2016年8月号
特集
思いを伝承する
インタビュー②
  • 中村中学校・中村高等学校前校長梅沢辰也

全員レギュラー
補欠は一人もいない

ポテンシャル入試の導入や生徒同士の学び合いの場を創り出すなど、その取り組みが全国から注目を集める、女子進学校の中村中学校・中村高等学校。東京都江東区内にあって100年以上の伝統を持ち、完全中高一貫校でもある同校の改革を先頭に立ってリードしてきた第十代校長の梅沢辰也氏に、その取り組みとともに受け継ぎし思いについて語っていただいた。

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地域や社会に開かれた学校

──御校は創立から100年を超える伝統校ですが、梅沢先生が校長に就任された平成22年以降、様々な改革を実施してこられたとお聞きしています。

おかげさまで最近になって随分注目していただけるようになりました。昨年(2015年)からは教育改革「ZERO・1」と称して入試にもメスを入れるなど、さらに改革を推し進めてきました。
ただ私個人の立場としては、校長として2期6年が終わったところで、理事長及び理事会から次の人にバトンタッチしましょうというお話をいただきましてね。これまでずっと一緒にやってきた副校長が、今年(2016年)4月から校長に就任しています。

──では梅沢先生はいまどのようなお立場なのですか?

学校を辞めるという選択肢もあると思いますが、改革の先頭に立ってやってきたからには、きちんと見届けることが職務を全うすることではないでしょうか。ですから、いまは一教師として保健体育の授業を受け持って教育改革の具現化に努めています。正直、私もちょっと動揺していますが、生徒も困りますよね(笑)。
学校としてはいまの流れを踏まえつつやっていこうということですので、保護者の方々や塾関係者には、学校の方針は変わらず、私の仕事が変わっただけですよ、とお伝えしてあります。

──ではこれからも改革は進められていくと。

ええ。これまでの改革を通じて、中村の一番の特徴となっているのが、学校に入ってこられる外部の方の数が尋常ではないということです。中村は女子の進学校なので、普通だったらセキュリティの観点から閉鎖的にしてしまうと思うんですよ。
でも中村はこの深川の下町で百年以上の歴史を持ち、しかも創立90周年の記念事業としていまの校舎を建てた際に「地域や社会に開かれた学校」というコンセプトをつくっていたんですね。ですから、私はコンセプトをつくった以上は、きちんと実行すべきだという考えのもとに、一教員時代からいろいろな仕掛けをしてきました。
例えば紅葉が綺麗な時期になれば校舎の7階を開放したり、正月に地元で行われる深川七福神巡りの時にはお茶やお菓子をお出しして吹奏楽部が演奏したりと、積極的に外部の方が入ってこられるようにしています。街の方々の推薦で学校前の区道を「清澄庭園・中村学園通り」と命名もしていただきました。

──どんな意図があるのですか。

一番は先生方のためですね。学校の先生というのは忙しくて、しかも教室に入れば大人1人対生徒という環境になり、内向きな仕事が多いのです。ところが授業を受けている生徒たちが出ていくのは、そういう世界では全くない。人の入れ替わりも激しいわ、まさに生きるか死ぬかの世界ですよ。ですからそういった世界に生きる方々との繋がりが、先生には必要なのです。
15年ほど前には「おやじの会」を立ち上げて、お父さん方が学校に来やすい環境もつくってきました。以前からPTA活動は母親の参加が中心であり、学校の中に父親の姿がなかったので、父親も巻き込もうとしたのがきっかけでしたが、外の世界で戦っている方の話を直接聞けるわけじゃないですか。そういった方々を通じて世の中の流れを掴めるのも我われにとって大きなことです。
このように中村には地元をはじめ多くの方に来ていただいていますけど、いつの日かそれが何らかの形で学校に返ってくるのではないか、という感じはしていますね。

中村中学校・中村高等学校前校長

梅沢辰也

うめざわ・たつや

昭和35年東京都生まれ。57年日本体育大学卒業。55年6月から八王子実践高等学校バレー部コーチ(全国優勝2回)、58年4月からダイエーオレンジアタッカーズの監督&全日本ジュニアコーチを務める。60年4月に中村中学校・中村高等学校で保健体育科教諭として奉職。12年間バレー部の監督を務める(全国3位を2回)。平成22年4月から第10代校長及び理事に就任。28年4月より同校で一教師として生徒とともに学んでいる。