2024年11月号
特集
命をみつめて生きる
対談
  • 諏訪中央病院名誉院長鎌田 實
  • 臨床心理士皆藤 章

命をみつめて生きる

貧しい境遇にも屈せず医者となり、弱い立場にある人々のために力を尽くすと共に、国際医療支援や作家としても幅広く活躍する鎌田 實氏。日本を代表する臨床心理学者・河合隼雄氏に薫陶を受け、臨床心理士として人生に悩み苦しむ人々の心に寄り添い、共に歩んできた皆藤 章氏。生と死の現場で命を見つめ続けてきたお二人が実体験を交えて語り合う、私たちが生きていく意味、幸福な人生を送る要諦――。

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対談は、長野県八ヶ岳西麓にある大自然に囲まれた「カナディアンファーム」にて行われた。

自分の中には「3分の1の悪人」がいる

皆藤 鎌田先生、初めまして。きょうは、お目に掛かれることをとても楽しみにしておりました。

鎌田 こちらこそ、皆藤先生は日本を代表する臨床心理学者・河合かわいはや先生の愛弟子まなでしとのことで、お会いできることをとても楽しみにしていました。臨床心理士としての歩みをつづられた皆藤先生の新著『それでも生きてゆく意味を求めて』(致知出版社)も、大変興味深く読ませていただきました。

皆藤 ありがとうございます。

鎌田 本書を読み終えた時、感じたことが主に三つあるんです。
一つには、私は約50年前に諏訪すわ中央病院(長野県)に赴任して以来、地域医療にたずさわってきたんですけれども、患者さんに対して一・五人称と言いますか、「自分があなたの立場だったら」という言い方をよくしてきました。
例えば、かいせいだいどうみゃくりゅうになった80歳の方が手術をするかどうかの判断に迷っていた時には、「自分が80歳だったらこういう判断をします」と伝えました。皆藤先生の文章にも一人称と二人称、一人称と三人称の中間にあるような淡い表現がよく出てきますから、患者さんに向き合う自分のスタンスと似ていると感じたんです。
それから二つ目には、本の中に河合隼雄先生の「三分の一の常識人」という言葉が紹介されていますけれども、ああ、これは本当にいい表現だなって思いました。
というのも、私が高校3年生の春、「医者になるために大学に行きたい」と父にお願いしたところ、当時我が家は貧しくて母も病気でしたから、「バカ野郎! 貧乏人は大学など行かず働けばいい」と言われて一度はあきらめたんです。
でも、私には私の人生があるんだと諦められず、しばらくしてもう一度お願いしてみたのですが、また「バカ野郎!」といっかつされた。それで思わずカッとなり、父親の首を絞めてしまったんですよ。

皆藤 ああ、お父様の首を……。

鎌田 父が涙を流しているのが目に入り、「これはいかん」と手が緩んだことで大事に至らなかったのですが、その後、父は「俺はお母さんの面倒を見るので精いっぱいだから何もしてやれない。自分で考えろ。その代わりおまえは自由だ」と、医学部進学を許してくれたんです。
そういう経験があったからでしょうね。医者として患者さんのためにどんなに働いても、NPO団体を立ち上げてどんなに人助けを頑張っても、自分の全部が善なのではない、どこかに必ず悪がいるんだという思いがありました。

皆藤 自分の中にある悪の部分を自覚しながら生きてこられた。

鎌田 ですから、河合先生の「三分の一の常識人」の表現を読んだ時、自分の中に「三分の一の悪人」がいるんだと納得するものがありましたし、むしろその悪を知っているからこそ、これまで仕事を続けることができた、あるいは作家として多くの本を書き続けることができたのかなって……。
河合先生が、自分の中にいる「三分の一の常識人」によって世の中を生きていくことができたとすれば、私の場合には「三分の一の悪人」が表に出ないようにすることが、働くことであり、生きることだったのかもしれません。

皆藤 河合先生からこの「三分の一の常識人」の言葉を伺った時、私もいい表現だと思いました。全部でも半分でもなく三分の一だからこそ、自分の個性を十分に発揮しつつ、世の中の常識、ルールにのっとって生きていけるわけです。

鎌田 ええ、本当にうまいことをおっしゃったなと。これが「二分の一の常識人」だったら、きっと模範的ではあってもつまらない人間になるでしょうし、私も「二分の一の悪人」だったら、いま頃どうなっていたか分かりません。

諏訪中央病院名誉院長

鎌田 實

かまた・みのる

昭和23年東京都生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の公立病院・諏訪中央病院に勤務。63年39歳で同病院院長に就任。地域一体型の医療に携わり、長野県を健康長寿県に導く。平成17年より名誉院長。また日本チェルノブイリ連帯基金と日本・イラク・メディカルネットを創設し軌道に乗せ、現在は顧問。国際的な医療支援の取り組みで、読売国際協力賞、日本放送協会放送文化賞を受賞。近著に『鎌田實の人生図書館』(マガジンハウス)『鎌田式 長生き食事術』(アスコム)など。

何もしないことに全力を注げ

鎌田 三つ目には、皆藤先生は患者さん、クライエントさんに向き合いながら、時にご自身も悩み苦しみ、師の河合隼雄に相談するというな体験をなさっていますね。その皆藤先生の体験談を通して、よき方向に向かったり、悪い方向に引っ張られたり、つかみどころのない人間の心の複雑さ、人間が生きる上で大切なものが、おぼろながらも見えてくるような気がするんです。
先生はご著書に、現代は「分断と孤独の時代」だと書かれていますけれども、まさにそういう不安な時代においては、やはり一人ひとりが自分の心に目を向け、向き合っていくことが求められると思うんですよ。ですから、先生の本は心理学者、臨床心理士など専門家だけではなく、ぜひ一般の方に広く読んでほしいと思いました。

皆藤 そもそも私がこの本を書こうと思ったのは、年齢的なものもあって、これまで自分が臨床心理士として学んできたことを専門家というより次世代の人、一般の人たちに伝えたいという気持ちが強くなってきたからなんですよ。
私は臨床心理士として多くのクライエントの方に向き合うと共に、30年くらい大学に籍を置いて研究をしてきたのですが、60歳を迎える前に本当に自分がやりたいことは何だろうかという思いが募ってきましてね。「もういいや」と定年前に大学を辞めたんです。

鎌田 ああ、早期退職された。

皆藤 ところが、お世話になっていた医療人類学の大家であるハーバード大学のアーサー・クラインマン先生に大学を辞めることを伝えたところ、「しばらくアメリカに来て好きなことをしたらどうだ」とおっしゃってくださいまして、2018年から約1年、ハーバード大学客員教授としてボストンで過ごすことになりました。
ただ、「ハーバードで何をしてきたんだ」と尋ねられても、うまく答えられないんですよ。事実、具体的にこれを研究したということはなくて、ただひたすら60歳を迎えた自分自身を見つめ直していたという感じでした。しかし結果的にはその何もしない時間、自分自身を見つめ直す時間が、自分のこれまでの歩み、学んできたことを一冊にまとめてみたいというエネルギーにつながったんです。
河合先生から「何もしないことに全力を注げ」と言われたことがあるのですが、今回の出版を通じてその言葉の意味がよく分かりました。人間が生きる上では、何もしない時間、じっと自分と向き合う時間も必要なんです。

鎌田 何もしない時間にも意味がある。おっしゃる通りですね。

皆藤 また、鎌田先生は私の文章について一・五人称だとおっしゃってくださいましたけれども、この本は「私だったら」ではなくて、「あの人だったらどう思うだろう」「あの人だったらどう読むだろう」ということを常に思い描きながら書きました。ただ、相手の心に寄り添うような一・五人称の感覚で自然に文章が書けたのは、やはりこの齢になったからできたことだと思うんです。齢を重ねて初めて分かること、できることがある、そのことも実感しました。
まあ、「私はこうだ」という表現が少ないので、担当編集者の方には「この本には解決策が書かれていません」と言われましたけれども(笑)。むしろ、それは私にとって最高のめ言葉なんです。
ぜひこの本を通じ、私が考える〝生きてゆく意味〟ではなく、それぞれの〝生きてゆく意味〟を見つけてくださればと願っています。

臨床心理士

皆藤 章

かいとう・あきら

昭和32年福井県生まれ。52年京都大学工学部入学。3年次に京都大学教育学部転学部。61年京都大学大学院教育学研究科博士後期課程研究指導認定。大阪市立大学助教授、京都大学助教授などを経て、平成19年より京都大学大学院教育学研究科教授。30年4月からハーバード大学客員教授に就任。現在、奈良県立医科大学特任教授。文学博士。臨床心理士。著書に『それでも生きてゆく意味を求めて』(致知出版社)。