2026年5月号
特集
人を育てる
対談
  • 東京科学大学総合研究院特任教授・栄誉教授大隅良典
  • 日本電子相談役栗原権右衛門
科学技術立国

日本のいしずえ
人づくりにあり

細胞内のたんぱく質の分解・再利用に関係する「オートファジーの仕組みの解明」により、2016年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典氏。電子顕微鏡などの分野で世界シェアトップを誇り、「ノーベル賞の影の立役者」とも称される日本電子を牽引してきた栗原権右衛門氏。日本の科学技術力の停滞が叫ばれる中、いかに科学技術立国・日本を甦らせていけばよいのか──。両氏の実践と提言から、その道筋、新たな時代を開く人づくりの要諦を学ぶ。

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    東京科学大学総合研究院特任教授・栄誉教授

    大隅良典

    おおすみ・よしのり

    1945年福岡県生まれ。1967年東京大学教養学部基礎科学学科卒業。1974年東京大学農学部農芸化学科研究生理学博士取得、米国ロックフェラー大学研究員。岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所教授、東京工業大学(現・東京科学大学)統合研究院フロンティア研究機構特任教授などを歴任。2014年より東京工業大学栄誉教授、2017年より東京工業大学科学技術創成研究院 細胞制御工学研究センター特任教授。2025年より現職。2016年「オートファジーの仕組みの解明」により、ノーベル生理学・医学賞を受賞。

    日本電子相談役

    栗原権右衛門

    くりはら・ごんえもん

    1948年茨城県生まれ。1971年明治大学商学部卒業後、日本電子入社。取締役メディカル営業本部長、常務取締役、専務取締役を経て2007年副社長、2008年社長。2019年6月より会長兼最高経営責任者、2022年6月より会長兼取締役会議長。日本の産業振興に貢献した功労により、2023年秋の叙勲において「旭日中綬章」を受章。2024年より相談役。

    基礎研究の発展に力を尽くす

    栗原 当社は、電子顕微鏡(光学顕微鏡の100~1,000倍、高精細の像を表示する)や物質の分子構造を原子レベルで解析する核磁気共鳴装置(NMR)などを開発・販売していることもあって、科学者の方と交流する機会が多いんです。
    大隅おおすみ先生とのご縁も、先生が当社の電子顕微鏡を使ってくださっていたことがきっかけでしたね。

    大隅 ええ、そうでした。

    栗原 特に先生が「オートファジーの仕組みの解明」でノーベル生理学・医学賞を受賞(2016年)されてから、親しくお付き合いさせていただくようになりました。その翌年に設立された大隅基礎科学創成財団の理念、考え方にも大いに共鳴して、微力ながら応援させていただいてきました。
    日本の基礎研究、科学基盤の発展に寄与するという財団の理念は本当に素晴らしいと思います。
    また、ノーベル賞を受賞した先生が当社にいらっしゃった際には、記念の植樹をしていただいているのですが、大隅先生にも2020年にモチノキを植えていただきましたね。

    大隅 財団を設立して今年(2026年)でちょうど10年になりますが、日本電子、栗原さんは、最初からずっと財団のサポーターとして応援してくださって本当に感謝しています。
    日本電子のように、様々な製品や支援を通じて、これだけしっかり研究者、基礎研究を支えている日本企業はそれほど多くはありません。そういう意味で、私は日本電子のファンの一人です。

    栗原 そう言っていただけて本当に光栄ですし、励みになります。
    当社は2019年に創業70年の節目を迎え、「70年目の転進」をビジョンに、新事業や新技術の開発、探索に注力してきました。創業以来の事業である電子顕微鏡は、世界でも2、3社しか製造していませんが、市場としてはそれほど大きくありません。ですから、電子顕微鏡を核にそこから派生する技術をいかにつくっていくかが大きな課題なんですね。
    例えば、半導体製造の要となる電子ビーム描画装置や金属粉末を溶かして様々な立体物を造形する電子ビーム金属3Dプリンターなどの最先端技術は、これから大きなマーケットに成長していくことが予想されます。引き続き祖業を大事にしながら、科学者の方々が求められる技術に果敢に挑戦し、日本、世界の科学技術を支えていきたいと思っているところです。

    大隅 私は大学に勤めて半世紀以上になりましたから、だんだん研究室の規模も縮小しているのですが、やはり気になるのは日本の基礎科学、基礎研究の問題です。
    後から詳しく触れますが、近年の日本では、目先の役に立つ研究、すぐに結果の出る研究が求められるようになり、特に若い研究者たちが自由に生き生きと基礎研究に向き合うことができなくなってきているんです。財団を立ち上げたのも、まさに日本の若い研究者を取り巻く状況を何とかしたいという危機感からでした。
    私もいつまで続けられるか分かりませんが、日本の科学技術のため、若い世代のため、これからもこの財団の運営に力を尽くしていきたいと思っています。

    2020年1月、日本電子昭島本社にて記念植樹を行う大隅氏と栗原氏

    科学の世界に導かれて

    栗原 先生は、どのようなきっかけで科学者の道に進まれたのですか。きょうはぜひ先生の原点をお聞きしたいと思っていました。

    大隅 私は1945年2月、4人兄妹の末っ子として福岡市で生まれました。父親は九州大学工学部の教授、母方の祖父は歴史学者という家庭環境でしたから、何となく将来は研究者、科学者の道に進んでくれるのだろうという両親の期待を感じながら育ちました。
    また、家は自然豊かな場所にあって、子供の頃は農家の子供たちと一緒に昆虫採集をしたり、自然の中で楽しく遊んでいました。
    一番上の12歳離れた兄は、終戦前に政府がつくった科学者を育成するエリート中学の生徒に選抜されて広島にいましたが、幸いにも、原爆投下の前に疎開していて助かったんです。そうした体験から兄は東京の大学で歴史学を専攻し、せめて末っ子の私くらいは科学者にということで、休みに帰省するたびに小学生の私に宇宙や生物、化学に関する子供向けの本を一冊ずつ贈ってくれました。
    例えば、八杉龍一やすぎりゅういちの『生きものの歴史』や、ファラデーの『ロウソクの科学』、三宅泰雄みやけやすおの『空気の発見』などはいまもさしまで覚えていて、大きな影響を受けました。これが、科学の道に進むきっかけになったように思います。

    栗原 それらの本が科学にかれていく原点になったのですね。

    大隅 ただ、いまは生物学(分子生物学)を研究していますけれども、子供の頃はなぜか化学に惹かれるものがあって、高校でも生物学の授業はとっていませんでしたし、化学部に入っていました。

    栗原 子供の頃は化学に関心を持っていた。生物学に転じるきっかけが何かあったのでしょうか。

    大隅 親子二代で同じ道に進むという例もよくありますが、私の場合は父がいる九州大学工学部だけは行きたくない、自分は化学をやりたいと思って、東京大学に進学しました。私は昔からちょっとへそが曲がっているんです(笑)。
    でも、結果的にはこの選択がよかった。大学1年~2年の教養学部の授業はあまり面白くなかったのですが、幸運にも、ちょうど教養学部の中に基礎科学科が新設されたんですね。特定の分野にしばられず、科学の全分野を4年間かけて学び、その後、専門を選ぶという方針が気に入り、私は基礎科学科に2期生として入りました。
    基礎科学科には、先生も学生もやる気のあるユニークな人材が集まっていて、特に生物学には、筋肉研究の丸山工作先生や生化学の春雄先生などがいらっしゃり、新しいことに挑戦しようという雰囲気が満ちあふれていました。中でも分子生物学の草分けとして、タンパク質の生合成の研究をされていた今堀和友先生の授業は興味深く、自分も分子生物学を専攻したいと思い、大学院は今堀研究室に入ったんです。
    これも、分子生物学がぼっこうしてセントラルドグマ(生物学における基本原理)が確立されていく時期、世界が分子生物学に関心を持ち始める時代に、偶然遭遇できたからこそできた選択でした。

    栗原 出逢いとタイミングに恵まれて生物学の世界に進まれた。

    大隅 大学院では、大腸菌のタンパク質合成をテーマに取り組みましたが、大きな成果を出すことはできませんでした。それに大学紛争が激しい時代で、研究に集中することができず、気がつくと博士課程の2年になっていました。
    これは何とかしなくてはいけないと思い、京都大学の理学部に新設された生物物理学科に2年間国内留学したんです。東大で指導してくださっていた前田章夫先生がその生物物理学科に招かれたことも背中を押してくれました。

    栗原 東大と京大では雰囲気もだいぶ違ったのではないですか。

    大隅 東大の基礎科学科と同じで、京大の生物物理学科も新設の学科でしたから、伝統があるというよりも、自由に研究や交流ができる雰囲気でした。その中で、若いうちからいろいろな考え方や研究手法に出逢えたことは、とても大きな刺激になりました。あと、振り返れば、国内留学の手続きもきちんと踏んでおらず、半分もぐりのような状況でした(笑)。いまでは考えられませんが、当時は大らかな時代だったなと思います。
    そのように、私は割と新しいことを自由に研究できる環境を選びながら歩んできたなという気がしています。ですから、世間のいろいろなしがらみから離れて、ある程度自由に研究できる環境が確保されなければ、面白い人間も研究も生まれないように思います。