2017年10月号
特集
自反尽己じはんじんこ
対談
  • 雀鬼会会長桜井章一
  • 将棋三冠羽生善治

負けない生き方

片や将棋界初の七大タイトル全制覇を成し遂げた最強棋士。片や麻雀代打ちで20年間無敗の伝説を持ち雀鬼と恐れられた男。2人はいかにして勝ち続けてきたのか。熾烈な勝負の世界を生き抜いてきた天才、奇才に、各々の摑んだ勝負哲学を語り合っていただいた。

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    油断してねぇなこの人

    桜井 いやぁ、きょうは出だしから1本取られちゃったなぁ(笑)。まさかそこに座ってるのが羽生さんだったとはねぇ(笑)。

    羽生 はははっ、致知出版社の編集者さんのふりをしていました(笑)。

    桜井 そう、僕はてっきり編集者の方だと思い込んで、気づかなかった。ごめんなさいね(笑)。
    僕もいろんな将棋の方にお目にかかってきたけど、羽生さんはやっぱり何か違う。「油断してねぇな、この人」っていう感じ。いつも穏やかに笑っているけど、将棋のバックボーンとなる普段の日常生活にも油断がないなって。きょうもやられちゃったけどね(笑)。
    そういう人って珍しいですね。当然将棋で油断はしていないだろうけど、そうじゃないところにも油断がないんだよね。かといってグッと考えてるとかじゃなくて、飄々としている。僕なんかバカだからすぐ出ちゃうじゃない、自分の中にある気迫とかさ。でも羽生さんの場合、本当に飄々としてるから、たぶん電車に乗っていても、まさかこんなすごい人が乗っているなんて、誰も気づかないんじゃないかな。

    羽生 普通にサラリーマンで通用するはずです(笑)。

    桜井 紛れ込めちゃうんだ(笑)。
    僕はまだ子供の頃、父親が十四世名人の木村義雄さんと親しくて家族付き合いをしていたから、将棋というものがあるっていうことだけは知っていました。でも、まさかそれから何十年もして、現代の名人が会いに来てくださるとはね。それからとてもフランクにお付き合いさせていただいてるけど、これも何かの繋がりかなと思っていますよ。

    羽生 私はたぶん桜井さんのことを、自分が21、22歳の頃から知っていたんですが、なかなかお目にかかる機会がなくて、やっと対面を果たすことができたのは20年くらい経ってからでした。

    桜井 そんなこと言ったら、僕は15、16歳の頃の羽生さんのことも知っていますよ(笑)。

    羽生 初めて桜井さんの道場に伺って、いろいろお話を聞かせていただいたあの日は、すごく緊張した記憶があります。

    桜井 嘘ばっか(笑)。最初からこんなふうに打ち解けてたじゃないですか。
    とにかく羽生さんは、全く別の世界で生きてるのにお話の一つひとつにいちいち意気投合できる。誰に対しても合わせるのがうまいからね。僕みたいなのは合わせにくい男だと思うんだけど、それでも合わせてしまう人なんですよ。

    雀鬼会会長

    桜井章一

    さくらい・しょういち

    昭和18年東京都生まれ。大学時代に麻雀を始め、裏プロとしてデビュー。以来、代打ちとして引退するまで20年間無敗、「雀鬼」の異名を取る。引退後は「雀鬼流麻雀道場 牌の音」を開き、麻雀をとおして人間力を鍛えることを目的とする「雀鬼会」を主宰。著書に『負けない技術』(講談社)など多数。最新刊に『桜井章一 勝運をつかむ100の金言』(致知出版社)。

    その時、その時をちゃんとやる

    羽生 私は対局で1年中全国を飛び回っていて、あれ以来、桜井さんには時々滞在先にお電話をいただくんですが、お話をしていると、何かもう対局の結果を分かっていらっしゃるように感じるんですよね。そして、私があるタイトル戦で負けた時には、負け方がよかったと言ってくださいました。こんなことを言ってくださる方は他にいませんから、結構嬉しいんです。

    桜井 羽生さんは、20代からずっと第一線で活躍し続けておられるじゃないですか。それは実力だけでも運だけでもできることじゃない。そこには何かがなければ絶対に成せないことですよ。
    いま、たまたま若い棋士が連勝を続けて騒がれているけど、じゃあその子が今後もずっと輝き続けるかっていうのはまた別の話ですよね。ましてや今後は時代も変わってきて、将棋がこれまでのような形で指されるかどうかも分からない。人が指した足跡を追うんじゃなくて、機械が導き出したものを参考にしてやるようになってしまったら、それは本当の勝負と言えるのかどうか。
    最近は、スマホさえあれば仕事でも何でもできるなんてバカなことを言ってるやつがいるけど、そうなってしまうと、人との接触がなくなってしまうじゃないですか。
    羽生さんは何時間も対局者と接触するわけで、その中で自分の心身も変化するし、相手の心身も変化する。単に将棋の指し手だけじゃなくて、そういうところも勝負の中に入っていると思うんです。そういう面で、羽生さんの場合は何か他の人よりも余分に持っているものがあるんじゃないですか。そこが大切なんでしょうね。

    羽生 ただ、私が師匠のところに入門したのは小学校6年生の時でしたけれども、その時は特に志を持って棋士を目指したという感じではなかったんです。最初は缶蹴りをやったりラジコンをやったり、子供がやる遊びの中の一つで将棋を覚えたんですけど、それをたまたま熱中して続けるようになったわけで、一つの巡り合わせですよね。ですから入門する時もただ漠然と、好きな将棋を続けられたらいいなというのが最初でした。
    ところが入門すると奨励会っていうプロの養成機関に入るんですけど、そこには年齢制限というものがあって、20歳までに初段、25歳までに四段にならないといけないんです。ですから、それを果たせなかった人がどんどん去っていくんですよ。さすがにそういう姿を見ていると、あまり遊び半分でプラプラやっていてはいけないんだなと、小学生なりに思いました。

    桜井 羽生さんの周りにはきっと、たくさんの子供たちが必死に将棋をやっていたと思うんですよ。でも羽生さんの場合は、それを通り越した余裕のようなものを若い時から持っていらっしゃったんじゃないですか。対局中にピンチに陥って、これはまずいなと思いつつも、どうにかなるんじゃないかなという余裕。そういうものを持ち合わせていないと、こんなに長く活躍できないでしょう。棋士になってどれくらいになりますか、羽生さんは。

    羽生 気がついたらもう32年です(笑)。

    桜井 そんなに長い間一線で活躍し続けている人は、羽生さん1人でしょう。

    羽生 でも、先日引退された加藤一二三先生は、現役生活63年ですから、私はやっとその折り返し時点に達したばかりなんです。あと30年頑張れって言われたら、さすがに気持ちは萎えますよ(笑)。

    桜井 羽生さんほどのことをやってると、同じことはもう二度とできないよっていう気持ちに当然なるでしょうね。その時、その時をちゃんとやっているから、その一つひとつをもう1回やれと言われても難しい。羽生さんの場合は、周りの期待もすごく高いから、それにずっと応え続けるというのも大変なことだと思いますよ。

    将棋三冠

    羽生善治

    はぶ・よしはる

    昭和45年埼玉県生まれ。6歳で将棋を始める。小学6年生で二上達也九段に師事し、奨励会(プロ棋士養成機関)に入会。中学3年生で四段となり、史上3人目の中学生プロ棋士に。平成8年七大タイトルを独占し、史上初の七冠に。現在、7イトル戦のうち6つで永世称号の資格を保持。通算タイトル獲得数単独1位。著書に『決断力』(角川書店)など多数。