2024年4月号
特集
運命をひらくもの
インタビュー③
  • 重茂漁業協同組合代表理事組合長山崎義広

98%の船を失った
漁師たちは、
なぜ海に出たのか

本州最東端の地・重茂半島(岩手県)で120年の歴史を刻む重茂漁業協同組合。わかめ養殖を中心に活況を呈したこの漁協は、東日本大震災で98%の漁船が流出する壊滅的被害を受けた。しかし、漁師たちの魂は死なず、運命を超克する復興を遂げた。現場で奔走してきた同漁協組合長の山崎義広氏の心にいま去来するものは。

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天の恵みは有限なり決して驕るなかれ

──事前にお送りいただいた資料を開くなり、〝本州最東端〟の文字と豊かな自然の眺望が目に飛び込んできて、心かれました。

私どもおも漁業協同組合は、三陸復興国立公園のほぼ真ん中に位置するこの重茂半島で、漁業法の施行された明治35(1902)年から歴史を刻んできました。いまは人口約1,300人に対して、475人の組合員がいます。
これは私どものキャッチフレーズですが、このへんの沖は寒流のおやしおと暖流のくろしおがぶつかるいい漁場で、世界三大漁場の一つです。わかめや昆布の生育に欠かせないしょうさんえんやリン酸塩などの栄養塩が豊富なので、昔から天然の海産物がよくれたんです。

──一番の名産は何になりますか。

昭和40年代以前は、それこそ天然のわかめや昆布、ウニやアワビがいっぱい獲れました。うちの漁協だけで、アワビを年間200トン水げしたという記録もあります。早くから大型定置網漁も始め、ぶりさけもたくさん獲れるようになりました。ただ戦後、学校の先生から第7代組合長になった西舘善平翁が、40年代からわかめの養殖を推進したんです。
「天然のわかめがあるのに、何で養殖するんだ」って反発の声もあったそうです。それでもがんとして譲らなかった。西舘組合長は後にこう書いています。
てんけいかいきょう】──天の恵みに感謝し、おごることをいましめ不慮に備えよ
「私たちのふるさと重茂は天然資源からの恵みが豊富であり、今は何ら不自由はないが、天然資源は有限であり、無計画に採取していると近い将来かつすることは間違いない。天然資源の採取を控えめに、不足するところは自らの研鑽けんさんにより、新たな資源を産み補う。これが自然との共存共栄を可能とする最良の手段である」

──いまでこそ天然資源の保全は世界の共通認識になりましたが、既に将来を案じておられた。

そう、60年近く前に。それで重茂の漁師は漁のかたわらわかめの養殖を勉強し、いまでは近隣にも広がって、国内産わかめのほぼ7割を三陸産が占めています。
わかめの収穫期は普通3~4月ですが、重茂では年明け1~2月の厳冬期に収穫を行います。これが肉厚の生わかめ「春いちばん」、重茂のブランド品です。しゃぶしゃぶにして食べると絶品で、人気なんですよ。定置網と養殖、この2つが重茂漁協の収入の柱です。

──地域一丸、海への畏敬いけいの念を絶やさずに営んでこられた。

「天恵戒驕」は漁協の精神そのものです。昨今は海の環境の変化もあり、漁は厳しさを増していますが、天然物がたくさん獲れた頃に将来を見据えて動いていたから踏み止まれているんです。

重茂漁業協同組合代表理事組合長

山崎義広

やまざき・よしひろ

昭和22年岩手県生まれ。岩手県立宮古水産高等学校増殖科を卒業後、重茂漁業協同組合(岩手県宮古市)に入組。副組合長を務めていた平成23年、東日本大震災で被災。30年重茂漁協第15代組合長に就任。(撮影=魚本勝之)