2024年11月号
特集
命をみつめて生きる
対談
  • 東北福祉大学元特任教授国分秀男
  • 福島成蹊学園理事長・校長本田哲朗
地方から頂点への挑戦

子供たちの命を
輝かせる教育

都市と地方の格差拡大が叫ばれて久しい。教育分野で顕著だが、その主因は教師と学生の〝意識〟の差だ、と口を揃える人物がいる。高校女子バレーの無名校を在任中に全国制覇10回の強豪に育て上げた国分秀男氏。定員割れに喘いでいた私学に赴任し、塾に頼らず東大理科Ⅲ類ほか最難関大学への進学者を続々輩出する本田哲朗氏。共に東北の地で前途ある若者を羽ばたかせてきた名伯楽の語らいに、命を輝かせる教育の秘訣を探る。

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東北の地で教育の固定観念を打ち破る

国分 本田先生、きょうはどうもありがとう。こうして対談の機会をいただけて嬉しいですよ。

本田 わざわざふるかわから福島までご足労くださって、ありがとうございます。

国分 いま、都会には所得の高い家の、意欲も高い優秀な生徒を受け入れて実績を上げているよい学校がたくさんあります。でも、予備校に通うお金がない、学力もこころもとない生徒をぐんぐん伸ばして、名立たる難関大学に合格者を出す学校が地方にある。しかも元同僚にそんな素晴らしい教師がいる。僕も3月で80歳になったので、それを最後に伝えたくて、30年愛読している『致知』の編集部に本田先生の資料を送りました。

本田 いや、『致知』はこの福島せいけい学園に来た当時の校長先生に薦められて、約20年読ませていただいていますから、きょうこの場に至っても恐縮しています。

国分 まず、この春の大学合格実績にはびっくりしたね。

本田 おかげさまで例年以上の好成績でした。中高一貫コースからは東京大学2名(理科Ⅲ類、同Ⅱ類)、京都大学(理学部)1名、一橋大学(ソーシャル・データサイエンス学部)1名、そして東北大学(医学部保健学科)1名と、超難関とされる国公立大学に合格者が出ました。今年県内で東大に複数の合格を出したのは県立の進学校2校と当校だけのようです。

国分 東大理科Ⅲ類なんて、日本の最難関ですからね。

本田 本県私立学校では当校が初めての合格です。今年の理Ⅲの合格者39名をインタビューした市販の書籍にその女子生徒が掲載されましてね。読んでみたら、予備校に通わずに合格した現役女子学生は彼女だけでした。

国分 さらにびっくりするのは、初めから優秀な生徒を集めているわけではないんだな。

本田 入学時点の偏差値が50を超えていたことはいまだにありません。毎年、46くらいですね。

国分 皆、耳を疑うところです。

本田 国分先生がおっしゃったように、日本の都会と地方には教育格差が歴然とあります。その本質は社会経済的地位、要は経済力による格差です。手を打たない限り、この格差は広がる一方でしょう。この現状に一矢いっし報いたい、その一心でこれまでやってきました。

東北福祉大学元特任教授

国分秀男

こくぶん・ひでお

昭和19年福島県生まれ。慶應義塾大学卒業後、京浜女子商業高等学校(現・白鵬女子高等学校)を経て、48年宮城県の古川商業高等学校(現・古川学園中学校・高等学校)に奉職。商業科で教鞭を執る傍ら、女子バレーボール部を指導。全国大会出場77回、うち全国制覇10回。平成11年には史上5人目の3冠(春、夏、国体)の監督となる。8年から春夏とも4年連続決勝進出という高校バレー史上初の快挙を成し遂げる。

あの出逢いがあってのいま

国分 本田先生と最初に会った時のことは、はっきり覚えています。1990年の3月、古川商業高校(現古川学園中学校・高等学校)の体育館でした。僕は46歳、女子バレーボール部の監督として全国優勝を5回経験した頃でした。
練習中、見知らぬ青年がそばに現れて「練習を見学させてください」と言う。それが本田先生でした。

本田 前任校を辞め、予備校講師として再出発して間もなく、古川商業(古商)の校長先生と縁ができたんです。36歳でした。

国分 驚いたのは「どうしてここに来たの?」と聞いたら「バレーボールで全国制覇をしている学校だからです。日本一になる土壌がある」「夢は大学日本一、東京大学合格者を出すことです」と。
内心、「バカも休み休み言え、この学校から東大なんて夢のまた夢だ」と思いました。当時の古商はいわゆる学力底辺校でしたからね。宮城県も福島県も公立至上主義で、私立高校に行くのは学力の低い子、あるいは志望の公立校に落ちた子というイメージがついていて、何となく意識も低い。

本田 おっしゃる通りです。

国分 でも、反論は呑み込んだんです。なぜなら、眼がただものではなかった。こころざしに燃えていた。何か思い詰めたような、真剣な眼。昔の自分を見ているようでした。
28歳で古商に転勤してきた時、私は新入職員歓迎会のスピーチで「日本一のバレーボールチームをつくるために来ました」と言ったんです。すると「この若造、何言ってるんだ」という感じでにらみつけられてね。僕だけ二次会に誘われませんでした(笑)。
でも、その言葉は現実になりました。だから僕があなたの夢を否定しちゃダメだと思いましたね。

本田 私が今日こうしてあるのは、国分先生との出逢いあってのことだなとつくづく思います。
お目にかかった時は正直、ぜんとしました。体育館の床は傾いているし窓ガラスは割れている。もうボロボロで、練習で使えるのはコートの半分だけでしたよね。

国分 まだ学校にもお金がなくてね、練習環境は劣悪でした。

本田 そういう中で真剣に指導をしておられた。あの時の姿は脳裏に焼きついています。あれから、自分が落ち込む度に支えていただいて……まさに国分先生の背中を追いかけてきた半生でした。

福島成蹊学園理事長、校長

本田哲朗

ほんだ・てつろう

昭和28年福島県生まれ。東京理科大学理学部化学科卒業、同大理学専攻科修了。52年聖望学園中学・高等学校教諭、平成2年古川商業高等学校(現・古川学園中学校・高等学校)教諭、教頭を経て16年に福島成蹊学園高等学校に教頭として着任。20年中高一貫コース開設に尽力。同年校長に就任し、令和6年3月より学校法人福島成蹊学園理事長を兼務。