2021年5月号
特集
命いっぱいに
生きる
対談
  • (左)のらねこ学かん代表塩見志満子
  • (右)おせっかい協会会長高橋 恵

誰かのために生きる時、
人間の命は輝く

共に弊社刊『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』に登場された塩見志満子さんと高橋恵さんの人生は、幼少期から試練の連続だった。しかし、その試練を糧に力強く生きる中で、2人は誰かの幸せのために生きる中にこそ、人生の真の喜びがあることを知る。塩見さん85歳、高橋さん79歳。いまなお縁ある人たちのために命いっぱいに生きるお2人に、これまでの歩みを語り合っていただいた。

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紙切れのような話でも人の心を救うことができる

塩見 今朝、娘にね、「これから松山のホテルで『致知』の取材があるけど、私、何の役にも立たん」と話したら「お母さん、一人じゃないでしょう」って。「うん。一人じゃないよ。対談のお相手の高橋恵さんというおせっかい協会の方がいい話をされるから大丈夫」と答えたんですけどね(笑)。

高橋 いや、とんでもありません。私こそ塩見さんとお会いして、お話が聞けるのをとても楽しみにしてきました。
塩見さんのことを知ったのは致知出版社から出ている『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』を通してでしたけど、2人の息子さんを亡くされるという大変な状況を、よく乗り越えて歩んでこられたと思うと涙が止まりませんでした。

塩見 私もこの本で高橋さんの歩みを知って、戦後の大混乱の中、たった1人で3人のお子さんを育ててこられたお母様のご苦労に思いをせていたんです。

高橋 この本に紹介されている365人にはいろいろなドラマがありますよね。本の値段を365で割ると、一人の話は10円にも満たないのですが、一枚の紙切れのような私の話でも、読む人に力を与え、人を救うことができると思うと本当に嬉しいし、素晴らしい本に出合えたという思いですね。だから50冊、60冊と買って、全部私のコメントを書いていろいろな方に送っているんです。

塩見 私はいま、この本を台所に置いて、朝、パッと開いたところを読んで「よし、きょうはこの話を心に刻んでいこう」と決意しています。私も「この本を指針にしてくれるだろう」と思う人たちにプレゼントしていますが、皆とても喜んでくれますね。それで「私はあなたにしかあげられなかったけど、あなたはどうぞ若い人たちにプレゼントしてくださいね」とお願いして渡しています。
ありがたいのは「岩手です」「秋田です」「北海道です」と、『致知』やこの本を読まれた見ず知らずの全国の方がお電話やお手紙をくださるんです。わざわざ愛媛の西条さいじょうまで訪ねてくる方もいらっしゃいます。そういう方に接していると「こういう人がこの国を守ってくださるんだな。こんな私でも少しは人の役に立てたんだったら、よかったかな」という気持ちになりますね。

おせっかい協会会長

高橋 恵

たかはし・めぐみ

昭和17年生まれ。短大卒業後広告代理店に勤務。同社を結婚退職後、2人の娘の子育てをしながら様々な商品の営業に従事し、トップセールスを記録。60年42歳の時にサニーサイドアップを設立。現社長の長女・次原悦子と高校時代の友人・松本里永を巻き込んで始めた同社は現在東証一部に上場。平成25年おせっかい協会を設立。著書に『あなたの心に聞きなさい』(すばる舎)。5月に新刊『営業の神様が笑う時』(秀和システム)を刊行予定。

できることをできる人がやればいい

高橋 塩見さんが運営されている「のらねこ学かん」は知的障碍しょうがいのお子さんなどが通う通所施設だと聞いていますけど、設立されてどのくらいが経つのですか?

塩見 私が60の時だから25年になりますね。その頃、私は高校の体育の教員から養護学校の教員になっていたんです。学校を出ても行くところがない子供たちのために自分に何かできることはないかと思って、退職後に小さな木造の建物ですが「のらねこ学かん」をつくりました。
私は365日、24時間、障碍のある子供たちを見守る親御さんには足元にも及びません。「こういう立派な親なら、障碍のある子も一生見てくれるだろう」と思って神様はああいう子を授けられるんだろうな、神様仏様の眼鏡にかなった人たちなんだろうなと思いながらいつも接しています。そういう親御さんのために少しでも力になれたらという思いで、これまでやってきました。
通ってくるのは地元の子が中心ですけど、最近では話を聞いて日本中からいろいろな方が訪ねてこられるようになりました。そういう方は学かんに一泊されますから、夜遅くまでお母さんに対する思い、お父さんに対する思いを聞かせていただいて、「あなたのために、私がこれから生きている間にできることは何かな」と言いながら、お付き合いをさせていただくのがいまの仕事なんです。

高橋 私もアメリカに住むめいっ子が目の見えない子を授かっていますから、「人間は定められたところに生まれてくる」という塩見さんの思いにとても共感します。私と似たような活動をされ、同じような考え方をされる方に、きょうこうしてお会いできてとても光栄です。

塩見 ありがとうございます。近所のお年寄りの中には、夕方になると学かんにやってきて「きょうも一日つらくて笑いませんでした。だから先生、私を笑わせてください」と言う人がいます。「一緒に泣きながら笑いますか?」と言うと「ありがとう」とおっしゃって、2人で近所に聞こえるくらいの大声で笑って一日が終わるんですけどね。そうすると「私もまだ人間として生きる価値はある」と力が出てきます。

高橋 私たちの「おせっかい協会」も塩見さん同様、損得を考えず、何の見返りも求めないで困っている人たちの力になって差し上げることを大切にしています。どんなに体が不自由であろうが、生活が苦しかろうが、人は皆幸せになる権利があり、皆で支え合って生きていかなくてはいけないという考え方を広めるために、2013年に協会を設立しました。
いまでは全国に「おせっかい」の仲間が随分増えて清掃やイベント、地域の支援活動などを続けていますが、私はいつもは東京・中野にあるマンションの一室をサロンとして開放して、悩める多くの方の声に耳を傾けています。私自身、貧乏や破産、いじめ、離婚、一方では営業でトップになったり、娘と起業したPR会社を大きくしたりと人生のフルコースを歩いてきた人間ですから、そういう私の話を聞いて、少しでも皆さんが元気になってもらえたらという気持ちで、79歳のいまも活動を続けているんです。だけど、85歳の塩見さんとこうしてお話ししていると、自分はまだまだだなと思ってしまいます。

塩見 そんなことありません。私の信条は、できることをできる人がやればいいということ。できないことを無理にやっていたら続きません。楽しく笑いながら、毎日その仕事に向き合っていく。そうしていけば死ぬまで続けられると思って生きているんです。

のらねこ学かん代表

塩見志満子

しおみ・しまこ

昭和11年愛媛県生まれ。日本女子体育大学卒業後、東京都立中学校、愛媛県立高校、同養護学校で教師を務める。退職後、自宅横に知的障碍者が集える「のらねこ学かん」を設立。講演などを続けながら運営に当たる。