値段でしたが、一読した時の感慨は忘れられません。これだ! という思いが垂直に胸に落ちてきました。

以来、『努力論』をはじめ『修省論』など、露伴の修養随筆は手放せないものになりました。読むたびに胸に響いてくるものがあります。胸に響く一つひとつは、まさに人生の要訣と呼ぶべきものです。あとはその実践あるのみ。その思い一つで、私はこれまで自分の人生を形づくってきたような気がするほどです。

もし、幸田露伴に出逢わなかったら、と考えます。私の物の見方考え方は、いまとは大分違っていたでしょう。それは、私の人生が全く違ったものになっていたということです。私の人生をいまに導いてくれた露伴の偉大さを思わずにはいられません。そして、私をそこに誘ってくださった神藤先生は、まさに恩師です。

露伴は若い頃、電信技手として北海道で働いていました。だが、文学への志止みがたく、仕事を辞め、なんと徒歩で上京、独学で驚くべき博学を身につけ、己の地歩を確立していった人です。

一方の神藤先生もすんなりと学者の道を歩んだ人ではありません。一度は家業に就いています。だが、やはり学問への思いに引かれて広島高等師範学校に入り直し、さらに広島文理科大学(旧制)へと回り道をされ、学問の世界の住人となりました。

お二人の似たような経緯の中での心の営みには、響き合うものがあったのでしょう。その交点に私が居合わせたことは、私の最大の幸運、と言えるかもしれません。

上智大学名誉教授

渡部昇一

わたなべ・しょういち

昭和5年山形県生まれ。30年上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。ドイツ・ミュンスター大学、イギリス・オックスフォード大学留学。Dr.phil.,Dr.phil.h.c.。平成13年から上智大学名誉教授。著書は専門書の他に『日本の活力を取り戻す発想』『歴史の遺訓に学ぶ』など多数。最新刊に『渡部昇一一日一言』(いずれも致知出版社)。