2026年2月号
特集
先達に学ぶ
わが人生の先達④
  • 逸翁・耳庵研究所代表向山建生

胆大心小──
小林一三の生き方

阪急電鉄や阪急百貨店、さらに宝塚歌劇団、東宝などの興行分野まで、独自のアイデアと不屈の行動力で数々の事業を成し遂げた小林一三。そのスケールの大きさとジャンルの広さはまさに経済界の巨人と呼ぶに相応しい。郷土の先達として約30年間、一三の研究を続ける向山建生氏に、一三の人生や事業に懸けた思いをお話しいただいた。

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    逸翁・耳庵研究所代表

    向山建生

    むこうやま・たてお

    昭和24年韮崎市生まれ。46年日本大学理工学部卒業。山梨日日新聞社・山梨放送経営企画室長、山梨総合研究所主任研究員、山梨大学客員教授を経て現在、特定非営利活動法人減災ネットやまなし理事長、逸翁・耳庵研究所代表、山梨総合研究所OB会会長。

    経済界の巨人の偉業を顕彰し続けて

    阪急電鉄をはじめ221社5団体、3万4,000人以上の従業員をようする阪急東宝グループ。関西を中心として日本経済をけんいんする同グループは、昭和初期に活躍した小林いちぞうという一人の人物によって創業されました。

    一三と同じ山梨県にらさき市に生まれた私が小林一三という名前を知ったのは、66年前の夏、小学5年生の時でした。中学教師だった父に伴われ一三の母校・韮崎小学校の講堂に入った時のこと。父は壁の上部に掲げられた甲州財閥・小野金六きんろくの肖像画を見上げながら、「この人も偉いが、2年前(1957)年に亡くなった小林一三という人は、もっと偉い」と教えてくれたのです。

    一三を深く研究するようになったのは、その約30年後。きっかけは、東京ディズニーランドの総合プロデューサーを務めるなどエンターテインメント界で活躍する堀貞一郎氏と知り合い、堀氏が最も尊敬していた人物が小林一三だと知ったことでした。「君の故郷で講演したが、君の地元の人は小林一三のことをまったく知らないようだ。何とかしたまえ」としっされ、奮起したのです。

    一三は知れば知るほどスケールの大きな人物です。阪急電鉄や宝塚歌劇団、東宝の創立者として知られる一三ですが、経営以外でも政治や文筆、さらには茶人(雅号・いつおう)として日本文化の保護に力を入れるなど活動は多岐にわたり、いまも全貌ぜんぼうはなかなかつかみきれていません。本欄では、そういう巨人・小林一三の功績や人物像の一端をご紹介できればと思います。