追悼

追悼・寺田一清氏

    この記事は約2分でお読みいただけます

    去る令和3年3月31日、不尽叢書刊行会代表の寺田一清氏がお亡くなりになりました。享年95でした。

    寺田氏は、国民教育の師父と謳われた教育者・森 信三先生の傍に仕えてその活動を支え、先生亡き後も立腰教育や躾の三原則などに代表される森 信三哲学の顕彰に尽力されました。寺田氏の献身的な努力がなければ、森先生の教えがここまで広く世に知られることはなかったでしょう。

    弊社と森先生とのご縁を取り持ってくださったのも寺田氏でした。最初は取材に応じていただけなかった先生に対し、寺田氏がこちらの熱意を汲み取り仲介の労を取ってくださったおかげで、昭和60年の『致知』11月号にご登場いただくことができたのです。

    『致知』には寺田氏ご自身にも幾度となくご登場いただき、森先生の知られざる横顔を交えながら、その教えの神髄を平易な言葉で繙いていただくと共に、『修身教授録』『幻の講話』『森信三全集』をはじめとする貴重な著作の復刊にもご協力いただきました。

    寺田氏は元々教育とは無関係な大阪・岸和田の呉服商であり、大半が教育者で占められていた森先生の門下では異色の存在でした。

    2人の出会いは昭和40年、寺田氏が恩師の勧めで森先生の全集を購入したことがきっかけでした。初めて面会を果たした時の先生の話に感動した寺田氏は、5分とかからないうちに、この人こそ自分の生涯の師と思い定めたといいます。時に森先生70歳、寺田氏38歳。以来、寺田氏は50年以上にわたり森先生一筋の人生を歩んでこられたのでした。

    『森信三一日一語』の発刊にまつわるエピソードも印象的でした。かねて森先生の語録を作成したいと念じていた寺田氏は、先生の高弟から「それは無理や」と断じられて発憤。たとえ学問や才能で劣っても、先生を惚れ込む気持ちは誰にも負けない、と並々ならぬ情熱で編集に邁進。10年の歳月をかけてその思いを結実させたのでした。

    そんな寺田氏に対して森先生は最晩年に、「あんたとは宿世の縁によって結ばれたと思う」という言葉を贈ったそうです。

    晩年も森先生の教えのタネ蒔きで全国を飛び回り、この活動を白寿まで続けたいとおっしゃっていた寺田一清氏こそは、森信三哲学のかけがえのない語り部であり、その教えのネオ行者(現代的実践者)でした。

    生前のご厚情に心より感謝申し上げ、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。