2022年8月号
特集
覚悟を決める
対談
  • 東洋思想家(左)境野勝悟
  • 下掛宝生流ワキ方能楽師(右)安田 登

松尾芭蕉の歩いた道

俳聖・松尾芭蕉。若き日、武士として生きることを諦めて俳諧を生業とすることを決め、その後、命懸けの漂泊の旅を通して俳諧を道として突き詰めていった芭蕉の歩みは、毎日が覚悟の連続だったといってよい。長年、禅の立場から芭蕉を探究、今年(2022)卒寿を迎えた境野勝悟氏と、能楽という視点で芭蕉の本質を追究してきた安田 登氏に、芭蕉の生き方や、その求めた世界について縦横に語り合っていただいた。

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「おくのほそ道」の旅が心を前向きにさせる

安田 人生の大先輩である境野先生と対談するのは二度目ですか、お聞きしたところでは90歳になられたとか。いやぁ動きは俊敏だし、声にも張りがあり大変お元気でいらっしゃる。

境野 おかげできょうも神奈川の大磯から電車とタクシーを乗り継いで上京してきました。もう、この年ですからいずれ遠くないうちに人生に終止符を打たなきゃいけない時が来るでしょうし、いつお迎えが来てもおかしくない身ではあるのですが、とにかくいまは一瞬一瞬を悔いのないように精いっぱい生きていきたいと思っておりましてね。
だけど、年をとるのはいいことですよ。きょうのテーマである松尾芭蕉にしても、この年になって分かってきたことがたくさんあるんです。

安田 そうですか。それは素晴らしい。きょうの対談も有意義なものになりそうですね。

境野 前回対談させていただいた時に安田先生が芭蕉をお好きだと知って大変共感を抱いたのですが、先生はそもそもどういうきっかけで芭蕉に魅せられるようになられたのですか。

安田 実は大学で中国文学を学びましたので、若い頃、芭蕉にはあまり関心がありませんでした。きっかけとしては10年以上前、引きこもりやニートといった人たちを元気にするためのNPOの活動にたずさわるようになったことですね。このNPOは戦前からありますが、成人した人たちには従来のやり方ではうまくいかなくなったというので私にお声が掛かったんです。
1年間、いろいろと模索する中で、ふと「これは芭蕉の生き方をお手本にしたらいいのではないか」と思って「おくのほそ道」を一緒に歩くようにしました。1日約8時間、俳句や連句をつくったりしながら1週間から10日間ほど歩きます。最初に東京から日光まで歩いたとしたら、次に行く時は日光からスタートして白河の関方面に歩くというように少しずつ積み上げて、これまでに山形のさんざんまで歩きました。

境野 ほう。どのくらいの人が参加するのですか。

安田 自由参加で多い時は20人ほど、少ない時は10人以下でしょうか。年齢も幅広く小学生から50代。40〜50代の人の中には、30年間、ほとんど外に出ていない人もいます。ところが、歩く中で参加者の表情は明るくなり、人生を前向きに生きようという思いにあふれた俳句が次々に生まれる。結果として引きこもりをやめる人が少なくないんです。
芭蕉は那須のぎょうやなぎを訪れた時に道に迷っています。面白いことに、私たちも遊行柳で3グループすべてが道に迷うという体験をしました。そんな類似した体験もあって皆、一層『おくのほそ道』に関心を抱きました。私が芭蕉に魅力を感じたのは、このように引きこもりの人たちと芭蕉の足跡を一緒に辿たどりながら、その変化を肌で感じるという喜びの経験がとても大きいですね。

東洋思想家

境野勝悟

さかいの・かつのり

昭和7年神奈川県生まれ。早稲田大学教育学部卒業後、私立栄光学園で18年間教鞭を執る。48年退職。こころの塾「道塾」開設。駒澤大学大学院禅学特殊研究博士課程修了。著書に『日本のこころの教育』『源氏物語』(共に致知出版社)『芭蕉のことば100選』『超訳法華経』(共に三笠書房)など多数。

芭蕉の句が伝える永遠のいま

境野 私の場合、芭蕉と出会ったのは学生時代、国文科で卒業論文を書くのに芭蕉を選んだ時でした。いつまでも芭蕉を勉強するつもりはなかったのですが、2年ほど後に、禅を西洋に紹介したことで知られる鈴木だいせつ先生の本を読んでいたところ、そこに有名な、
古池やかわずとびこむ水のをと
の句についての解説がありました。この句は自然界の静寂をんだものだと学校で教わってきました。だけど、鈴木先生の解説を読んで驚きましたね。芭蕉が禅の師匠であるぶっちょう和尚から「人生とは何か」と問われた時に「古池や蛙飛こむ水のをと」と答え、和尚は「よし」と言ったというんです。
なぜ「よし」と言ったのかというと、私たちは貴重な人生を生きて、いろいろな活動をしたり楽しんだりするけれども、永遠の時間から見ると、ポチャンという間にすぎないんだと。私はその句に込められた意味を知って胸打たれ、芭蕉の偉大さを思い知りました。
それまでも私は先輩のご指導によって坐禅を組んでいましたが、この時、禅という視点で芭蕉の世界、哲学性をもっと深く勉強してみたいという思いに駆られました。

安田 中国のとうが人生の老病死を「だんの間(指を弾く間)」にたとえていますが、まさにそのポチャンですね。

境野 そうです。90年という私の人生は長いはずなんだけど、過ぎてみると非常にアッという間ですね。芭蕉のこの俳句の迫力は年をとるほど分かってきます。
だけど、この年になっても、ともすると人生の過程でいろいろな人にお世話になったことを忘れて、いまだけに生きちゃうんですよ。ご指導をいただいたり、ご叱責しっせきを受けたり、多くの出会いの中で今日まで歩むことができたことを毎日毎日確認していかないと、本当にポチャンで人生が終わっちゃう。

安田 いまの「古池や」の句に関連して申し上げますと、この句で詩的な感興が起こるのは「水のをと」という言葉だけだと思うのです。古池だけではいきいきした句はできませんし、蛙が水に飛び込むのを見ても句にはなりません。ここで興味深いのは、ポチャンという水の音を聞いた芭蕉が、なぜ蛙だと分かったのかということです。だってポチャンという音を聞いてそちらを見ても何もないわけでしょう?
実はこれこそが芭蕉のしんこっちょうであり、彼はこれを自分で「ふうまこと」と言っています。芭蕉は「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」と言っていますが、松を詠もうと思ったら、松を観察するのでなく、松と一体化しなくてはいけない。これが「習う」の意味です。
つまり、芭蕉はこの句の中で古池と一つになっていた。古池である彼自身の中に蛙が飛び込んできたので、蛙と直ぐに分かったのでしょう。これはの「けんけん」という言葉とも通じるものがありますね。役になり切る自分と、離れた場所から冷静に見ている別の自分とが同時に必要であり、俳句にもそれが言えると思います。

境野 その通りですね。そのものと一つになるのは修行すればできるようになるんですよ。だけど、それを抜けるのが難しい。芭蕉は対象と一つになる境地から一歩抜け出ている。だから、あれだけの句がつくれたんですね。

安田 世阿弥もそこが大変だと言っています。能の場合、対象になり切るとひょうされるのと同じになってしまいますので、芸能でなくなるんです。

境野 私は長い間、一瞬にして終わってしまうのが人生である、生きていても大したことはないくらいに思っていましたが、85歳を過ぎたあたりから、いや、そうではないと。人間として生きていることは大変な奇跡なんだ。そんな奇跡の中で、自分は贅沢ぜいたくにも素晴らしい仕事をさせていただいているじゃないか。一瞬の命だからこそ大事にしていかなくてはいけないと強く思うようになりました。「古池や」の句は私にそのことを教えてくれたんです。

下掛宝生流ワキ方能楽師

安田 登

やすだ・のぼる

昭和31年千葉県生まれ。高校教師時代に能楽と出合い、ワキ方の重鎮・鏑木岑男師の謡に衝撃を受け27歳で入門。現在は、ワキ方の能楽師として国内外を問わず活躍し、能のメソッドを使った作品の創作、演出、出演などを行う。『身体感覚で「論語」を読みなおす。』(新潮文庫)『NHK100分de名著 平家物語』(NHK出版)『野の古典』(紀伊國屋書店)など著書多数。最新刊に『魔法のほね』(亜紀書房)。