2016年8月号
特集
思いを伝承する
一人称
  • 郷学研修所安岡正篤記念館 副理事長兼所長荒井 桂

酔古堂剣掃

先哲の箴言が
教えるもの

17世紀、明代末の読書人・陸紹珩は先人の書物の中から心に適った明言を選び、1冊にまとめて心の範とした。これが『酔古堂剣掃』である。そこに採録されたのは、どれも郷学研修所・安岡正篤記念館副理事長兼所長の荒井 桂氏に、この名著を分かりやすく解説いただいた。

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東洋アフォリズムの集大成ともいえる名著

『酔古堂剣掃』は中国明代末(17世紀)の優れた読書人として知られた陸紹珩(湘客)が生涯愛読してきた古典の中から、心に適った会心の名言を収録した出色の読書録です。「酔古堂」は陸紹珩の雅号。「剣掃」には名言という剣で世間の邪気を払うという意味があります。

古くは二十四史の最初をなす『史記』や『漢書』、新しいものではポピュラーな中国古典として日本人にお馴染みの『呻吟語』『菜根譚』の名言を採録。その出典は主要な古典だけで50種類を超えています。

その頃の知識階級である読書人には、ある思想的な特徴がありました。儒教、仏教、道教の3つの教えを併せて修め、それを修身・処世、脱俗・隠遁、風雅・趣味、さらに人の上に立つ士君子の出処進退のあり方など人生の資としたのです。陸紹珩もその中の一人でした。
明末清初の文化は東アジア伝統文化の集大成ともいうべき爛熟期で、当時の教養人はその集大成された文化の荷担者を自任していました。中でも明末清初の文化の卓越性を象徴しているのが世界に比類なき東洋アフォリズムの作品です。

アフォリズム(aphorism)とは、詩や箴言、格言など簡潔な言葉を深く味わうことを重視した文学で、そのジャンルは宗教、哲学、思想などにも及びます。近世フランスのモラリスト、モンテーニュの『エセー』(随想録)、パスカルの『パンセ』、ラ・ロシュフコーの『箴言集』などはその傑作ですが、東洋では明末清初がその黄金時代で、『呻吟語』『菜根譚』もその頃の作品です。中でも、ここで取り上げる『酔古堂剣掃』は嘉言・麗句をもって東アジア伝統文化を集大成した一冊といえるでしょう。

陸紹珩が『酔古堂剣掃』を書き上げたのは1624年。明王朝が清に攻め入られて滅亡する20年前で、社会は内憂外患、末期的混乱の真っ只中でした。無道の世にあって、志を抱きつつもそれを果たし得なかった陸紹珩は、その慷慨、憤懣の思いを古賢先哲の箴言などに託したのです。

陸紹珩が生きた時代とよく似た時代が日本にもありました。それが幕末です。日本の幕末もまた内憂外患、末期的混乱を極めたことは申すまでもありません。嘉永6(1853)年、尊皇攘夷の志士である池内陶所と頼三樹三郎によって『酔古堂剣掃』が翻刻されるや、たちまち志士たちに流布し愛読されるようになります。

明末の混沌とした中で理想を追い求めつつもそれを果たせなかった陸紹珩の憤懣と、幕末日本の志士たちの憤懣が一致し、お互いのエートス(倫理的な心的態度)が感応し合ったことを、その事実は物語っています。

では、その陸紹珩とはどのような人物だったのでしょうか。

これは安岡正篤先生もおっしゃっていますが、実は明末の教養人、読書人というほか、あまり詳らかになってはいないのです。私も、中国関係の人物辞典としては最も詳細な『中国人名辞典』で調べてみましたが、見つけることはできませんでした。ただ、『酔古堂剣掃』が名著であることは確かで、そこから推し量っていくことによって、その卓越した人物像を垣間見ることができます。

郷学研修所安岡正篤記念館副理事長兼所長

荒井 桂

あらい・かつら

昭和10年埼玉県生まれ。東京教育大学文学部卒業(東洋史学専攻)。以来40年間、埼玉県で高校教育、教育行政に従事。平成5年から10年まで埼玉県教育長。在任中、国の教育課程審議会委員並びに経済審議会特別委員等を歴任。16年6月より現職。安岡教学を次世代に伝える活動に従事。著書に『山鹿素行「中朝事実」を読む』『「小學」を読む』『安岡教学の淵源』『安岡正篤「光明蔵」を読む』『大人のための「論語」入門(伊與田覺氏との共著)』(いずれも致知出版社)など。