追悼

追悼
童門冬二氏

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    弊誌でもお馴染なじみの作家・童門冬二どうもんふゆじ氏が、2024年1月13日にお亡くなりになりました。享年96。「1年間は公表を控えてほしい」とのご本人の遺志を尊重し、弊誌は今号まで追悼文の掲載を差し控えてまいりました。

    童門氏は1927年東京生まれ。旧制中学卒業後、海軍飛行予科練習生(予科練)となり、特攻隊員として硫黄いおうとうへ赴く予定でしたが、出撃の機会がないまま終戦を迎えました。戦後は東京都庁に在籍。りょうきち知事の側近として都政を支え、1979年に知事の退任と共に都庁を退職しました。

    小説執筆は都庁勤務時代から始め、1960年には『暗い川が手を叩く』が芥川賞候補になりました。その後筆を折りますが、都庁退職と共に専業作家に。在職中の経験をもとに組織のあり方や人の生き方を歴史小説を通じて追求し、ベストセラーとなった『小説 上杉鷹山ようざん』をはじめ、数々の作品で脚光を浴びました。

    『致知』の編集方針に深い共感を寄せてくださった童門氏は、1983年2月号に寄稿いただいて以来、様々な有識者との対談を通じて歴史にもとづく貴重な指針を与えてくださいました。また、1993年10月号の「新代表的日本人 熊沢蕃山くまざわばんざん」からスタートした小説連載は、2023年9月号の「小説・徳川家康」最終話まで、回を重ねること実に30年。現代人が指標とすべき歴史人物の横顔を、深い洞察と軽妙な筆致でひもといていただきました。

    若い頃から心酔しんすいしていた作家太宰治の「かれは人を喜ばせるのが何よりも好きであった」という言葉を自らの信条とし、人を喜ばせたい一念で執筆に取り組んだ童門氏。「私の人生は『起承転々』、『結』というものがない」との言葉通りに、生涯現役で筆を執り続けました。

    折に触れ、弊誌に温かい応援メッセージをお寄せくださった童門氏には、2023年の創刊45周年に次のお言葉を賜りました。

    「私は常々『致知』は〝日本の良心〟だと思ってきました。不透明な時代の静かな懐中電灯、霧の中の心強い一灯として『致知』の照らす光が日本を支えています。(中略)五十周年、百周年と永遠に歩み続けられることを願っています」

    弊誌は童門氏のこの言葉を心に刻み、これからも人間学の一灯を掲げてさらに前進してまいります。

    生前の一方ならぬご厚情に感謝申し上げ、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。